森 ユキヱ (同志社大学嘱託講師)
本格的なアーサー王物語の登場 |
現在でも文学ばかりでなく、絵画、映画、ゲームの世界にまで影響を及ぼしているアーサー王物語の元祖とも
いえる作品が、ジェフリー・オブ・モンマスの『ブリタニア列王史』
Historia Regum Britanniae (The History of the Kings of Britain)
(以下『列王史』と略す)である。彼は1135年から1138年にかけて、『列王史』をラテン語の散文で書き、
当時の有力な支配階級や教会の権力者達に献呈していた。この作品は評判を呼び、数か国語に翻訳され、
多くの読者を魅了した。現存する写本が217を数えるということも、当時の人気の大きさを物語っている。
彼は、これ以前に『マーリンの予言』Prophetiae Merlini
(Prophecy of Merlin) (1130年)を書いているが、これは
後に『列王史』の中間部分にあたる§111~117に組み込まれた。また晩年近くになってから、『列王史』の
中から突然に姿を消したマーリンに再び焦点を当てて、『マーリンの生涯』Vita Merlini (Life of Merlin)
(1150年) を著している。 『列王史』は、ブリタニア島の美しい自然を賛美することから始まり、トロイアのアエネアースの曾孫である ブルータスが紀元前12世紀頃にその島に渡ってから、ブリタニア王国を建国すること、その後の99人もの 王の治世、685年のブリタニア王国の終焉、その後のサクソン人の支配の始まりまでを、fiction を取り混ぜて 描いたものである。したがって現代の我々が理解するhistory という用語にはなじまず、いわゆる「疑似歴史書」 (pseudo-history)と表現されることもある。しかし何と言ってもジェフリーの名前が見逃せないのは、彼の『列王史』が、後のアーサー王物語群に基本的な枠組みを提供したことに他ならない。 作者のジェフリー・オブ・モンマスについては、よく分かっていない。ジェフリーは、1100年頃に生まれ、1154年末か1155年初頭に没している。彼は『列王史』の中で三回、自身について「モンマスのジェフリー」(中世にはラテン語の正しい綴り方という観念がなかったために、Galfridi/ Gaufridus/ Galfridus Arturus Monemutensis と三種類で表記されている)と言及しているところから、イングランドとの国境に近い南ウェールズのモンマス出身であると推定されている。しかし『列王史』に見られる、彼のブルターニュやブレトン人に対する親愛感、また当時ブルターニュにはありふれた名前であるが、ウェールズには極めて稀である「ジェフリー」や、「アルトゥ-ルス」(父の名前)を含んだ公文書における彼の署名などから、彼の一族はブルターニュ出身ではないかという説もある (瀬谷 2007)。 彼のウェールズ語の知識は浅く、本格的な教育はラテン語とフランス語で受けたものとされている。1129 年から 1151 年までオックスフォードに居住し、ベネディクト会修道院の下級修道士からキャリアを始め、途中教職にもついたらしい。 ジェフリーが『列王史』を書いた1135年のイングランドは、ヘンリー一世の死に伴う王位争いで、歴史でいうところの無政府状態(The Anarchy)(1135年-1154年) となっていた。ヘンリー一世には20人以上の庶子がいたが、正式に相続権を持つ嫡子は2人で、長男は既にホワイトシップの遭難 (1120年) で亡くなっており、残るは神聖ローマ皇帝に嫁いで、未亡人になっていた長女のマチルダだけであった。ヘンリー一世は、マチルダをドイツから呼び戻し、王位を継承させようとし、諸侯に、彼女の王位継承権を誓わせた。しかし王が亡くなると、王の姉の息子であるブロワ伯スティーブンは、誓いの無効を主張し、王位を簒奪した。しかしスティーブンは、それ以来、各地の諸侯と激しい戦いを繰り返し、当時書かれた『アングロサクソン年代記』(The Anglo-Saxon Chronicle)は、スティーブンの失政を鋭く批判している。彼の勢力が衰えかけた頃、マチルダはヘンリー一世の庶子であるグロスター伯ロバートと組み王位奪還を計ったために、イングランドはさらに長い内乱の時代を迎える。 こうした時代にあってジェフリーは、自らの聖職者としての栄達も念頭において、時の権力者の動向に細心の注意を払っていた。彼の『列王史』の献呈先は、ある時はマチルダの後援者であるロバートに、ある時はその敵対者であるスティーブンに、また同時に二人の名前が書かれていることもあった。さらに有力な諸侯、教会の上層部の名前も見られる。1152年、ジェフリーはウェールズのセント・アサフ(St. Asaph)に念願の司教職を得たが、赴任地は社会的に政情不安が続いていて、結局その地を踏まずに亡くなっている。 ジェフリーは『列王史』の献辞で、作品を書いた動機は、ブリテン島に住んでいたキリスト以前の王達と、キリスト以後のアーサー王を始めとする偉大な王たちの事績が書かれていないことに驚き、オックスフォードの司教座助祭で、学問に造詣の深いワルテ-ルスから贈られた「ブリトン語で書かれた古い書物」を参考にラテン語に翻訳した、と述べている。「ブリトン語で書かれた古い書物」の存在の有無については、学者の間で論じられてきたが、現在ではそのような「古い書物」の存在に関して、多くの学者達は否定的である。中世では、現代のように作品の独創性が重要視されたわけではなく、また著作権などという法的な権利なども存在していなかったので、あらかじめ定評のある文学作品を典拠・材源として書いたことを明示し、自作の権威付けをはかることは、しばしば行われていた。ジェフリーもまた、その伝統に従っている可能性はあると指摘されている。 アーサーに言及している文献で、ジェフリーが参考にしたものは、ギルダス、ベーダ、ネンニウスの作品である。 アーサーは『列王史』以前は、王ではなく戦いのリーダーのような存在であった。6世紀半ば、聖職者の ギルダス(Gildas)は 『ブリタニアの破壊と征服について』 De Exidio et Conquestu Britanniae (On the Ruin of the Britain) の中で、 バドン山で、サクソン人と戦ったブリトン人の総指揮官に言及しているが、彼がアーサーではないかと推測されている。また修道士であるベーダ(Bede)も『アングル人の教会史』 Historia Ecclesiastica Gentis Anglorum (The Ecclesiastical History of the English Nation) で、 バドン山の戦いは、サクソン人のブリタニアへの侵略から44年後に行われ、そこではサクソン軍がブリトン軍に大敗したことを述べている。ギルダスから約300年後の年代記作者ネンニウス (Nennius)は、その著『ブリトン人の歴史』Historia Brittonum (History of the British) で、アーサーの名前を述べ、その武勲を称え、彼が戦闘の指揮官であったことを、はじめて明確に記録している。 ジェフリーは、これらの聖職者や年代記作家の作品ばかりでなく、聖人伝、ウェールズ地方に伝わる吟遊詩人の詩や伝説をまとめあげ、そこに豊かな想像力を加えて、現代にいたるまで魅力を保ち続けているアーサー王物語の基礎を作り上げたのである。 『列王史』の中で、アーサー王に関する描写は、全12巻のうち第9巻から第11巻までを占めており、彼の戦いでの華々しい活躍、その治世、あくなき領土拡張政策、甥のモルドレッドによる王位簒奪、モルドレッドとの最後の戦いなどが、ジェフリーの豊かな想像力をもとに、書き進められている。彼の『列王史』におけるアーサー王物語の主要な登場人物、重大な出来事は、次のように要約される。 アーサーは、父王であるウーサー・ペンドラゴンがサクソン人により謀殺されたことにより、15歳で即位し王となる。サクソン人と激しい戦闘に勝利し、ブリテン島全土を支配下に治める。その後、ローマ人の貴族の血統である、美しきグウィネヴィアと結婚する。彼の部下である騎士には、アーサー王の妹の子供であるガウェインとモルドレッドもいた。さらにケイ、ベディヴィア、カドルなど、彼の活躍に不可欠の重臣の存在があった。彼は人望があり、戦いに長けていて、やがて北欧の国々や、ガリア(現在のフランス・ベルギーなどをふくむローマ帝国の一部)までを征服し、巨大な富を享受するようになる。彼の治世は繁栄を極め、盛大な戴冠式が行われる。一連の行事の最中に、ローマ皇帝ルキウスの使者が登場し、アーサー王のガリア征服の不当さ、ローマへの朝貢の無視を非難し、従わない場合には、武力に訴えると述べる。アーサー王は臣下達との協議を終えると、ルキウスの要求を拒否し、ローマ軍と戦う決定を下し、大軍と共にヨーロッパ大陸に進軍、そこで勝利し、ローマ軍は敗走する。その勢いでローマへ侵攻しようとした矢先に、彼は後事を託した甥モルドレッドが王位簒奪と、王妃グウィネヴィアとの略奪結婚を意図していることを知らされる。急いでイギリスに戻ったアーサー王は、カムランの戦いでモルドレッド軍と対峙する。激しい戦いのさなか、モルドレッドは戦死し、アーサーも瀕死の重傷を負って、アヴァロン島へ傷を癒すために運ばれる。 ジェフリーの作品のなかでのアーサー王は、戦いにおいては勇敢で、王として気前がよく、倫理的に非難される要素のない、ほとんど完全な人格の王として描かれている。モルドレッドはアーサー王の甥で、後世に言われるような、アーサーの近親相姦の結果の不義の息子というわけでもない。ここには円卓もなければ、円卓の騎士団の構成に不可欠の騎士たち、特にランスロットが登場しない。グウィネヴィアの不義の相手は、モルドレッドであって、ランスロットではない。さらに聖杯探究の物語も存在していない。まだまだ数々の描かれていないことを挙げることは、可能である。 しかしながら、『列王史』では、アーサーとグウィネヴィアの結婚、モルドレッドの王位簒奪とグウィネヴィアの不倫、カムラン川でのアーサー王軍とモルドレッド軍の最後の戦い、またこの要約では述べられていないが、アーサーの出生にまつわる不思議ないきさつ、後のアーサー王物語には欠かせない魔術師マーリンの登場、など後世のアーサー王物語群に不可欠の要素が描かれている。このように『列王史』は、アーサーの王国の栄光と没落という壮大な物語の基本的な枠組みを提供し、以後数百年にわたって書き継がれたアーサー王物語の基礎を築いたのである。 |
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1-1 Curley, Michael J. Geoffrey of Monmouth. (New York, 1994) Fletcher, Robert Huntington. "The Arthurian Material in the Chronicles: Especially
Those of Great Britain and France." Studies and Notes in Philosophy and Literature Vol. X. (New York, 1906) Irvine, Susan, ed., Anglo-Saxon Chronicle: a Collaborative Edition, Vol. 7, MS. E. (Cambridge, 2004) Jankulak, Karen. Geoffrey of Monmouth. Writers of Wales Series. (Cardiff: U of Wales P, 2010) Kennedy, Edward Donald, ed., King Arthur : A Casebook. (New York, 2002) Tatlock, J. S. P. The Legendary History of Britain: Geoffrey of Monmouth’s
Historia Regum Britanniae and its Early Vernacular Versions. (1950;New York, 1974) http://d.lib.rochester.edu/camelot/text/geoffrey |
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