The International Arthurian Society - 国際アーサー王学会日本支部

スペインにおけるアーサー王の伝統:中世から『ドン・キホーテ』まで

小川 佳章(立教大学教育講師)

 

「するとあなた方は」と、ドン・キホーテが答えた、「われわれがスペイン語ではいつもアルトゥス王と呼んでいる、かのアーサー王の音に聞こえた数々の偉業を記した年代記や歴史をお読みになったことがござらぬのかな?」(『ドン・キホーテ』、前篇1章、p.217)

【はじめに】
1.日常生活の中のアーサー王伝説
少し古い情報だが、スペイン統計局(Instituto Nacional de Estadística)がweb上に提供するデータ[1]によると、2011年現在2300万人ほどいるスペイン人男性のうち、英語の「アーサー」にあたる「アルトゥロ」(Arturo)さんは3万人弱だという。地域差はあるものの、一部の県では全体の2%を超える、ポピュラーな名前になっている。ちなみに女性形の「アルトゥラ」(Artura)さんは、ぐっと少なく全国に100人以下、しかも平均年齢が76歳と高齢者に偏っている。ともあれArturo あるいはその古形の「アルトゥス」(Artús)という人名は、遅くとも12世紀中頃にはイベリア半島で使われていたことが分かっている。「ガウェイン」に当たる「ガルバン」(Galván)も同様に古くから確認されているが[2]、現代の個人名としては全国で20人未満とみられる(非常に希少な場合、そもそもデータが提供されないため皆無という可能性もある)。しかし姓としては比較的ポピュラーで父系姓、母系姓[3]とも1万人以上が確認されている(理論上、両者には重複があり得る)。マーリンに相当する「メルリン」(Merlín)も初出は13世紀と古く、少数ながら現代人でも男女ともに見られる名である。平均年齢が男性23歳、女性30歳という点から見て、ポップカルチャーの影響による名づけとも考えられる。たしかに現代人の名前とアーサー王伝説が直接結びつくとは限らないが、このような姓名をもったスペイン人たちがアーサー王と円卓の騎士たちに、我々とは違った種類の親近感を覚えていたとしても不思議はない。その傍証となりうるのが、イベリア半島の聖杯信仰である。読者は驚かれるかもしれないが、最後の晩餐でキリストが用い、また十字架上で彼が流した血を受けたとされる聖杯(Santo Grial)[4]はバレンシアをはじめ各地の聖堂にあり、いずれも本物と信じられている。ガリシアでは自治州の紋章(州旗)に聖杯があしらわれているほどだ。

2.研究史
このように民衆の心に根を下ろしたイベリア版アーサー王伝説には、研究者たちも早くから注目してきた。たとえばシカゴ大学のピーチ(K. Pietsch)は1913年にマドリード王宮図書館所蔵の写本Ms. 2-G-5が『マーリンの物語』『アーサー王はいかにしてブリタニアを平定したか』『ランスロット』といった中世スペイン語によるアーサー王物語を含んでいることに注目し、その内容を公刊するなど[5]、スペインにおけるアーサー王伝説の研究を精力的に行った。しかしイベリア半島におけるアーサー王伝説はあくまで作品の各個研究が中心で[6]、その全体像が明らかになるのは2015年に2冊の研究書が出版されるのを待たねばならなかった。デイヴィッド・フック が編集した『イベリア人たちのアーサー』(The Arthur of Iberians[7]では11名の研究者がスペイン語(カスティーリャ語)のみならず、ガリシア語、ポルトガル語、カタルーニャ語によるアーサー王関係の文献を包括的に扱っている。いわゆる「スペイン帝国」の空間的・時間的広がりの大きさゆえに、同書はスペイン・ポルトガルの植民地となった近世アジア、アメリカ大陸での文学活動や、現代スペイン語圏のポップカルチャーにまで言及している。特にイベリア半島へのアーサー王伝説の流入過程を時系列に沿って検討したパロマ・ガルシア、『アーサー王の死』、『ランスロット』、『聖杯の探求』といった作品のイベリア諸語版について、全ての写本と印刷本をリストアップして書誌学的な注解を施したホセ・マヌエル・ルシア・メヒアス、アーサー王伝説のスペイン文学と文化活動への影響を論じたカルロス・アルバルらの論文は本稿が扱おうとするテーマに関する基本文献と言える。また、アルバルは同年に単著『スペインにおけるアーサー王の存在と不在』(Presencias y ausencias del rey Arturo en España)を上梓し、一部内容が重複するものの、同じテーマをさらに深く論じている。本稿ではこれらの研究に従いつつ、スペイン(特にカスティーリャ)文学史上の重要な作家・作品とアーサー王の伝統との関わりを概観することで、紹介者の任を果たしたい。

 

【騎士道物語以前】
スペイン国産の騎士道物語である『騎士シファルの書 (Libro del Caballero Zifar)、『アマディス・デ・ガウラ』(Amadís de Gaula )、『ティラン・ロ・ブラン』(Tirant lo Blanch) などの成立以前、文学テクストがアーサー王や円卓の騎士たちに言及することは稀である。数少ない例として、まずは13世紀初めにカスティーリャ北部またはレオンの聖職者が書いたと考えられる『アレクサンドロスの書』(Libro de Alexandre) [8]を見てみよう。現代の校訂版では第1798連の第1行が「ブリトン人はアーサーを大いに誇りとする」となっている[9]。しかし現存する2写本のうち、一方は「アーサー」にあたる「アルトゥス」(Artús)という語を「技芸」(artes) と読んでおり、もう一方ではこの語が完全に欠落しているばかりか、詩行全体が書き換えられている。「アルトゥス」という読みは、作者が参考にしたと考えられるフランス人聖職者ゴーティエ・ド・シャティヨン (Gautier de Châtillon:1201年没)による中世ラテン語版『アレクサンドロスの歌』(Alexandreis[10]に基づいて研究者が復元したものである。このことから、少なくとも写本の写字生たちは「ブリトンのアーサー」のことを知らなかった可能性が高い。

レオン・カスティーリャ王にして稀代の知識人でもあったアルフォンソ10世(賢王:1284年没)の主導のもとに編纂された『万国史』(Grande e general estoria)はジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』(Historia Regum Britannniae)を資料として用いたことが確実視されている[11]。しかし、『万国史』におけるブリタニアの記述はカエサルの時代で終わり、アーサー王伝説に関する部分は引用されない。

一方、アルフォンソと彼の協力者である匿名の詩人たちがガリシア語で書いた『聖母頌歌集』(Cantigas de Santa María)には、アーサー王伝説への直接的言及がある。まず焼失した教会の再建のために奔走するフランス人聖職者たちと奇跡によって彼らを助ける聖母マリアを歌った第35歌では、司祭たちを乗せた船がドーヴァーに着くと、「その町はアルトゥス王が建てたのだが」という注釈が入る。もっともこのコメントは史実に反し、上記の『万国史』の記述とも矛盾している。第41歌にもブリタニアの王としてのアーサーの名が見え、第108歌では聖母がマーリンの願いを聴き入れたというエピソードが語られる。 アルフォンソ賢王は恋歌の名手でもあった。彼が若き詩人に仮託して愛する貴婦人との別離を歌った「奥様、私にはよく分かっておりました…」には「パリスもトリスタンも愛においてこれほど苦しみはしませんでした。この世の誰も、またこれから生まれてくる者どもも、決してこのような熱情に苦しむことはありますまい」という詩行がある[12]。また、アルフォンソの娘婿にあたるポルトガル王ディニス(1279年即位)も詩人であり、トリスタンとイズーの物語に言及している。やや時代は下るが1330年代に完成したと思われる『よき愛の書』にも「かのブランカフロールもフロールに対して/ またトリスタンもその愛においてテレサほど忠実ではなかった」(1703連)[13]という記述がある。以上のことから遅くとも13世紀後半には、レオン・カスティーリャの貴族や聖職者の間でトリスタンとイズーの悲恋が知られていたものと思われる[14]

 

【騎士道物語】
1.危機の時代の宮廷文学

イベリア半島において自前の騎士道物語が誕生する前提条件として、その規範となるアーサー王伝説そのものが広く知られる必要があった。半島東部では、現地で用いられるカタルーニャ語と、南仏のオック語との親和性のおかげで、吟遊詩人の活躍によって南仏から円卓の騎士たちの恋と武勲が伝わったが、半島中部に位置するカスティーリャ語圏では、テクストの翻訳によってアーサー王伝説が知られるようになった。レオン・カスティーリャ王国では、アルフォンソ賢王の子サンチョ4世が若くして亡くなり、以後フェルナンド4世、アルフォンソ11世(正義王)と幼年の王が続く。サンチョの妻マリアは彼らの摂政となって野心的な王族や貴族と対峙した。実のところ、サンチョ4世の死(1295年)からアルフォンソ11世の親政開始(1325年)までの政治的分裂と混乱の時代にこそ、アーサー王文学のテクストが精力的に収集され、カスティーリャ語に訳されたのであり、スペイン語による最初の騎士道物語である『騎士シファルの書』(Libro del Caballero Zifar)も生まれたのである。こうした事情についてカルロス・アルバルはその背景に悪をくじき、弱きを助けるという騎士道的な徳目を広めることで社会の安定を図った教会の意図を指摘する。つまりフィクションのなかで騎士たちが守ろうとする「寡婦」は宮廷におけるマリアであり、「孤児」は幼くして即位した王たちを表しているというのである[15]。たしかにサンチョ4世の生前から、彼と妻のマリアは早世したサンチョの兄フェルナンド王子の遺児たちを担ごうとする貴族たちを抑えるため、トレド大司教をはじめとする国内の宗教的権威を後ろ盾とした。

これと対照的なのが太后マリアおよびアルフォンソ正義王の政敵であるとともに、同時代を代表する作家の一人でもあったドン・フアン・マヌエル(Don Juan Manuel, 1282年-1348年ごろ)の態度である。彼はアルフォンソ10世の甥であり、幼い王たちにとっては遠縁の伯父に当たる。所有する狩猟用の鷹に「ランサロテ」(Lanzarote)と「ガルバン」[16]という名を付けていたことから、ドン・フアンが円卓の騎士たちの「武勲」について無知であったとは思えない。彼は代表作『ルカノール伯爵』(El conde Lucanor)[17]や『騎士と従士の書』(Libro del caballero et del escudero)などで、騎士道の理想を繰り返し語る。ただしその際に騎士道の鑑(かがみ)として、実在のスペインの騎士ロレンソ・スアレス (Lorenço Suárez: 第1部第15話および第28話)や、外国人であるイングランド王リチャード1世(同第3話)、異教徒のサラディン(同第25話および第50話)らを引き合いに出すものの、アーサー王と円卓の騎士たちには言及しない。『ルカノール伯爵』がマリア太后の孫であるアルフォンソ正義王との決定的対立(1328年)以降に成立していることを踏まえると、政治的党派性が宮廷人の文学的活動に影響を与えた好例と言えるだろう。

2.『騎士シファルの書』

ともあれ、西暦1300年前後から、『ランスロット』、『聖杯の探求』、『メルリンの物語』といった作品がカタルーニャ語やガリシア語を経由してスペイン語に訳され、これらにインスピレーションを得たと思われるスペイン産の騎士道物語が書かれはじめる。最も古いとされるのが『騎士シファルの書』(Libro del caballero Zifar)である。おそらく1300年頃、宮廷に近い聖職者または実務家によって書かれたというのが通説である。初版は1512年、セビーリャで出版されているが、この印刷本と失われたオリジナルをつなぐと思われる写本も発見されている。

物語の第1部と第2部では、インドの没落王家に生まれた主人公シファルが生き別れた妻と2人の息子を困難の末に取り戻し、豊かなメントン王国を手に入れる。第3部ではメントンの王となったシファルが息子たちに与えた訓戒を記し、第4部ではシファルの息子ロボアン(Roboán)が父と同様に故郷を離れて冒険を繰り広げた末に、高貴な妻と王冠を手に入れるまでの冒険が語られる。同じくスペインの作品である『アポロニオの書』(Libro de Apolonio[18]からの影響が指摘されるが、特に第4部においては『イヴァンまたは獅子の騎士』が下敷きとされている。すなわち、主人公ロボアンが結ばれる相手は他ならぬイヴァンの息女であり、しかも彼女の侍女の一人がイヴァンの活躍を描いた本を主人公に読み聞かせる。彼は自身の舅(しゅうと)となる人物の物語に大いに喜びと慰めを覚えるのである。『アポロニオの書』と同様、家族と王国の回復という結末が選ばれている。

3.『アマディス・デ・ガウラ』

カスティーリャ語の文学において『アマディス・デ・ガウラ』(Amadís de Gaula)は騎士道物語の代名詞となっている。14世紀中葉には「第1の書」から「第3の書」までの原形が作られ、それをモンタルボ(Garci Rodríguez de Montalvo, 1505年ごろ没)が大幅に改作し、さらに「第4の書」と「第5の書」を付け加えたとされる[19]。最初の印刷本は1508年にサラゴサで出版されている。

この大長編は中世的な想像力に溢れている。ガウラの王とブルターニュの王女との間に不義の子として生まれた主人公アマディスが流れ着いたスコットランドで立派な騎士に成長し、イングランド王女オリアーナを思い姫と定め、様々な試練の後に彼女を正式に妻とする。ただし両名はすでに一度だけ肉体関係を持っており、エスプランディアンという息子が生まれている。成長した息子が「第5の書」の主人公となる。彼は知らずに父と闘い、瀕死の重傷を負わせる(29章)。しかしアマディスは賢者エリサバッド親方(maestro Elisabad)の治療を受けて回復する。その後作者モンタルボはエスプランディアンのコンスタンティノープルでの活躍を描いて筆を置こうとするが、その作者がアマディス親子の守護者である魔法使い「顔知られずのウルガンダ」(Urganda la desconocida)と出会い、魔法のかかった島で主人公たちが今も生きている姿を見せられる。彼らの更なる冒険について書くように命じられるとともに、以下の予言をも授けられる。



この者たちが生きていたとき私も世にあったのはご存じだろう。ふたりのためにどれほど尽くしてやったか、そして(彼らが)深い愛情と変わらぬ心で従ってくれたものもご存じだろう。[中略] 悲しい晦冥(かいめい)の死の訪れを避けられぬとなったとき、天下に並ぶ者なき人物が無情な重い土の下に埋もれるのを遺憾に思い、一同を今いるこの島へ集めた。そして大いなる知識をもって私はみんなと島とに厳重に魔術をかけて島をここに引き寄せ、見たとおり諸王と王妃たちは最も華やかだった時代の年齢と美しさに戻ってその時の玉座に腰かけているのだ。[中略]最後に言っておくのは妖姫モルガンのことだ。長い年月を経て私のあとからやって来て、ブリテン島の統治に再び乗り出す弟アーサーに魔法を掛けてある次第を打ち明けてくれた。その時にはこれらの騎士たちも目覚めるだろう。というのも過ぐるキリスト教徒の偉大な諸王や君主やその跡目相続者が、ともに力を合わせて凄まじい武力をふるって大帝国コンスタンティノープルを奪取し、それに並んで従属する領土や聖なるカトリックの怨敵(おんてき)トルコに奪われた全てを取り戻すためである。(第5の書、99章)


この予言でアーサー王の世界とアマディス一族の物語との時系列が明らかにされるとともに、両者が時空を超える魔法によって、未来には1つに合流することまで語られる。

『アマディス』は大成功を収め、王侯貴族から他人に読み聞かせてもらう必要のある庶民まで、文字通り老若男女を問わず誰もが夢中になった。著作権の保護など望むべくもない時代だったため、アマディスの子孫たちの活躍を描く「続編」が10以上も出版され、時を移さず、イタリア語、フランス語、ドイツ語の翻訳や翻案まで現れた。カルロス・アルバルも指摘する通り、『アマディス』の世界観を構成するトピックの数々はアーサー王伝説から直接・間接に受け継いだものに他ならない。

4.『ティラン・ロ・ブラン』

カタルーニャ語(より正確にはそのバレンシア方言)で書かれているものの、その後のカスティーリャ語圏への影響において『アマディス』に劣らないのが『ティラン・ロ・ブラン』[20]Tirant lo Blanch)である。後述する文豪セルバンテスが「最高の騎士道小説」と評価し、現代のノーベル賞作家M. バルガス・ジョサが再評価した作品は、15世紀の初めに生まれ中頃に没したと思われるマルトゥレイ(J. Martorell)が大部分を書き、未完の原稿を譲り受けたガルバ (Martí Joan de Galba) がごく一部を加筆して完成させ、さらに別人の手で印刷業者に持ち込まれている。1490年にバレンシアで出版された初版本は3部だけ現存する[21]。カスティーリャ語訳は早くも1511年に出ており、これが後にセルバンテスらが耽読した版と考えられる。

物語は英語の「原本」を作者たるマルトゥレイがカタルーニャ語に訳すという体裁を採るが、もちろん虚構である。ブルターニュ出身の若き主人公ティランはイングランド国王とフランス王女の婚礼に出席する旅の途中、騎士道の鑑であり今は隠者となっているウォーウィック伯ウィリアムから騎士道について教えを受ける。彼はイングランドで数々の決闘に勝ってガーター騎士団の創立メンバーとなったのを皮切りに、シチリア島、ロードス島などを転戦して、ある時はフランス王子の恋を助け、またある時は異教徒を打ち破って虐げられたキリスト教徒を開放する。そして「ギリシャ帝国」(ビザンツ帝国のこと)の皇女カルマジーナと運命的な恋に落ちる。難破して漂着した北アフリカで捕囚になるも、イスラーム国家を征服したばかりかムスリムたちをキリスト教に改宗させるという手柄を立てる。皇女と婚約し、皇位の継承者となったティランだったが、突如病を得て都のコンスタンティノーポリを目前にして他界する。悲嘆のあまり今生への希望を失った皇女カルマジーナは遺言をしたため、全ての罪を告白してティランの後を追う。

『ティラン』も『アマディス』と同様にアーサー王伝説の外の世界で展開する物語だが、主人公の生地「ブルターニュ」が暗示するとおり、アーサー王の円卓の騎士たちは文字通り「背景」として登場する。たとえば元ウォーウィック伯たる隠者はティランに優れた騎士の例を挙げてみせる


聖書によれば、際立って優れた騎士というのはこの世に数多く存在した。たとえば教父たち[22]の物語の中には、高貴なヨシュアやユダ・マカベア、さらに諸王の偉業が記されておる。また、名高いギリシャやトロイヤの騎士たち、無敵のスキピオ、ハンニバル、ポンペイウス、オクタウィアヌス、マルクス・アントニウス、その他列挙しきれぬほどの騎士の例がある。(中略) アリマタヤのヨセフ。イエスキリストを十字架から降ろして、聖体安置所[23]にお納めした男じゃ。そしてその系譜に連なる多くの騎士たちがおる。湖の騎士ランスロット、ガウェイン、パーシバル、そして、とくに、その騎士としての徳の高さと純潔さゆえに聖杯探求を達成することができたガラハッドなどじゃ。(33章)


この後隠者の正体を知らないティランが当代を代表する騎士として、他ならぬウォーウィック伯の名を挙げることで、聖書、ローマ史、アーサー王伝説が混然一体となって、『ティラン』のテクスト内の世界と接続する。

84章でもイングランド王が設立したガーター騎士団が「ちょうど昔日のアーサー王の円卓の騎士団のようなもの」と言われる。モーロ人の侵略からキリスト教徒の国を守ろうとするビザンツ皇帝[24]がティランを帝国元帥に任命するのだが、彼の居城の広間には「ボールス、パーシバル、ガラハッドが『危険の座』を巡る冒険を乗り越え、いかに聖杯を探求したかが描かれている」(119章)。また、皇帝がモーロ人の使者たちのために催した大宴会ではアーサーを探し求めるモーガンのパロディ劇が演じられ、その中でアーサーその人が現れて若い騎士たちに教訓を授ける(189-202章)。特に印象深いのは、主人公と思い姫カルマジーナが初めて相まみえる場面である。戦死した兄弟の喪に服す皇女の居室の壁には、なぜか不似合いな「愛」の場面が多数描かれており、西洋古典の中の恋人たちに交じって「トリスタンとイゾルデの愛、グィネビア王妃とランスロットの愛」(118章)が見られるという。ティランの恋がトリスタンやランスロットのそれと同様に逃れられない宿命によるものであり、悲劇的な結末に終わることを暗示しているかのようだ。

 

【黄金世紀】
1. ロマンセ

イベリア半島の大部分を支配下におさめ、地中海と新大陸にまたがる大帝国の基礎を築いたカトリック両王[25]から、フェリペ2世(1556年即位)までは成長と繁栄の時代を謳歌したスペインだったが、フェリペの治世の後半には、対英戦争の敗北やオランダ独立戦争によって繁栄に陰りが見え始める。17世紀に入ると無為な君主が続き、政治・経済分野での衰退は顕著になる。しかし芸術の分野ではバロックが花開き、繁栄の時代が続く。特に文学に限れば、16世紀後半から1660年代ごろが「スペインの黄金世紀」(Siglo de Oro español) と呼ばれる[26]

この時代に新たな生命を得た文学のジャンルにロマンセ (romance)がある。ロマンセの起源と発展については今なお議論があるが、広く受け入れられている説に従えば14世紀ごろから現れた口承文学の一形態であり、比較的単純な韻律と内容の簡潔さのゆえに長く民衆に歌い継がれてきた[27]。とくに1480年のアントワープ版から16世紀中葉までに出版されたロマンセ集に含まれるものは「古ロマンセ」(romances viejos)と呼ばれ、本来の民衆的な性格を比較的よく保っていると考えられる[28]

こうしたロマンセには円卓の騎士たちが登場する。中でも16世紀を通じ人気を誇ったのが「トリスタン殿はひどく苦しんでいる」 (“Mal se quexa don Tristán…”)という歌い出しで知られる一篇[29]と、同じテーマを歌った「トリスタン殿は傷を受けている」 (“Herido está don Tristán…”) [30]である。いずれもトリスタンの悲劇的な死を歌ったものだが、トマやアイルハルト・フォン・オーベルクらによる結末との間にはいくつかの重要な異同がある。これらのバージョンではイズーがトリスタンの死に間に合わないのに対して[31]、スペインのロマンセではトリスタンは恋人である金髪のイズーに抱かれて死ぬ。また彼に致命傷を与えたのが他ならぬマルク王ということになっている。一方ランスロットのロマンセは後代への影響が大きく、ランスロットと王妃グィネヴィアの不倫の恋を取り持った侍女に「キンタニョナ」(Quintañona)という名が与えられている。彼女は王妃のもとに忍んできたランスロットに「ぶどう酒を注いでやった」("le escanciaba el vino”)という。

2.『ドン・キホーテ』の中のアーサー王伝説

ミゲル・デ・セルバンテス・サアベドラ(Miguel de Cervantes Saavedra, 1547-1616)の名を不朽のものにした『ドン・キホーテ』[32]については、その面白さ、難しさ、新しさについて論じた書物が無数にある。本稿ではただ同書に見られるアーサー王の足跡を辿ることにする。まずセルバンテスによる騎士道物語というジャンルの取り扱い方が興味深い。「前篇」の序文で語り手[33]の友人の口を通して「君の本は徹頭徹尾、これまでの騎士道物語に対する攻撃である」と言明される。主人公が死を前にして正気を取り戻し、騎士道小説こそが自身の狂気と罪の元凶だと認めるという結末(後篇74章)とも一応の対応はついている。

そのように考えるなら、ドン・キホーテが臥せっている隙に村の司祭と床屋が郷士の狂気の元になった騎士道物語やその他騎士道に関する書物を次々と「火刑」に処すのも、語り手の意図に添っていることになる。しかし、「審判」が始まってすぐに床屋の助命嘆願により『アマディス・デ・ガウラ』 全4巻は火あぶりを免れる。その理由は「物語芸術の最高峰として刑の執行を免れるべき」というのである(前篇6章)。その後も司祭と床屋は騎士道物語と関連書籍を1冊ずつ検分するのだが、発狂前のドン・キホーテと騎士道談義を交わす仲だったいうだけのことはあり、この種の書物への愛好を隠せない。そのために『アマディス』のように本来であれば容赦なく処分すべき本を救ってしまうあたり、「審判者」として適任とも思えない。詳細な「書誌情報」は作者セルバンテスが若い頃騎士道物語に耽溺していたことの証拠でもある。こうした「騎士道」への批判とも憧憬ともつかない態度表明は、訳者牛島信明の言葉を借りるなら、キリスト教的理想に燃えた自身と祖国の「過去を否定すると同時に肯定」(前篇、3巻、395ページ)する行為であって、数々の騎士道本もドン・キホーテその人でさえも、そうした過去の象徴である。

このような愛すべき、だが同時に乗り越えるべき過去の最も純粋な形態としてアマディスの世界とアーサー王の宮廷がある。本稿の冒頭に引用した箇所を再度検討してみよう。


「するとあなた方は」と、ドン・キホーテが答えた、「われわれがスペイン語ではいつもアルトゥス王と呼んでいる、かのアーサー王の音に聞こえた数々の偉業を記した年代記や歴史をお読みになったことがござらぬのかな?この王に関しては、グラン・ブレターニャ王国の津々浦々にまで知れわたった古くからの伝説があって、それによれば王は死去されたのではなく、魔術によってその姿を烏(カラス)にお変えになった」(前篇13章)


ドン・キホーテにとって、アーサー王物語のテクストは全て事実を記した史書や年代記なのである。彼はアーサーが死んだのではなくカラスに姿を変えただけで[34]、時が来れば再び玉座に上るとも信じている。また王妃と湖の騎士ランスロットとの道ならぬ恋も知っており、本稿でも紹介したランスロットとグィネヴィアのロマンセの冒頭部分「ブレターニャより出で来し時の/ ランサローテにいやまして/ 貴婦人たちにかしずかれし/ 騎士はこれまでよもあらじ」を歌ってさえ見せる(同所)。すでに確認した通り、詩の中で侍女のキンタニョナが果たす役割は、女主人の愛人にぶどう酒を注いであげるという極めて抽象的なものである。しかし通人であるドン・キホーテは「律儀」な彼女が「その恋を打ち明けられて、両人の取り持ち役となった」と確信している[35]

円卓の騎士団とアマディス一族への信仰にも似た感情をもつ老主人公は、先に登場したトレドの聖堂参事会長と論争になり、以下のように主張する


 なんとなれば、アマディスをはじめ、物語(las historias)の中で活躍するあまたの騎士たちが、かつてこの世に存在しなかったなどと人に思い込ませようとするのは、太陽が輝かぬ、氷が冷やさぬ、また大地が作物をもたらさぬと説くも同然だからでござる。(中略)もしこれらが偽りであるとするなら、ヘクトルも、アキレウスも、トロイ戦争も、フランスの十二英傑も、はたまた、今日に至るまでその姿を烏(からす)に変えて生きており、国民が王位への復帰を一日千秋の思いで待ち望んでおるイングランド のアーサー王もすべて存在しなかったことになってしまいますぞ。さらにまた、『グワリーノ・メスキーノの冒険』 や聖杯探求の史実(la historia)は虚偽であり、ドン・トリスタンと王妃イゾルデの恋物語もヒネブラ(グィネヴィアのスペイン語読み)とランサローテのそれと同じくでっちあげにすぎないと主張する者もあろうが、そういう連中は酒の酌をさせてはブリテン島 でその右に出る者のなかった侍女キンタニョーナに現実に会ったことをおぼろげながらに覚えている人が存在するということを肝に銘ずるべきでござろう。(中略)拙者の父方の祖母は上品な頭巾を被った夫人を見るたびに、「孫よ、あの方は侍女キンタニョーナに似ておいでですよ」と言っていたものじゃ。(前篇49章)


また、「賢人メルリン」(マーリン)の名は、騎士道の鑑たるドン・キホーテを憎み彼を邪魔する悪辣な魔法使いどもの筆頭として、度々取り上げられる。例えば「後篇」で主人公はモンテシーノスの洞穴(ラ・マンチャ地方に実在する)に単身降りるという冒険をするが、ロンセルバリェスの戦いに斃(たお)れた英傑ドゥランダルテとその従兄モンテシーノスに魔法をかけ、500年もの間洞穴に閉じ込めているのは他ならぬマーリンである(後篇23章)。もちろんドン・キホーテの思い姫ドゥルシネアに魔法をかけて粗野な田舎娘に変えてしまったのも、騎士道の復興者を憎む魔法使いたちであるとされる。マーリン本人が姿を現すのは後篇の35章である。偉大な魔法使いは中世において「死」のアレゴリーとされた骸骨の姿をとっている。彼は自ら「我輩はメルリン」と名乗り、ドゥルシネア姫にかけた魔法を解く方法を告げる。もっともこれはドン・キホーテ主従を愚弄して楽しもうとする公爵夫妻の仕組んだ芝居であって、思い姫の魔法を解く方法もサンチョが自分のお尻に3300回のむち打ちを加えるというふざけたものである。

このように、セルバンテスがアーサー王物語をはじめとする騎士道文学に言及する際は滑稽なパロディという体裁を取ることがほとんどである。中でもパロディであることが明瞭に見て取れるのは、2回目の冒険で心身を病み、村へ連れ戻されるドン・キホーテが「牛車」に乗せられる場面だろう(前篇49章)。牛島も注記するとおり(前篇3巻、380ページ)、クレティアン・ド・トロアの『ランスロ荷車の冒険』が下敷きになっていることは当時の読者にとっては一目瞭然だったはずだ。つけ加えるなら、騎士としての使命を全うするため、あえて荷車に乗るという、一見「不名誉な」行動を取ったランスロットがかえって名誉を高めたのに対し、自らの意思に反して牛車に担ぎ込まれるドン・キホーテはさらなる醜態をさらして、善良な田舎貴族として培ってきた自身の名声に致命傷を与える結果となる。

以上のことからも、文豪セルバンテスが「ブルターニュの素材」を自家薬籠中のものとしていたことがうかがえるが、アルバルは『ドン・キホーテ』前篇の執筆時点で、『トリスタンの物語』や『聖杯の探求』といった直接の「種本」の出版が50年以上途絶えているにもかかわらず、セルバンテスがこれらのテーマによく通じていたということを指摘している。こういった知識は、すでに失われたロマンセや手稿本からもたらされたのか、あるいはイタリア遊学(逃亡?)時代に蓄えられたのだろうか? また、アルバルはランスロットと王妃の愛を取り持った侍女の名「キンタニョナ」も上記のロマンセから取ったものであろうと認める。

 

【むすび】
以上、「スペインにおけるアーサー王の伝統」という表題の下に重要な作品に絞って紹介してきたが、期せずして中世から17世紀初頭までのスペイン文学史を概観する形となった。むろん大方が「重要」と認める作品の中でも、やむを得ず割愛したものも少なくない。アーサー王伝説がスペイン文学の伝統の中にいかに深く根を下ろしているか、またヨーロッパ中世においてある種の普遍性を得たアーサー王伝説がいかにスペインで独特の発展を遂げたかを理解する一助となれば幸いである。

 

 Notes

^https://www.ine.es/widgets/nombApell/index.shtml (2022年6月10日閲覧)

^2.12世紀中頃という年代が正しいとすると、ジェフリー・オブ・モンマスとは同時代であり、クレティアン・ド・トロワより早い可能性がある。この一見矛盾した状況について、後述するパロマ・ガルシアはアーサー王物語の登場人物の名前だけが吟遊詩人によってイベリア半島に伝えられ、虚実の区別も伝説の詳細も曖昧なまま人口に膾炙(かいしゃ)したのだろうと推測する。

^3.通常スペイン人は2つの姓を持つ。子が生まれると父親と母親からそれぞれの第1姓を受け継ぎ、「個人名」、「父系姓」、「母系姓」の順に名乗る。

^4.「グラアル」(Graal)という語が本来何を意味したのかは定かではない。詳細は本解説の、横山安由美先生の「聖杯」の項と、渡邉浩司先生の「アーサー王物語への神話学的アプローチ」の項を参照。現代英語の Grailと同様、スペイン語でも「聖なるグリアル」(Santo Grial)は「聖杯」(Santo Cáliz)の別名となっている。

^5.K. Pietsch, “Concerning Ms. 2-G-5 of the Palace Library at Madrid”, Modern Philology, 11 (1), 1913, pp. 1-18.

^6.たとえば、中世と黄金世紀(後述)の研究において、最高の権威の一人のみなされるフランシスコ・リコ(バルセロナ自治大学)が編集したスペイン文学史の研究書でも、「アーサー王文学」の項目を立てていない。 Francisco Rico et al. (eds.), Historia y crítica de la literatura española (8 vols.), Barcelona, Crítica, 1980-2000を参照。

^7.本書は、Ad. Putterがシリーズ・エディターを務めるArthurian Literature in the Middle Agesの第8巻として企画されたものであり、同じシリーズは現在第1巻にあたる『ウェールズのアーサー』(1991年)から、第10巻『低地地方のアーサー』(2021年)まで出版が確認できる。これまでにカバーされた地域・言語は英・独・仏・西、伊、蘭、ケルト、北欧となっており、ヨーロッパ中世の諸言語におけるアーサー王伝説の生成と展開をたどるという目的は、おおむね果たされていると思われる。

^8.日本語による解説と対訳(抄)を収めた版がある。橋本一郎(訳注)、『アレクサンドロスの書 アポロ二オの書』(大学書林、1992年)。

^9.例えば、Jesús Cañas (ed.), Libro de Alexandre, Madrid, Cátedra, 1988, p. 443を参照。

^10.ガステールス・デ・カステリオーネ(瀬谷幸男訳)、『中世ラテン叙事詩 アレクサンドロス大王の歌』(南雲堂フェニックス、2004年)、194ページ。

^11.Carlos Alvar, Presencias y ausencias del rey Arturo en España, Madrid, Pigmalión, p. 89-91を参照。

^12.Alfonso X (Juan Paredes ed.), Cantigas profanas, Madrid, Castalia, 2010, pp. 73-75 に基づく拙訳。

^13.フアン・ルイス(牛島信明・冨田育子訳)、『よき愛の書』(国書刊行会、1995年)、482-483ページ。

^14.当該の詩行は作品の末尾に近い「タラベラの聖職者たちの歌」の一部である。ただしこの「歌」は主要な写本のうちの一つにしか含まれず、後代の付加である可能性も否定できない。その場合15世紀まで年代が下ることになる。

^15.Alvar, op. cit., p. 39.

^16.「ランサロテ」は「ランスロット」の一般的な音訳であり、現代でも使う。「ガルバン」は前述のとおり、「ガウェイン」に相当する。

^17.ドン・フアン・マヌエル(牛島信明・上田博人訳)、『ルカノール伯爵』(国書刊行会、1994年)。

^18.作者不詳。13世紀半ば頃の作と考えられる。橋本、前掲書を参照。

^19.近年全訳が刊行された。「第4の書」までの内容に対応するのがガルシ・ロドリゲス・デ・モンタルボ(岩根圀和訳)、『アマディス・デ・ガウラ』(彩流社、2019年)、「第5の書」が同『エスプランディアンの武勲』(彩流社、2019年)である。

^20.J. マルトゥレイ・M. J. ダ・ガルバ(田澤耕訳)、『ティラン・ロ・ブラン』(岩波文庫、2016-2017年)。

^21.田澤耕「解説」、マルトゥレイ、前掲書、4巻、476-482ページ。

^22.原語は Sants Pares (聖なる父たち)。普通「教父」と言えば、アウグスティヌスなど、キリスト教成立以降の聖人を指すので、「聖書によれば」という前提にそぐわない。ちなみにヨシュアは旧約聖書正典の「士師記」、ユダ・マカベア(ユダ・マカバイとも)は同外典の「マカバイ記」で活躍する。

^23.原語 moniment は「墓」とも訳せる。いわゆる「聖墳墓」のこと。

^24.史実とは違い、カトリック教徒ということになっている。126章を参照。

^25.アラゴン連合王国の君主フェルナンド2世とカスティーリャ女王イサベル1世。2人の婚姻関係によって、両王国も事実上の同君連合となった。

^26.ここでは「黄金世紀」を最も狭い意味に解釈しているが、具体的に何年から何年までが該当するかということについては、研究者の間でも意見の一致を見ていない。前述のフランシスコ・リコは、16世紀(後期ルネサンス)と17世紀(バロック)の両方がスペイン文学の黄金時代に当たるという判断のもと、”Siglos de Oro” という複数形の表現を採用している。

^27.8音+8音=16音を1行として各行の終わりが韻を踏むが、この韻は母音さえ合っていればよいとされる(rima asonante)。かつ4行が1連であり連ごとに韻を替えていく。

^28.牛島、前掲書、97-100ページ。

^29.Giuseppe Di Steffano (ed.), Romancero, Madrid, Taurus, 1993, pp. 225-226.

^30.Paloma Díaz-Mas (ed.), Romancero, Barcelona, Crítica, 1994, p. 260-261.

^31.たとえば、トマのバージョンに基づく、ベディエ(佐藤輝夫訳)、『トリスタン・イズー物語』(岩波書店、1953年)、254-269ページを見よ。

^32.引用は全て、セルバンテス(牛島信明訳)、『ドン・キホーテ』(岩波文庫、2001年)による。誤解を防ぐために付記すると、この日本語版は慣例に従って『創意あふれる郷士、ラ・マンチャのキホーテ殿』(1605年)を「前篇」、『創意あふれる騎士、ラ・マンチャのキホーテ殿 第2部』(1615年)を「後篇」として訳したものである。牛島は「前篇」の原題に「前篇」「第1部」などの語がないことから、セルバンテスはそもそも「後篇」を本気で出すつもりはなかったと推測する(同書、後篇一、427-428ページ)。しかし、死期の近い作家に、突如として何年も放置してきた物語の「後篇」を書き上げなければならない事情が生じることとなる。

^33.『ドン・キホーテ』全篇はモーロ人の歴史家シデ・ハメテ・ベネンヘリがアラビア語で書いた手稿を別のモーロ人がスペイン語に訳し、それを「私」がたまたま手に入れて公表したという設定になっている。そのためモーロ人の方が真の語り手だという立場から、作中に登場する「私」を「第2の語り手」と呼ぶこともある。『ティラン』との設定の類似に注意されたい。しかしシデ・ハメテ・ベネンヘリの語りが前面に出る部分は少ないので、本稿では終始表に出る方の語り手を「語り手」と呼ぶことにした。

^34.前出のアルバルはアーサー王がカラスに姿を変えているという伝承について由来不明としている (Alvar, op. cit., p. 123-124)。しかし、死者がカラスなどの生き物に姿を変えて最後の審判の日までこの世、しかも本来の生活空間に留まるというモチーフはケルトの伝承によく登場する。たとえばアナトール・ル=ブラ―ス(後平澪子訳)、『ブルターニュ 死の伝承』(藤原書店、2009年)には、「ある人が死んで神さまがその人を救うべきか、地獄に落とすべきか迷ったとき、その人の魂は、最後の審判のときまでカラスの姿となって、この地上に留まらなければならない」(388ページ) とある。同書202-207ページの「魂が白ネズミになった話」、214-217ページの「魂が小蝿の姿になった話」、385-386ページの「コトニアザンの野うさぎ」、704-705ページの原注13も参照。

^35.スペイン文学では男女の仲を取り持つ女性の働きがよく描かれる。『よき愛の書』のウラカ(またの名をトロタコンベントス)や『ラ・セレスティナ』のセレスティナのように狡猾で強欲な老婆であることが多いが、『ティラン』のプラエル・ダ・マ・ビダ(名前の意味は「わが人生の喜び」)のように清純で忠実な乙女という場合もある。

^36.原語は “Inglaterra”。 牛島は「イギリス」とするが、現代で言う「イギリス」はまだ存在しない。

^37.もとイタリア語の騎士道物語。スペイン語版は1512年にセビーリャで出た後、さらに版を重ねた。

^38.原語は “Gran Bretaña” つまりグレート・ブリテン島の事である。もちろん「小ブリタニア」たるフランスのブルターニュ地方との混同を避けるためにこう呼ばれるのだが、牛島はここを「大英帝国」としている。明らかな時代錯誤なのでこのように訂正した。

 

参考文献表(本文中で言及したもの)
・牛島信明、『スペイン古典文学史』(名古屋大学出版会、1997年)
・カステリオーネ、ガステールス・デ(瀬谷幸男訳)、『中世ラテン叙事詩 アレクサンドロス大王の歌』(南雲堂フェニックス、2004年)
・セルバンテス(牛島信明訳)、『ドン・キホーテ』(岩波文庫、2001年)
・橋本一郎(訳注)、『アレクサンドロスの書 アポロ二オの書』(大学書林、1992年)
・ベディエ(佐藤輝夫訳)、『トリスタン・イズー物語』(岩波書店、1953年)
・マヌエル、ドン・フアン(牛島信明・上田博人訳)、『ルカノール伯爵』(国書刊行会、1994年)
・マルトゥレイ、J・M. J. ダ・ガルバ(田澤耕訳)、『ティラン・ロ・ブラン』(岩波文庫、2016-2017年)
・ルイス、フアン(牛島信明・冨田育子訳)、『よき愛の書』(国書刊行会、1995年)
・ル=ブラ―ス、アナトール(後平澪子訳)、『ブルターニュ 死の伝承』(藤原書店、2009年)
・ロドリゲス・デ・モンタルボ、ガルシ(岩根圀和訳)、『アマディス・デ・ガウラ』(彩流社、2019年)
・ロドリゲス・デ・モンタルボ、ガルシ(岩根圀和訳)、『エスプランディアンの武勲』(彩流社、2019年)
・Alfonso X (Juan Paredes ed.), Cantigas profanas, Madrid, Castalia, 2010.
・Alvar, Carlos, Presencia y ausencia del rey Arturo en España, Madrid, Pigmalión, 2015.
・Cañas, Jesús (ed.), Libro de Alexandre, Madrid, Cátedra, 1988.
・Di Steffano, Giuseppe (ed.), Romancero, Madrid, Taurus, 1993.
・Díaz-Mas, Paloma(ed.), Romancero, Barcelona, Crítica, 1994.
・Hook, David (ed.), The Arthur of Iberians, University of Wales Press, 2015.
・Pietsch, K., “Concerning Ms. 2-G-5 of the Palace Library at Madrid”, Modern Philology, 11 (1), 1913, pp. 1-18.
・Putter, Ad (series editor), Arthurian Literature in the Middle Ages, Cardiff, University of Wales Press, 1991-.
・Rico, Francisco, et al. (eds.), Historia y crítica de la literatura española (8 vols.), Barcelona, Crítica, 1980-2000.

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https://www.ine.es/widgets/nombApell/index.shtml (2022年6月10日閲覧)

 
記事作成日:2022年9月22日  
最終更新日:2022年9月22日

 

 

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