The International Arthurian Society - 国際アーサー王学会日本支部

『トリスタン』の愛についての一考察

渡邊 徳明(日本大学准教授)

 

 はじめに
 ゴットフリート・フォン・シュトラースブルクの『トリスタン』に描かれる愛について、ここでは個人的に重要な論点と思われるものを挙げて概説してみたい。この物語に描かれる愛の解釈はむしろ多義的であるがゆえに面白みがあり、読む人によってそれぞれ感じ方は異なるであろう。あくまで筆者の目から見た『トリスタン』の入門である。議論の所在を感じ取っていただき、若い世代の方には更に踏み台にして作品への理解を深めていただければと思う。

 

 1.トリスタンの愛と血縁について―
 我々日本人にとって、宮廷の恋物語としてまっさきに思い浮かべるのは紫式部の『源氏物語』であろう。ほぼ生誕と同時に母を失い、美しい容貌と類い希なる文化的才能を持つ貴公子。そして主君の后との不義密通。光源氏の半生に関して思いつくままにその特徴を挙げてみるだけでも、それがトリスタンの半生に共通することに気づくだろう。貴婦人との度重なる密会が、やがて周囲にも漏れ知られることとなり、君主の血縁であり重臣でありながら、迫害を逃れるために宮廷を離れることになるのも、光源氏とトリスタンの共通するところである。

 その若々しい貴公子としての魅力によって君主をも出し抜いてしまう点も、やはり二人に共通するし、そういった隠しきれない魅力が、宮廷のライバルたちに嫉妬と警戒心を起こさせるところも似ているだろう。

 『源氏物語』においても『トリスタン』においても、己の才と若さを武器にした主人公は痛い目にあう。

 二人の主人公はともに、都落ちし零落しながらも、相変わらず愛の求道者として生き続ける。読者は、そこにある種の風流、恬淡とした姿を見るかもしれない。都落ちして須磨に過ごした光源氏は、その地でも明石の君と出会い、一子をもうける。トリスタンも、マルケ王の宮廷を離れて他国に落ちのび、恋人である金髪のイゾルデと同じ名前を持つ女性、白き手のイゾルデと結婚する。もっとも、やがて復権して都に戻る光源氏と異なり、トリスタンは政治的には不遇のまま生涯を終える。

 若き日の光源氏にもトリスタンにも、愛する人間の性(さが)を感じ、その根底にある人生の悲しさ故に、何らかの親近感を抱く人は少なくないだろう。そもそも皇族・王族に連なる身分で政治に関与しているから、いわゆる能吏である必要はないが、二人とも生まれ持った気品に加え、学問にも芸術にも優れた才能を持ち、そして際立って美しい姿である。

 光源氏は失脚を経て再び帝に仕える臣の頂点に返り咲いてからは、年を重ねて円熟してゆく。恋多き貴公子もかつて愛した女性たちへの心遣いや、自分の子供たちへの配慮に時を費やしてゆくことになる。そのような親ゆえの悩み、愛する者たちとの想いの相違などは、トリスタンその人について描かれることはない。しかし、『トリスタン』において、そのような熟年の人生はその伯父であるマルケの姿に描かれていると言えよう。そう考えるのであるならば、マルケ王こそ奥行きの深い人物像であると言えるのではないか。

 洋の東西に分かれるこの二つの物語を単純に比較することはできないだろうけれど、筆者がここでもう一つ指摘したいことは、光源氏とトリスタンが共に出生後すぐに母親を亡くしていることである。母親の幻影を求めるかのような姿が、この二人の主人公には見られる。母親への潜在的な「愛」の問題、それに母親そのものの喪失の問題は、フロイトやランクの精神分析的解釈、あるいは江藤淳の文学論において重要なテーマであったが、中世ドイツ宮廷文学においても隠れたファクターとして物語に影を落とすことが少なくないのではないか。完全には手の届かぬ女性への愛を究極的に追求するならば、母的な存在に帰り着くのは、ある意味自然かもしれない。

 『トリスタン』について言えば、そのような亡き母への想いが吐露されることはない。けれども、主人公の母ブランシェフルール(マルケ王の妹)の存在(あるいは不在)はこの物語の背景にあってマルケ王と(その甥)トリスタンの運命を決定づける隠れた重要なファクターであると筆者は考える。この女性についてその死後の物語の中では、必ずしも重きを置かれている訳でもないのだが、しかしその子トリスタン(Tristan)の名前自体が、彼女が夫との悲しい(triste)愛と別れを体験するうちに出産することに由来している(1991-2022行)。このブランシェフルールという妹への想いがあればこそ、マルケ王はトリスタンを更に愛したとも言えるだろう。そして何より、長いことマルケ王が独身であったということの理由もまた、妹と対等なまでに宮廷的な美・徳において優れている貴婦人を見出し得なかったという背景を考慮してみると、それなりに辻褄が合ってくるように思うのである。物語を前に進めてゆくには、登場人物たちを動かす何らかの動機が必要で、このような(ブランシェフルールの不在という)空白があればこそ、それを埋めねばならないという語りの原動力が発生するとは言えないだろか。

 そのように、この物語では、ブランシェフルールへの記憶が重要な意味を持っていて、それは明示されないにも拘わらず、彼女の喪失こそマルケ王とトリスタンを強く結びつけるものであり、それは両者のイゾルデへの愛の重さと比べても劣るものではない、と筆者は考える。愛する肉親の喪失がマルケ王とトリスタンの人生をどこか孤独なものにしてしまったと考えるとき、物語前半部の重みが増すように思われる。

 

 2.13世紀初頭の愛の物語
 『トリスタン』が書かれたのは1210年ごろとされる。ドイツ中世最大の英雄叙事詩(民族大移動期におけるゲルマン諸民族の興亡を歌う伝説を記述・作品化したもの)とも目される『ニーベルンゲンの歌』や、アーサー王物語の王道ともいえるヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ作『パルツィヴァール』もおよそ13世紀の最初の十年に書かれたとされるが、『トリスタン』もまさに中高ドイツ語宮廷文学最盛期を代表する作品の一つである。そして作中でゴットフリートが褒め称えるのは(中高ドイツ語の最初のアーサー王物語である『エーレク』さらには『イーヴェイン』を書き、恋愛詩でも知られる)ハルトマン・フォン・アウエであり(中高ドイツ語の『エネアス物語』や恋愛詩でも知られる)ハインリヒ・フォン・フェルデケであるが、彼らは既に1180年代頃には活躍していて、その意味では先輩格にあたるとも言えよう。その頃、日本では平氏が滅び、鎌倉幕府が起ころうとしていた。(ハルトマンの活躍した期間は長く、『イーヴェイン』が書かれたのは1200年代の初頭とされるから、ゴットフリートらと同時代の詩人であったとも言える。)ちなみに、ゴットフリートは名前こそ挙げないものの、『パルツィヴァール』の作者であるヴォルフラムを批判しているとされる。

 12世紀後半には結婚がキリスト教会の秘蹟となり、システム化された愛の枠組みが形成される中で、トリスタンはイゾルデと共に知恵を使いロジックを駆使して罰を逃れながら愛を継続する。そこには天才故の覚めた感覚とあらゆる世俗的価値よりも純愛を優先しようという妄執が同居する。それに対し、罪を背負いキリスト教の信仰そのものの本質を求めるために生きるかのようなパルツィヴァールは、過ちを犯しつつその無垢故に愛されることを通じて、成長もするし、使命をも果たしうる。

 トリスタンとパルツィヴァールのどちらがより信仰に篤く、どちらが背教的か、ということは比較しづらいように思う。愛というものの概念そのものが一義的でなかったと同様に、そもそも正しい信仰という概念もまた揺れていたのであろう。理を持って神意に沿うことを信仰とするか、自らの感性と肉体を全て神に捧げることを良き信仰の形態とするのか。そもそも、神の意に沿う、ということ自体が傲慢であり、そんなことは不可能ではないのか……。

 さてゴットフリートは、若き日にパリで神学を学んだとか、偉大なる神学者であったアベラールの影響を受けているとか、諸説ある。アベラールは論理を尽くして神の奇蹟を説明しようとした人であり、本来それは説明しつくされるものであってはならないから、彼に対しては高慢の誹りもあったであろう。それにアベラールは女弟子エロイーズとの恋愛によって私刑を受け、肉体と誇りを傷つけられたことでも知られる。ゴットフリートも作中で、愛に溺れた自らの若き日々についても語っている。

 1200年代初年の叙事詩群には、キリスト教信仰と男女の愛、さらには肉親間の愛憎が、ぎりぎりのところでせめぎ合う形で描かれた。それを精神的に支えたのは、濃密な神学的議論と共に、生と死、肉体と精神、罪と罰、といった哲学的・宗教的・倫理的問題に対する高度な感受性であっただろう。1190年に皇帝フリードリヒ1世(シュタウフェン家、俗称バルバロッサ)は第三次十字軍遠征の途上で水死し、その後、二十年ほどドイツ語圏は帝位をめぐるシュタウフェン家とヴェルフェン家の内戦で乱れた。そこには中世史上最強といわれる教皇インノケンティウス3世の介入があり、長年つづいていた教皇派と皇帝派の対立構造も複雑に絡み合い、政界も文学界も緊張と嘆きと調和への願いが強まった時期でもあった。

 皇帝フリードリヒ1世が死去する前の時期を考えてみよう。

 ドイツ中世の宮廷騎士叙事詩の基盤を築いたハルトマンにせよ、フェルデケにせよ、その1180年代に書かれた叙事詩作品において、騎士、武人の愛と自らの使命の間の葛藤を描いている。しかし、そこにキリスト教的な罪の葛藤というものが前面に押し出されている訳ではない。フェルデケの『エネアス物語』は、皇帝礼賛にもつながる作品であり(というのは、エネアスはローマ建国の祖であり、当時のドイツはローマ帝国を名乗っていたからである)、舞台設定としてキリスト教の成立以前の話である。そして、とりわけエネアスとディドーの逢瀬の場面のセクシャルな描写の際どさは特筆に値する。近い時期に書かれたハルトマンの『エーレク』にしても、騎士としての社会的な務めと愛の両立の難しさと、それをやがては果たすことに成功する主人公の冒険を通しての成長が描かれる。だが、信仰と愛の問題の微妙さを中心においている訳ではない。  『エネアス物語』も『エーレク』も、フリードリヒ1世の強力なリーダーシップの下に成立しえた宮廷社会における武人たちの、文化的・倫理的成長を目的とした作品であると言えるだろう。そこには、宮廷社会の成員である騎士の誇りと自負が感じられる。(1184年に皇帝によって主催された盛大な祝宴がこれらの作品の成立に影響を与えたという説もある。) つまりそこに、宮廷社会の内部的な動揺や崩壊の予兆は感じ取れないのである。

 しかし1190年年代から1200年代初頭にかけて上述のように政権は分裂し政争・内戦に宮廷社会は疲弊してゆく。各層における党派対立の緊張というものを背景として考えなければ、『ニーベルンゲンの歌』(1204年ごろ成立)における凄惨な宮廷闘争と復讐劇のリアリティーは感じ取れまい。そこにはブルグント王国の王女に生まれたクリエムヒルトが夫ジーフリトを殺され、彼への愛の誠実さによって凄惨な復讐劇を実行し、多くの命を奪う結果を招来する様子が描かれる。しかしこの復讐は、単に宮廷人の愛という個人的・家庭的レベルの動機を超えた政治レベルの深刻さと壮大さを帯び、ブルグント族及び彼女の再婚先のフン族の宮廷をほぼ壊滅状態に陥らせる。

 そのようなクリエムヒルトの所業に対しては、批判も起きたのであり、ここに恋愛至上主義は相対化されるに至ることは見過ごせない。英雄ジーフリトを殺されたクリエムヒルトが、仮に彼への変わらぬ愛ゆえに復讐を敢行したとしても、彼女に対する否定的な視点は既にこの叙事詩の後半部に随所に含まれている。愛ゆえに二つの宮廷をほぼ絶滅に追い込む所業を手放しで許容することは、宮廷文学最盛期の人々にとっても困難であったのだろう。

 その頃ヴォルフラムが書いた『パルツィヴァール』が騎士道と信仰、王権と教権の調和などを問題としたのは、このような時代背景を考えれば理解に難くない。そしてこの作品で描かれる人の死に対する繊細な感受性と、誠実であろうとする主人公が、にもかかわらず愛においても宗教的使命においても周囲の期待を裏切ってしまう様子は、深く心に迫る。それを考えれば、異教的なヴェーヌス(ヴィーナス)に導かれたとも言えるほどの愛に身を捨てて燃え上がり、宮廷社会の倫理的枠組みをも超えてしまうようなトリスタンとイゾルデの行為に対して、ヴォルフラムは恐らく冷ややかだったのではないか。その意味で、19世紀にワーグナーによって制作された歌劇『タンホイザー』において、ヴォルフラムがタンホイザーを咎める一連の場面は、このあたりの雰囲気をよく劇化しているものと言える。(もっともワーグナーが歌劇『パルツィファル』の中で描いた主人公の成長と愛の関係については中世作品のそれを超える読みが必要であろう。)

 

 3.罪深い愛?
 さて、いささか回り道をした。これらの名作群に続く形でゴットフリートは一体どのような「愛」を描こうとしたのか?これについては古くから学者の間で論争があった。すなわち抒情詩人ラインマル・フォン・ハーゲナウが描いたような、観念化された愛であるのか?それとも肉感的な愛なのか?(高津春久はトリスタンの愛にラインマル的なものを見ている。Vgl. Kozu, 1972, S.77. また、たとえばヘルムート・デ・ボーアはゴットフリートの愛の神をラインマルが賞賛するのと同じ性質であると主張している。Vgl. de Boor, 1940, S.271ff. このデ・ボーアの記述に対して、フリートリヒ・マウラーは明確に反論し、ゴットフリートの愛の神は愛の女神(gotinne minne)であるヴェーヌスだと主張する。Vgl. Maurer, 1964, S.210.)

 このような図式化は、文学解釈のテーゼを立てる際には便利であるけれど、実のところ作品の多面性を味わう際には邪魔になることが少なくないように思う。それに忘れてはならぬことだが、愛には観念性と肉感性が必ず同時に含まれるのであり、それはヨーロッパ思想においてプラトンの『饗宴』以来重要なテーマであり続けている。(そもそもラインマルの恋愛詩も随分と官能的である。)

 トリスタンをめぐる愛の問題には、常に分かりにくさがつきまとう。

 彼が父リヴァリーンと母ブランシェフルールの愛の結晶であることは疑い得ぬのだけれど、この二人は婚前交渉を行ったのであり、それで母は身ごもり、それを恥じて自分の国を密かに去り、リヴァリーンの国において式を挙げる。トリスタンに対して、敵であるモルガーンから向けられる「私生児」ということを揶揄するあざけりの言葉には、実際にそのような背景があった。

 しかし、である。彼は神から嫌われたかと言えば、そのようなことは無い。なるほど彼は苦難の人生をたどることになるが、この容姿に優れ、才能にあふれる万能の若者は、人々に愛され、そして妬まれながら、幾度かの戦いにおいても、更には命を奪われかねない裁判においても、神に見放されることなく難を脱する。

 では彼自身の行いに問題はないのであろうか?

 彼は(12世紀後半に教会の秘蹟と定められた)結婚の枠組みを逸脱する形で、すなわち両親の婚前交渉によって生を受けた。もっとも、両親は出産前にわざわざ正式に結婚させるという手順を踏んでいる。それに中世において、自らの意思決定に基づかない場合、通常それは罪としてカウントされない。

 イゾルデとの愛についてはどうなのか?媚薬の効果によるとはいえ、自らが主君マルケ王の花嫁にと長い船路をアイルランドから連れてきた(金髪の)イゾルデとは、船上で体を重ねるまでの仲となり、ここでも「結婚」という教会が介在する男女の枠組みを平然と破ってしまう。しかし、それは過失によって媚薬を飲んだことによる不可抗力が原因と解釈でき、そこにトリスタンとイゾルデの自由な意思決定がなされたと言い切る根拠は乏しい。他方、自らが後に正式に結婚する白い手のイゾルデには手を触れず、ひたすらに離ればなれになった金髪のイゾルデのことを心の中で愛し続ける。「結婚」という制度からは離れたところでトリスタンの愛は実行されてゆく。トリスタンとイゾルデは密通を疑われてイゾルデは熱鉄裁判にかけられるのであるが、彼女は巧妙な詭弁により、その神明裁判でも無罪になる。神に誓って嘘はつかなかった、ということである。二人はキリスト教的な神の前に立っても、罰を受けないように見える。

 トリスタンは愛の巡礼者であり、ひょっとするとワーグナーが描くタンホイザーのように教会から破門されるべき存在であるのかもしれない。トリスタンも、いや彼こそミンネ(愛)の女神=ヴェーヌスの後押しで人生を歩んでいるようにも見えるからだ。しかしタンホイザーのようにVenusberg(ヴェーヌスの山)に入り浸って官能に身を任せる訳ではない。トリスタンの愛を究極的に導く神は、極めて理念性の高い中世キリスト教的な神であるのか、それとも古代の異教的なヴェーヌスであるのか。この問題はトリスタンとイゾルデの愛の本質に関わる疑問であり、前述したデ・ボーアとマウラーの議論にあるように、その歴史は古い。

 筆者はこの点で、トリスタンを、前述の、一時代前にフェルデケによってドイツ語に翻案された『エネアス物語』の主人公エネアス(アエネアス)の、いわば恋愛道における「後輩」として位置づけることができると考えている。エネアスは、ヴェーヌスを母に持つ歴とした愛の申し子であり、まさにこの女神の命ずるままに、さらには(ローマを)建国せよという神々の命ずるままに女性を愛し、そして平然と捨てる。(捨てられたカルタゴの女王ディドーは焼身自殺してしまう。)しかし、二人の行動の外見は少し似ているとしても、それに対する倫理的評価が異なるのは、彼らをとりまく宗教的・倫理的環境が異なるためである。

 古代の神々とつながり、かつ自分も神の血を引くエネアスは、愛をめぐるキリスト教的な社会倫理にしばられない。それに対してトリスタンは、ミンネの命じるままに生きるけれど、本来はハルトマンの文学の柱になっていたような「節度」(mâze)を保ち、理知を忘れずに、教会の戒律、宮廷の規律に沿って生きるべき者である。トリスタンほどに理知的な物語の主人公はいないのだが、彼は冷静沈着に婚外の愛を実行する者であって、ハルトマン的な騎士の行動倫理に服する人ではない。

 その意味では、なるほどトリスタンは罪深い、と思うかもしれない。しかし、彼もまた自分の意思で愛のもつれ合いに入り込んでいったのではなく、やはり『エネアス物語』におけるのと同じように、周囲の状況が彼をそのように導いたようにも読めてしまう。そこに神の導きを強調しないのは『エネアス物語』と異なるところであるのだが。

 次節では、トリスタンが本当に自由意志に拠らず、神(々)に操られるままに、イゾルデとの愛へと歩んでいったのか、ということを次に考えてみたい。

 

 4.なぜ二人は愛し合ったのか?
 トリスタンをイゾルデのもとに導いたのは彼女の伯父モーロルトであった。決闘の際、トリスタンはモーロルトに傷を加えるが、モーロルトの剣もトリスタンの太ももを傷つける。その毒からトリスタンが唯一助かる方法は自らの妹であるアイルランド王后イゾルデに治療してもらうことだ、とモーロルトは言う。それはモーロルトの脅迫であったかもしれないが、もしかしたら好意であったかもしれない。(6954-6961行には彼がトリスタンに降伏を勧める言葉があり、かなり融和的な態度とも筆者には思われる。)

 トリスタンは生きながらえるためにアイルランドへ渡り、王后イゾルデのもとに正体を隠して近づくことに成功する。そしてその娘である金髪のイゾルデに手当てをしてもらい、かつ彼女の家庭教師となる。彼女が、このトリスタン(タントリスという偽名を使っていた)こそ自らの伯父モーロルトを殺した仇敵であると知ったとき(死んだモーロルトの頭に残っていた刀の破片が、トリスタンの刀の刃こぼれ部分と一致してしまったのである)、彼女は入浴中のトリスタンを殺そうと彼が身から外していた剣を振り上げる。しかし彼女は彼を殺すことができない。

 なぜ彼女が彼を殺すことができないのか?そのとき既に彼女がトリスタンを心の底で愛していたのかどうかは議論が分かれるところである。(実はそれ以前の場面においても、この両者の間に愛が芽生える可能性が暗示される記述は、確かにあるが、明瞭な形ではない。この部分の議論については、文献紹介で挙げているシュレーダー[Schröder]の論文に詳しい。)それが愛の力によるのか?もしそうならそれは彼女の内面に由来するものなのか、それとも愛の女神による外在的な力によるものなのか?あるいはそうではなくて、社会的な習慣が彼女にそのような暴力の行使を思いとどまらせたのか?そこは必ずしも明らかに論じきれない部分である。(ワーグナーの歌劇ではこの時点で既に二人が愛し合っていたかのように描かれている訳であるが。)

 さて、二人の愛が顕在化するのはその後である。すなわち、金髪のイゾルデをアイルランドからコンウォールへ連れて行く船の上で、彼女とトリスタンは誤って媚薬を飲んでしまったが故に、いわば不可抗力的に離れられなくなってしまう。このことについても、これが二人の愛の始まりと見なせるのか、いやいや、既に愛は二人の心の底に隠れていたのであり、媚薬はそれを暴いたにすぎないのではないか、という形で議論は大別される。(このあたりもシュレーダーの論文に整理されている。) 

 二人の愛が内発的なものであるのか、それとも偶然のいたずらで物質的・外発的要因によるものであるのか、という点は、彼らの宗教的な罪を考える際に意味を持ってくるだろう。ふたりは自発的に許されぬ関係に進んでいったのか、あるいはそれは偶然によるもので、自分たちの意思とは関係なかったのか、ということが問題となる。(そもそも中世のキリスト教神学においては、なぜ神の被造物であるはずの人間が悪を為し罪を犯すのか、更にはなぜ神は悪魔[堕落した天使]がいるのを許すのか、という問題について、神が人間にも天使・悪魔にも[程度の差こそあれ]自由意志を認めたからである、という説明が試みられた。その自由意志の度合いが制限されれば予定説的な要素が強くなるが、その場合、悪がはびこる責任が神に帰されてしまい都合が悪くなる。中世キリスト教神学の祖とも言えるアウグスティヌスもこの問題について考察していた。この問題については、以下を参照:J.B.ラッセル著、211-225頁。)

 


 5.「婚外の愛」の是非
 ゴットフリートが作中で、ヴォルフラムをけなしていたのだろう、ということは既に述べたが、ヴォルフラムは大作『パルツィヴァール』において、主人公に関しては夫婦の間のミンネを中心として描いている。仮に夫婦の間のミンネに身を任せ狂おしく愛し合えば、ハルトマンの『エーレク』の主人公のように世の批判を浴びることもある。教会の介在する婚姻の枠組みに沿った愛は、子孫を残すための必要悪であるという考えが中世においては強かった。節度が求められたのは言うまでもない。夫婦の関係は、密過ぎても疎遠過ぎても良くないのであり、そのあたりの節度や中庸の意味をハルトマンは『エーレク』および『イーヴェイン』の中核的問題としている。そのことは、現実世界において夫婦の関係の尺度が定まっていなかったことの証左でもあろう。

 さて、しかし『トリスタン』での愛の問題は、それとはまた別のものである。トリスタンは主君マルケ王に嫁ぐべきイゾルデと男女の関係に進んでしまう。それは夫婦の関係を重視する教会の方針と根本的にそぐわないと考えられることである。しかし、だから本当に許容されないのか。

 気をつけねばならないのは、いかに中世ヨーロッパであっても、キリスト教会が完全に道徳的規準を浸透させて、人々がそれに服従しきっていたということは無い、ということである。愛に関する道徳は、幾筋ものコンテクストがあり、時にそれらは互いに矛盾しながら併存していたことは決して忘れてはならない。

 トリスタンとイゾルデの間の関係を正当化することは物語的な論理において可能かもしれない。たとえばトリスタンはアイルランドの地を荒らしていた竜を退治するのであり、竜を退治してくれた者にはイゾルデを嫁に授けようという触れを彼女の父である王は出していた。その意味で、少なくともアイルランドの王国内においては、トリスタンはイゾルデと結婚するに値する男性であるかもしれない。もっとも楽人タントリスとして身分を偽っていたトリスタンがその時点でイゾルデと結婚するのは常識的に難しいだろうが。(たとえば以下を参照。Anina Barandun, S.166.)

 夫選びにおける「力の論理」は作品成立当時の13世紀初頭には人々の間である程度は共有されているものだっただろう。少し前にハルトマンが『イーヴェイン』で描いたところでは、主人公は敵の騎士を倒し、その妻を自分の妻とすることになるが、彼女がそれを決意するのは、この敵が夫よりも頼りになることがその勝負で立証されている、と侍女に進言されるからである。『ニーベルンゲンの歌』では、アイスランドの女王プリュンヒルトを妻とできるのは、彼女に力比べで勝つことができた勇者のみで、それができなかった求婚者は命を落としてしまう。

 更に別の角度からトリスタンとイゾルデの「婚外の愛」を弁護してみよう。トリスタンとイゾルデがアイルランドへの船の上でおこなった情事の段階では、二人の愛はまだ厳密に言えば不倫ではない。というのもイゾルデがマルケ王と結婚する前であるのだから。しかし、この二人が行っているのは婚外の性交渉である。(これが実際に行われたことは、彼女の侍女ブランゲーネが処女を失った主人イゾルデの代わりに、マルケ王との「初夜」の相手をしなくてはならなくなるくだりから明らかになる。)

 とはいえ、二人は誤って媚薬を飲んだのであり、しかも婚前の性交渉なのであって、それが非難されるべきであるかは「グレーゾーン」の問題であると言って良い。(ワーグナーの歌劇においては、媚薬は二人とも進んで飲むところが、大きく異なる。もっともこの場合も二人は字面的には死を望んで一緒に飲み干すことになっている。)

 もしもイゾルデとマルケ王が結婚した後も二人が自分の意思で「不倫」関係にあり、性交渉もしてしまうなら、二人のマルケ王に対する裏切りは許されまい。随分と露骨な表現を使ってしまったが、性交渉の有無は重要なポイントなのである。ゴットフリートの『トリスタン』において、トリスタンとイゾルデがコンウォールに到着し、イゾルデが正式にマルケ王の后となった後も、二人は密会を重ねるし、濃密な描写は多いのであるが、しかし明らかに性交渉が行われたと断言できる描写はないのである。(これは筆者が把握する限りであって、見落としていたらご容赦いただきたい。)この二人の関係については、ゴットフリートの描写もかなり際どい。有名な愛の洞窟(Minnegrotte)の場面においても、彼の比喩的な描写を『エネアス物語』のそれと重ね合わせて読んでみるならば、おそらく二人が互いの肉体をむさぼるように愛していた、とも解釈できてしまうように思うのだが(トリスタンが食べ物のためではなくむしろ楽しみのために狩りをするという叙述は[17242-17270]、『エネアス物語』の場面でエネアスとディドーの情事を狩りのメタファーで表現している部分と重ね合わせることができるのではないか、と筆者は考える)、少なくとも言葉の上では、あくまで精神的な愛を深めている「かのように」描かれている。(この愛の洞窟の描写については、文献紹介の部分で挙げているランケの論文が決定的な基本文献となっている。少し種明かしをすると、愛の洞窟の描写は教会のそれを思わせるものであり、そこで深められる二人の愛には宗教的な神々しさが暗示される訳であるが、問題はそれが前述のデ・ボーアおよびマウラーの議論にあるように、中世キリスト教的な神の存在を暗示するのか、それとも異教的な愛の女神ヴェーヌスを暗示するのか、という点で、更なる論争の分かれ道を用意するのである。)

 


 6.肉体性と精神性の矛盾
 このように見てくると、ゴットフリートはその筆をもって、トリスタンの不倫を助ける共犯者になっているようにも見えてしまうし、そのように自らの才知をトリスタンに託すことによって、宮廷の掟も、教会をも欺き、出し抜いて、限りなく「クロに近いシロ」のスリルを共に楽しんでいるようにも思われてくる。

 もちろん、これは拙論の筆者の個人的な読み方で、このゴットフリートを神学的な議論に通じた、キリスト教に忠実な人物として捉える考えもある。そして故にこそ、この「不倫の書」を未完に終わらさざるを得なかったのだ、と考えることも可能かもしれない。

 拙論の筆者は次のように感じている。

 トリスタンは官能的な愛に身を任せるとしても、その官能性は多分に精神的なものであり、イゾルデと「共にある」ことを欲しながらも、二人の間には超えられない小川が流れている。平穏な生活の中に共に生きる喜びが描かれているのではなく、始めは敵同士であり、後には主君の后と家来という立場であり、その立場の中で、実際に二人は宮廷文化の華としてそれを体現する貴婦人であり、貴公子である。そして宮廷的恋愛における男女の愛の緊張感と芸術性はしばしば恋愛歌謡(ミンネザング)に描かれるように、愛の直接的な成就の不可能性を前提とする。

 近くに寄り添っていても合一しえず、遠く離れていても結び合っている、という肉体性と精神性の矛盾は、もしかしたら中世に限らず近・現代にいたるまでのドイツ文学が描く恋愛の中心テーマであるかも知れない。体が朽ちても愛は高貴でなければならないし、逆に、体が生気に満ちていても愛が成立するとは限らない。むしろ死にゆく体に愛が燃えるという逆説は、体を消してこそ愛が引き立つのだとさえ思わせる。

 その一例として分かりやすいのは「愛の洞窟」の描写である。表向きの描写として、トリスタンとイゾルデはこの二人だけの世界において、詩歌管弦に耽る。彼らの愛は情動的なものを昇華する宮廷文化を体現しているようにも見え、それは意外と冷ややかなものでもあり得る。互いの身を求めながら、肉体的なものに淡泊に見えるところもある。宮廷風恋愛とは、距離があるからこそ静かに発火するのである。それゆえ愛が弱い、というのではない。忘れてはならないのは、肉体関係を捨象した精神的な愛は、より罪深く、美しく、厄介である、ということである。

 また、マルケの国を逃れ、イゾルデに会えなくなったトリスタンが、そのまま再会を果たすことなく終わるゴットフリートの『トリスタン』の結末は、宗教的な倫理観が背景にある、というよりも、作者の美的な判断によるものだったのではないか、と筆者は感じる。そのまま朽ちてゆく身を描く中に、洗練され、そして捉えがたい愛を読み取らせようという意図があるのではないか、と。(無論、そのように意図してゴットフリートが筆を置いたとは限らず、死によって断筆となった可能性もある。Vgl. Thomasek, 2007, S.225ff. ちなみにトマゼックはこの中断が、今後の続編制作を見越した意図的なものであったのではないか、と示唆している。) 

 

 参考文献

使用テクスト:

 Gottfried von Straßburg: Tristan und Isolde, Band 1, herausgegeben von Walter Haug und Manfred Günter Scholz, mit dem Text des Thomas, herausgegeben, übersetzt und kommentiert von Walter Haug, Berlin 2011.

その他

  ・Anina Barandun: Die Tristan-Trigonometrie des Gottfried von Straßburg, Tübingen 2009.
 ・de Boor, Helmut: Die Grundauffassung von Gottfrieds Tristan. In: Deutsche Vierteljahresschrift für Literaturwissenschaft und Gesitesgeschichte 18, Halle 1940, S.262-306.
 ・Kozu, Haruhisa ( 高津春久 ): Gottfrieds Minne-Auffassung – Eine vergleichende Untersuchung seines Wortpaares „liep und leit“ mit Thomas und Reinmar – , 日本独文学会『ドイツ文学』49, 1972 秋季、77 頁.
 ・Maurer, Friedrich: Leid, dritte Auflage, Bern 1964, (erste Auflage 1951).
 ・Thomasek, Thomas: Gottfried von Straßburg, Stuttgart 2007.
 ・J.B.ラッセル著、野村美紀子訳『サタン―初期キリスト教の伝統』、教文館、1987年。

*文献について

 作品についての学術的な情報や研究文献については、既に本サイト上で一條麻美子氏の解説に過不足なく紹介されており、ここではそれを補足する形で、本論のテーマととりわけ関係が深く、また『トリスタン』の愛について考える際に有用と思われるものを挙げておく。(その選択はまったく独断によるものである。)

【ドイツ語の論文】
 一般の読者には恐縮だが、まずドイツ語の論文を二本挙げたい。
以下の2編のドイツ語の論文は、いずれも論文自体が文章として美しく、また『トリスタン』の愛について考える際の解釈のベースとなるであろう。

F.ランケの論文についての概説的な紹介は本文の中にも記したが、とにかくこの論文はトリスタン解釈における北極星とも言えるもので、(各種概説書でおおよその内容は分かるであろうが)やはり一度は自分で読んだほうが良いだろう。論文自体の文章も見事である。

-Ranke, Friedrich: Die Allegorie der Minnegrotte in Gottfrieds Tristan. In: Friedrich Ranke Kleinere Schriften, hrsg. von Heinz Rupp und Eduard Studer, Bern und München 1971, S.13-30 (erster Druck 1925).

以下のW.J.シュレーダーの論文では、「そもそも媚薬を飲む前からトリスタンとイゾルデの間には愛が生じていたのではないか」という解釈に対する反論を出発点として、いや、二人が媚薬を飲んでしまったのはやはり偶然であり、それは予期し得ない運命であって、何事にも予期して巧みに生きることを得意としていたトリスタンが、まさに人生の決定的な瞬間で予期し得ない運命に翻弄されてゆく、という皮肉を著者は見ているように思われる。作品を内在的に解釈しながら、そこに人間の行動の不思議さや人生の皮肉を読み込む作品論は、70年代以降の研究では時代遅れとされたかもしれないが、やはり「文学」の読みの基本であると筆者(渡邊)は考える。

-Schröder, Walter Johannes: Der Liebestrank in Gottfrieds Tristan und Isolt. In: Euphorion 61 (1967), S.22-35.

【「トリスタンの愛」を論じる際の出発点となるであろう日本語の一般書】

以下はあまりに有名であるが、ヨーロッパにおける恋愛論の出発点であり、トリスタンの愛の問題を論じる際も読んでおくべきだろう。

-プラトン:『饗宴』、久保勉訳、岩波文庫、1952 年。

以下のルージュモンの著書はカタリ派の思想伝統の延長上にトリスタンの愛を捉える、という基本的姿勢が特徴的である。

-ドニ・ド・ルージュモン:『愛について―エロスとアガペー―』、鈴木健郎・川村克己訳、岩波書店、1959 年。

【流布本系のトリスタン伝承の邦訳】

以下の邦訳はトリスタンを題材とした流布本系の物語のそれであるが、ゴットフリートの『トリスタン』と読み比べると、その愛の様態について様々なことに気づくであろう。また訳文自体も優れており、ゴットフリートが描いた宮廷風の愛の物語とは異なる、狂おしくなりふり構わぬ愛をつい追ってみたくなる。ある意味で人生の実相をより激しく表現しているとも感じられ、必読である。

-『トリストラントとイザルデ』、小竹澄栄訳、国書刊行会、1988 年。

【中世ドイツ宮廷文化の歴史学的実相を知るための図書】

以下は日本における中世ドイツ宮廷文学を取り巻く歴史的な実相に迫る訳書として必読のものである。実のところ、13世紀初頭の物質的な史料はそう多いものではなく、考古学的な成果や文献学的・文学的な細かな読解によって、当時の文化史的・精神史的な実像が再現されうる。そのような宮廷社会とその成員たちの文化的実相を踏まえてこそ、諸作品により近い視座から解釈を始めることができるのだと言えよう。平尾浩三氏は日本における本格的・実証的な中高ドイツ語・ドイツ文学研究のパイオニアの一人であると同時に、1970年代以降に中高ドイツ語学・文学の両分野で研究者・教員を多く育て、日本とりわけ関東における中高ドイツ語学・文学研究を牽引してきた。以下の訳業もその成果の代表的なものと言えよう。

-ヨアヒム・ブムケ:『中世の騎士文化』、平尾浩三、和泉雅人、相澤隆、斎藤太郎、三瓶慎一、一條麻美子訳、白水社、1995 年。

【『トリスタン』解釈に関する日本の論文】

以下の4編の論文は日本独文学会の雑誌『ドイツ文学』に掲載された『トリスタン』関連の論文である。

(日本独文学会のホームページからダウンロードできる。ドイツ文學 (jst.go.jp))

柏木氏の論文は、プラトンの『饗宴』に始まり中世キリスト教文化に受け継がれて死のイメージを色濃くしていった恋愛の文化的伝統をマクロな視点で踏まえた上で、社会と個人、アガペーとエロス、生と死、理性と肉体、といった二項対立を内包して矛盾を止揚しきれずに鬱屈する「トリスタン的な愛」をまさに文学的な筆致で描き出すもので、文学論文であり文化史学論文と言って良いかもしれない。

上に挙げたルージュモンの学説に依拠するものであり、その発表年を見るにつけ、まさにドイツで『トリスタン』の「解釈」が盛んであった時期の文学的香気を再現したかのような格調の高さと志を感じる。

-柏木素子:ゴットフリートの「トリスタン」について、 日本独文学会『ドイツ文学』24、1960 年 5 月、72-81 頁。

高津春久氏はミンネザングの翻訳によって我が国の中世ドイツ文学鑑賞と研究のベースを作った。以下の論文もとりわけ恋愛詩人ラインマルのミンネ観念との比較からトリスタンの愛の特性を見せてくれる。

-Kozu, Haruhisa ( 高津春久 ): Gottfrieds Minne-Auffassung – Eine vergleichende Untersuchung seines Wortpaares „liep und leit“ mit Thomas und Reinmar – , 日本独文学会『ドイツ文学』49, 1972 秋季、70-79 頁.

以下の岡本(一條)麻美子氏の論文はゴットフリートの『トリスタン』とハルトマンの『グレゴーリウス』『エーレク』に記される人物の年齢に着目し、両詩人が11歳という年齢にこだわりを見せており、それが大人になる一歳前、すなわち子供の最後の年齢として意味を持つことを文献学的な読解から説明し、その上で、ゴットフリートはハルトマンの「宮廷の喜び」を意識しながら「愛の洞窟」の場面を描いたのだ、という結論を導きだす。そこからの岡本(一條)氏の推論は絶妙で、ゴットフリートは作中でハルトマンを称賛しヴォルフラムを批判しているように見えながら、実のところ前者については脅威を感じておらず、むしろ後者をこそ警戒すべきライバルとして力量を認めていたのではないか、という微妙な心理を読み取る。(つまりゴットフリート自身が11歳で愛の洞窟を理解した、そこではアルトゥース・ロマーンが楽しまれている、という二つの情報を繋げると、ゴットフリートがハルトマン的なアルトゥース・ロマーンの世界を「大人の文学」と見ていないのではないか、という読み筋が開けてしまうということであろう。) 岡本(一條)氏の下記論文は、中高ドイツ語宮廷文学の世界における詩人同士の微妙な鞘当てを読み取り解明するものであり、その世界が如何に繊細な感覚に満ちたものであり、また人間臭い世界であったかを、綿密な文献学的センスと共に楽しませてくれる。ちょうど日本の王朝文学の研究者が紫式部と清少納言の間のライバル関係を両者の文章の中に嗅ぎ取るように。

岡本麻美子:「愛の洞窟」と「宮廷の喜び」―ゴットフリート vs. ハルトマン―、日本独文学会『ドイツ文学』83、1989 年秋季、105-114 頁。

またこの岡本(一條)氏の論文は、宮廷文学における子供と大人の境界線の微妙さを浮き彫りにしているが、『トリスタン』の物語を考える上でもこの視点は重要であろう。というのも恋愛とは精神的成熟を伴うべきものであるとするならば、精神的に未成熟なところを残しながらもイゾルデとの愛に生きるトリスタンの姿はグロテスクにも見えてくるものであろうから。上に挙げたW.J. シュレーダーも言及しているところなのであるが、トリスタンには自分の能力をいかなる状況でも目的にかなう形で発揮して見せるという、それ自体に人生を賭けているような見方も可能である。そのような人物がよりにもよって愛の殉教者となるには、何らかのきっかけが確かに必要だろう、ではそれは何なのだろう、という考察を呼び起こす視点なのである。

以下の石井正人氏の論文もまた上の問題意識を共有するものであったろう。徹底的な内在解釈であり、トリスタンとイゾルデという年少者の成長を当人たちの視点を共有して追体験するかのような筆致である。すなわち、両人とも内面の自発的な成長を待たぬままに、宮廷社会をうまく生きる術を教育によって授けられたのであり、自分も他者も欺いて折り合いをつける宮廷的遊泳術に通じてしまった二人が、それとは不釣り合いな永遠の愛を運命づける媚薬を飲まされてしまった、という悲劇的アンバランスを主張している。その意味でゴットフリートは二人の愛が理想の愛であるとは考えていないということを示唆する。

石井正人:愛の楽園の崩壊―ゴットフリートの『トリスタン』について―、日本独文学会『ド イツ文学』88、1992 年春季、124-134 頁。

以下の田中一嘉氏の論文では、トリスタン伝承を全般的に説明した上で、13世紀初頭のドイツ宮廷文学におけるキリスト教会的な夫婦を基本とする男女の愛と、貴婦人との婚姻外の愛をベースとする宮廷風恋愛という、相対立する二つの軸を設定した上で、トリスタンとイゾルデの物語(いわゆる流布本系の『トリストラントとイザルデ』)を考察している。田中氏はその際、男女の間の愛の質について考察を進めるのであり、媚薬を偶然にも飲むという不可抗力による愛と、あくまで自由意志により遂行する愛、という二つの要素が交錯している様を手際よく解説してゆく。その先に「死」が見え隠れしているところに「トリスタンの愛」の特殊性を見ているが、その思想的な背景としてキリスト教の異端の一つとされたカタリ派の影響による恋愛観(ルージュモンの学説に従うものであるが)を見ている。西ヨーロッパのトリスタン伝承を広く深く捉えながら、その愛の本質を詳述しているところに本論稿の妙味があろう。

田中一嘉:情熱とイデオロギーの相克、成蹊大学人文叢書14『文化現象としての恋愛イデオロギー』、2017年、147-186頁。

 以上、筆者が思いつくままに関連書籍・論文を列挙したが、無論、この他にも多くのすぐれたトリスタン関連の業績が日本国内で生み出されてきた。今回は、とりわけ「トリスタンの愛」の議論に初学者が入ってゆくためのちょっとした道案内となれば良いと考えるので、他の諸業績については、今後に寄稿する皆さんにお任せすることとしたい。

 
記事作成日:2022年3月31日  
最終更新日:2022年4月1日

 

 

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