The International Arthurian Society - 国際アーサー王学会日本支部

円卓

小宮 真樹子(近畿大学准教授)

 

 円いのか、四角いのか、そもそもテーブルなのか?
 広辞苑で「円卓」という項目を引くと、「円いテーブル」という説明の後に「円卓会議」「円卓物語」という二つの関連項目が表示されます。前者は「上下・席次の差別なく円卓を囲んでする会議」と書かれており、後者は「アーサー王物語の別称」と定義されています。
ウィンチェスターの円卓(筆者撮影)

現代ではアーサー王伝説の代名詞となり、平等のシンボルとして広く認識されている「円卓」ですが、中世の文献における記述はいささか曖昧なものでした。実際、中英語辞典によると"Round(e) Table"には複数の定義があるのです。本稿では、その中から以下の三つに焦点をあてて「円卓」の変遷を辿ってゆきます。

 (1)アーサー王が所有していたという不思議な家具
 (2)アーサー王が従えていた騎士組織
 (3)アーサー王伝説に基づいて開催された見世物

 

 初期の作品における円卓
 現存する資料の中で、初めてアーサー王の「円卓」に言及しているのはフランスの詩人ヴァース(Wace。ワースとも)です。彼の『ブリュ物語(Roman de Brut)』(1155年頃に成立)には、以下のような記述があります。

  これらの高貴な諸侯たち、
  自らが最も立派であると考え
  他の者よりも優れていると信じており
  自分が他の者より劣ると考えていない諸侯たちのために
  アーサーは「円卓」を作らせた。
  ブリトン人の多くの物語にはそう書いてある。
  そこでは家臣たち全員が
  堂々と、同じように座った。
  彼らはテーブルに平等に場所をあてがわれ
  同じように給仕を受けた。
  誰も、仲間よりも良い席に着いていると
  自慢することはできなかった。
  全員がテーブルの中央に座り
  誰も外側には座らなかった。(9747-60; 訳は筆者による)

このように、アーサー王が「円卓」を用いて家臣たちを平等に扱ったとヴァースは記しています。
 しかし実際のところ、『ブリュ物語』における「円卓」の描写は謎めいています。最後の2行は原文だと「Tuit esteient assis meain, / Ne n’i aveit nul de forian.」ですが、meainとは「長方形のテーブルにおける中央付近の席」、forainとは「そこから離れた場所にある席」とも読めるのです(Houck 333-334頁)。さらにこの後、ヴァースは宮廷における宴の場面で「王がテーブルに座った後、国の伝統に従い、諸侯たちも地位に応じて付近の席に着いた(10459-62)」と述べています。つまり、アーサーの家臣たちは常に「円卓」で公平な待遇を受けていたのではないのです。
 以上の点から、ヴァースの「円卓」には複数の解釈が成り立ちます。端の席に座らされる者が出ない(=全員が平等に座れる)レイアウトをした長方形のテーブルだったのかもしれません。そして人々が「円卓」に集まったのは、特別な場合のみだったようです。もしかしたらそれは、宴において用いられた家具ではなく、世界各地から集められた家臣たちの組織――「アーサーによる世界支配のシンボル」――を意味していた可能性もあるのです(Schmolke-Hasselmann 60-61頁)。
 アーサー王の「円卓」とは、はたして家具なのか、それとも組織名なのか。12世紀後半に活躍したフランスの詩人クレティアン・ド・トロア(Chrétien de Troyes。クレチアン・ド・トロワとも)は「円卓」を後者と見なしたようです。ガウェインやランスロット、エレックたちが「円卓の騎士」と呼ばれている一方で(Erec et Enide 1662-70)、クレティアンは彼らの用いたテーブルのことを詳しく描写していないのです。そして宮廷のアーサー王は、円いテーブルには存在しないはずの「上座」に座っています(Le Roman de Perceval 907-08)。[1]
 他方、イングランドのラハモン(Layamon。ラヤモン、Lawmanとも)が著した歴史書『ブルート(Brut)』(1189―1200年頃)には、アーサー王の不思議なテーブルが登場します。

全員がテーブルの周りに座っており、外側には誰もいなかった。
どんな種類の騎士であれ、すぐに食事を供された。
彼らは身分の高い者も、低い者も、それぞれの席に座っていた。
そのテーブルにいる者たちは誰も、仲間と異なる種類の飲み物を自慢できなかった。
これがあの、ブリテン人が自慢するテーブルなのである。
そしてアーサー王に関しては、さまざまな嘘が語られている。(Cottonian MS. Caligula, A. IX ll. 22943-56; 訳は筆者による)

このテーブルはコーンウォールの大工から献上されたもので、多くの騎士たちを座らせることができたうえ、持ち運びも可能でした。この世でたった一つの特別な家具を、アーサー王は所有していたのです。
 ただしラハモンは”Round Table”ではなく、通常は長方形のテーブルを意味する“board”という語を使っています。そして、王は同じ食事を供することで部下たちの対立を防いだとも記されています。つまり、席の配置ではなく、平等なメニューが家臣たちの争いを解決したようなのです。ラハモンのアーサー王は不思議なテーブルを持っているものの、それが円形だったと考える根拠はないのです。

 

 最後の晩餐と危険な席
  アーサー王伝説における円卓に大きな変化をもたらしたのは、古仏語で書かれたロベール・ド・ボロン(Robert de Boron)の三部作『聖杯の物語(Le Roman de l’estoire dou Graal)』、『マーリン(Merlin)』、『ペルスヴァル(Perceval)』(12世紀後半~13世紀初頭に成立)です。これらの作品は、円卓を最後の晩餐と関連付けたのでした。

アーサーよ、神のご慈悲があってあなたは王となられた。お父上のユテル殿はたいへん立派な方で、そのご治世に作られたのが円卓です。我らが主がユダの裏切りを示唆されたあの木曜日の晩餐の卓を意味して作られました。 (ロベール・ド・ボロン『西洋中世奇譚集成 魔術師マーリン』横山安由美訳、255頁)

レオナルド・ダ・ヴィンチの有名な絵画の影響で、最後の晩餐といえば長方形のテーブルを連想する人も多いでしょう。けれども、古代から中世にかけての美術作品を見てみると、最後の晩餐のテーブルは馬蹄型や半円型、それに円形でも描かれています。[2]
 キリストのテーブルと結び付けられたことで、アーサー王の「円卓」は「物理的な家具」としても認識されるようになりました。そのことは、以下の描写からも読み取れます。

そしてガウェインとイウェインとランスロットと円卓の者たち全員も同じようにした。そこでパーシヴァルはアーサー王に向かい、円卓と、そこに座る者たちが見たいと言った。(The Didot Perceval 148;訳は筆者による)

騎士たちが「cil de le Table Reonde(=円卓という組織に属する者たち)」と言及された後で、彼らが座る場所もまた「円卓」と呼ばれています。このように、ロベールは「円卓」を選ばれし騎士たちの肩書であると同時に、彼らのテーブルの名称としても用いました。それまでの作品における曖昧な記述とは対照的に、上の引用は「円卓」が「(1)家具」と「(2)騎士組織」両方の定義を持つようになったことを示しています。
 もうひとつ、ロベールの作品は円卓に大きな変化をもたらしました。最後の晩餐と結び付けられた結果、「危険な席」が設けられたのです。これはキリスト(場合によってはユダという解釈も)が座っていたとされる特別な場所であり、資格のない者が座ると命を奪われます。ヴァースやラハモンが宮廷における平等な扱いに焦点を当てたのに対し、ロベールの三部作は円卓が善人と悪人を分ける、選ばれし者たちの場であることを強調しています(『魔術師マーリン』 255頁)。そして、向こう見ずな若者パーシヴァルが強引に「危険な席」に座ったために、罪のつぐないとしての聖杯探しがスタートするのです。
 その後、13世紀初頭に著された流布本サイクル(French Vulgate Cycle。ランスロ=聖杯サイクル Lancelot-Grail とも。『聖杯の物語(Estoire del Saint Graal)』、『マーリン(Estoire de Merlin)』、『ランスロ本伝(Lancelot propre)』、『聖杯の探求(Queste del Saint Graal)』、『アーサーの死(Mort Artu)』の5部構成)において、円卓は聖杯のためのテーブルに、そして「危険な席」は世界で最高の騎士ガラハッドの席へと変更されました。

 「メルランは〈円卓〉を創設したとき、こういいました、この騎士団の仲間(メンバー)となるであろう  人々を通して、〈聖杯〉の真理を知ることができよう、と――メルランの時代にはまだ、聖杯のいかなる  しるしも見受けることはできなかったのに。(中略)  
 『それでは、メルラン殿、その騎士は、仰言るような立派な人物なのだとすれば、その人以外は誰も坐る  ことのない、特別の座席を造って下さらなければ。他のどの座席よりも大きくて、すぐそれとわかるよう  な座席を』『よろしい、造って進ぜよう』とメルランは申しました。(中略)  
 『かならず』とメルランは言いました。『これにはたくさんの驚くべきことが起こるであろう。すなわ  ち、〈真の騎士〉がここに坐るまでは、ここに坐る者は必ず死ぬか不具の傷を負うであろう。』  
 『神の名において』と人々は言いました。『それでは、ここに坐る者は大変な危険に、身をさらすことに  なるのでしょうか?』  
 『危険を冒すことになる』とメルランは言いました。『そして、ふりかかるであろうその危険ゆえに、こ  れは〈危険な席〉と呼ばれることになるであろう』と。」(『聖杯の探索』天沢退二郎訳、124頁‐25頁)

このように、円卓はアーサー王が家臣を平等に扱うための政治的な道具から、聖なる探求のために用意されたものへと変化したのです。

 

 円卓の座席数とメンバー
 円卓の座席数は、作品によって大きく異なっています。たとえばラハモンの『ブルート』によると、アーサー王の不思議なテーブルには1600人が座れたそうです。仮にそのような円形のテーブルが実在したとして、1人あたり50cmの幅として計算すると、直径は約255m、円周は800mになってしまいます。日本における一般的な学校のグラウンドが一周200メートルですから、置く場所を探すだけでも骨が折れますね。
 なお、1289年頃に建造されたウィンチェスターの円卓は直径が約5.5メートル、円周は約17メートルです。16世紀に美しく塗装された表面には、24名の騎士の名前とアーサー王の姿が描かれています。
 他方、円卓を最後の晩餐と結びつけたロベール・ド・ボロンの『ペルスヴァル』は、12名の騎士の名前をメンバーとして挙げました。しかし、これだけでは少ないと思ったのか、フランス流布本サイクルと後期流布本サイクル(Post-Vulgate Cycle。1230-40年頃に成立。『続マーリン(Suite du Merlin)』、『聖杯の探求(Queste del Saint Graal)』、『アーサーの死(Mort Artu)』の三部構成)における円卓の騎士たちは150人になりました。流布本サイクルの影響を受けた英国のトマス・マロリー(Thomas Malory)の『アーサー王の死(Le Morte Darthur。1469-70年に完成)』も、円卓の騎士を150名(もしくは140名)と書いています。
 それでは以下に、中世の資料に基づいて作成したメンバーの名前リストをご紹介します。中には、アーサー王が円卓の一員ではない作品も存在します。何人の騎士の名前に見覚えがあるでしょうか?

<ロベール・ド・ボロンの『ペルスヴァル』における12名の円卓の騎士たち>
Saigremors
Yvains, il fius au roi Urien
Yvains as blances mains
Dodiniaus
Mordrés
Guirrés
Garriés
Gavains
Kex
Urgans
Lanselos del Lac
Erés

<後期流布本サイクル『聖杯の探求』における円卓の騎士たち>
(150名のうち110名)
Gallaaz Tristam
Lançaroc
Boorz de Gaunes
Blioberis
Lionel
Estor da Mares
Brandinor
Elayn o Branco
Banin
Abam
Gadram
Laner
Tauri
Pincados
Lelas o Ruvho
Crinides o Negro
Ocursus o Negro
Acantam o Ligeiro
Danubre o Corioso
Galvam
Gaariec
Agravaym
Grieres
Morderehec
Agroval
Persival
Corsidares
Maydayros
Persives de Langaulos
Erec
Cujeram
Deganaor
Qeya o Mordomo
Sagramor o Decimador
Gliflet
Lucam o Copeiro
Dodinas o Salvagem
Longraves
Ivam
Ivam das Maãos Brancas
Ivam de Canelones d'Aleimanha
Gurei o Pequeno
Gures o Negro, o Laydo Ardido
Garnaldo
Mador da Porta
Craidandos
Isayas
rey Bendemaguz
Patrides
Madam
Donzel da Saya Mal Talhada
Dinadeira
Gar da Montanha
Clamade
Gallaaz o Grande da Deserta
Senalla
Caradam
Damas
Damacab
Lanbeguem
Sinados
Arcel
Bagarim
Sanasesio
Arnal o Fremosso
Cavaleyro do Chaão
Angelis dos Vaaos
Baradam o Manso
Marat o da Torre
Nicoranc o bem feito, e o Preçado de Spada
Alaym dos Prados
Marthel do Grande Scudo
Melez o Longo
Dinas
Codias das Longas Maaãos
Pinabel da Insoa
Daniel o Cuydador
Gaudaz o Negro
Gaudim da Montanha
Acaz
Calendim o Pequeno
Utrenal
Raface
Conais o Branco
Agregam o Sanhudo
Guigaar
Anarom o Grosso
Amatim o Boõ Justador
Canedam o Delgado
Canedor, o da fremosa amiga
Arpiam da Estray※a Montanha (※yに[~]マーク)
Saret
Dinados
Peliaz o Forte
Alamam
Tanadal
Lucas de Camaloc
Brodam
Endalam
Meliam
Julliam
Galiadam
Cardoylen de Londres
Delimaz o Pobre
Asalin o Pobre
Caligante o Pobre
Ecubas
Eladinam
Rei Artur

<ウィンチェスターの円卓に記された24名の騎士たち>
(Martin Biddleの研究書に収録されている、Sally BadhamとBiddleの研究に基づいて作成。)
Sir Galahallt
Sir Launcelot deu Lake
Sir Gauen
Sir Pcyvale
Sir Lyonell
Sir Trystram de Lyens
Sir Garethe
Sir Bedwere
Sir Blubrys
Sir La Cote Male Tayle
Sir Lucane
Sir Plomyds
Sir Lamorak
Sir Bors de Ganys
Sir Safer
Sir Pelleus
Sir Kay
Sir Ector de Marys
Sir Dagonet
Sir Degore
Sir Brumear
Sir Lybyus Dysconyus
Sir Alynore
Sir Mordrede
※モードレッドとガラハッドの間には、アーサー王の姿が描かれています

<マロリー『アーサー王の死』において、騎士アリーの怪我を直そうとした円卓の騎士たち>
(Vinaver版に基づいて作成。本文では「110名」とあるものの、名前が挙がっていたのは106名)
Arthur
kynge Claryaunce of Northumbirlonde
sir Barraunte le Apres (the Kynge with the Hunderd Knyghtes)
kynge Uryence of the londe of Gore
kynge Angwysh of Irelonde
kynge Nentrys of Garloth
kyng Carydos of Scotlonde
the duke sir Galahalt the Haute Prynce
sir Constantyne
duke Chalaunce of Claraunce
the erle Ulbawys
the erle Lambayle
the erle Arystanse
sir Gawayne
sir Gyngalyn
sir Florence
sir Lovell
sir Aggravayne
sir Gaherys
sir Mordred
sir Gareth
sir Lyonell
sir Ector de Marys
sir Bors de Ganys
sir Blamoure de Ganys
sir Bleoberys de Gaynys
sir Gahalantyne
sir Galyhodyn
sir Menadeuke
sir Vyllars the Valyaunte
sir Hebes le Renowné
sir Sagramour le Desyrus
sir Dodynas le Saveage
sir Dynadan
sir Brewne le Noyre (La Cote Male Tayle)
sir Kay le Senesciall
sir Kay d’Estraunges
sir Mellyot de Logris
sir Petipace of Wynchylsé
sir Galleron of Galway
sir Melyon of the Montayne
sir Cardoke
sir Uwayne les Avoutres
sir Ozanna le Cure Hardy
sir Ascamour
sir Grummor Grummorson
sir Crosseleme
sir Severause le Brewse
sir Agglovale
sir Durnor
sir Tor
sir Gryfflet le Fyse de Du
sir Lucan the Butlere
sir Bedyvere
sir Braundeles
sir Constantyne
sir Cadors
sir Clegis
sir Sadok
sir Dynas le Senesciall de Cornwayle
sir Fergus
sir Dryaunte
sir Lambegus
sir Clarrus off Cleremownte
sir Cloddrus
sir Hectymere
sir Edwarde of Carnarvan
sir Pryamus
sir Helayne le Blanke
sir Bryan de Lystenoyse
sir Gauter
sir Raynolde
sir Gyllymere
sir Gwyarte le Petite
sir Bellyngere le Bewse
sir Hebes
sir Morganoure
sir Sentrayle
sir Suppynabiles
sir Belyaunce le Orgulus
sir Neroveus
sir Plenoryus
sir Darras
sir Harry le Fyze Lake
sir Ermynyde
sir Selyses of the Dolerous Towre
sir Edward of Orkeney
sir Ironsyde (the noble knyt of the Rede Laundis)
sir Arrok
sir Degrevaunt
sir Degare Saunze Vylony
sir Epynogrys
sir Pelleas
sir Lamyell of Cardyff
sir Playne de Amoris
sir Playne de Fors
sir Melyaus de Lyle
sir Boarte le Cure Hardy
sir Madore de la Porte
sir Collgrevaunce
sir Hervyse de la Foreyst Saveayge
sir Marrok
sir Persaunt
sir Pertolope (the Grene Knyght)
sir Perymones (the Rede Knyght)
sir Launcelot

 

  王国崩壊後の円卓
 円卓が家具だとするならば、アーサーや騎士たちがいなくなった後、このテーブルはどのような運命を辿ったのでしょう。
 後期流布本サイクルの『アーサー王の死』は、コーンウォールのマーク王による破壊について記しています。彼はかつてアーサーの王国を侵略しようとしたのですが、ガラハッドに阻止されました。その恨みをこめて、マーク王はガラハッドが座った円卓を壊したのだと書かれています(La Version Post-Vulgate III: 510, n.)。
 他方、イングランドのジョン・ハーディング(John Hardyng)は15世紀半ばに執筆した年代記に、「円卓はウィンチェスターで始まり、ウィンチェスターで終わり、そして今なおウィンチェスターに掛かっている」(146頁)と記しています。マーティン・ビドル(Martin Biddle)の研究によると、ウィンチェスターの円卓は1289年に、エドワード1世が翌年開催予定の「ラウンド・テーブル・トーナメント」のために作らせたようです(389-90頁)。24名の騎士とアーサーの姿が描かれたこの遺物は、今でも街の大会堂に飾られており、映画『魔法の剣 キャメロット』や『キング・アーサー』(2004年版、2017年版)に登場する円卓のモデルとなり、現代にいたるまで影響を及ぼしています。

 

 見世物としての円卓
 文学においては「アーサーの家具」あるいは「騎士組織」と見なされた円卓ですが、史実においては異なる意味でも用いられました。中世ヨーロッパでは「ラウンド・テーブル」と呼ばれる催事が記録されているのです。
 たとえばフィリップ・ド・ノヴァーラ(Philippe de Novare)という人物は、ベイルートの領主が長男の騎士叙任をキプロスで祝った際に「ブリテンの冒険ごっこやラウンド・テーブルが催された」と書き記しています(7頁)。その9年後の1232年、イングランドのヘンリー3世がウェールズ遠征の妨げになるとして禁止令を出したことからも、ラウンド・テーブルの人気ぶりが伺えます。このお祭りは13世紀から15世紀の間、現在のイングランドからフランス、スペイン、ベルギーに至るまでの幅広い地域で開催されたようです。
 不明な点が多いのですが、どうやら「ラウンド・テーブル」は円卓の騎士の名前を付け、扮装をしての武術大会だったようです。詩人サラザンによると、1278年に開催された時には乙女ソルダモールが囚われの恋人を助けてくれるよう求め、円卓の騎士たちがその救助を引き受けるという筋書きが用いられました(”Du Tournoi de Ham” 236-37)。またルネ・ダンジューが1446年に開催した「ラウンド・テーブル」では木製の「喜びの砦」(ランスロットの居城)が用意され、銀の鎖でつながれたライオンやトルコ人の扮装をした侏儒が観客の目を驚かせました。そして試合で活躍した騎士には美しく装った乙女から賞が与えられるという、とても華やかな見世物だったようです(Marc de Wlson 82-103)。

 

 おわりに
 今やアーサー王伝説にとって不可欠な要素となった円卓ですが、中世においてはさまざまな意味で用いられていました。「円卓」は騎士の組織名であり、彼らが囲んだテーブルであり、そして伝説に憧れた人々が催した大会でもあったのです。
 アーサー王は重傷を負ってアヴァロンへ旅立ち、騎士を見かけることも少ない時代になってしまいました。けれどもなお、円卓はウィンチェスターの街の大会堂に掛かっています。イングランドへお出かけの際には、ぜひご覧になってみてください。

 

 Notes

^1. ただし、クレティアンがアーサーを円卓のメンバーと見なしていなかったとも考えられます。この点に関しては「円卓の座席数とメンバー」をご参照ください。

^2. 古代ローマの様式に則った、寝そべっての「最後の晩餐」もあります。興味のある方は参考文献にも挙げた『最後の晩餐』(増島麻衣子訳、ファイドン、2004年)をご覧ください。

 

 参考文献

Primary Sources
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---. Le Roman de Perceval, ou, Le Conte du Graal. Ed. William Roach. 2nd ed. Genève: Droz; Paris: Minard, 1959. Print.
Hardyng, John. The Chronicle of Iohn Hardyng. Ed. Henry Ellis. 1812. New York: AMS, 1974. Print.
Hasting, Julia, ed. Last Supper. London: Phaidon, 2000. Print.
Lancelot-Grail: The Old French Arthurian Vulgate and Post-Vulgate in Translation. Norris J. Lacy, gen. ed. Trans. Martha Asher et al. 5 vols. New York: Garland, 1993-96. Print.
Layamon. Layamons Brut, or Chronicle of Britain. Ed. Frederic Madden. 3 vols. London: the Society of Antiquaries of London, 1847. Print.
Malory, Thomas. Le Morte Darthur. Ed. P. J. C. Field. 2 vols. Cambridge: D. S. Brewer, 2013. Print. Arthurian Studies 80.
---. The Works of Sir Thomas Malory. Ed. Eugène Vinaver. Rev. P. J. C. Field. 3rd ed. 3 vols. Oxford: Clarendon, 1990. Print.
Marc de Wlson. Le vray theatre d'honneur et de chevalerie, ou le miroir heroique de la noblesse. Paris, 1648. Google Books. Web. 9 Dec. 2010.
Philippe de Novare. Mémoires: 1218-1243. Ed. Charles Kohler. Paris: Champion, 1970. Print.
Robert de Boron. The Didot Perceval. Ed. William Roach. Philadelphia: U of Pennsylvania P, 1941. Print.
---. Merlin and the Grail: Joseph of Arimathea, Merlin, Perceval: The Trilogy of Arthurian Romances Attributed to Robert de Boron. Trans. Nigel Bryant. Cambridge: D. S. Brewer, 2001. Print. Arthurian Studies 48.
---. Merlin: Roman du XIIIe siècle. Ed. Alexandre Micha. Genève: Droz, 1979. Print.
---. Le Roman de l’estoire dou Graal. Ed. William A. Nitze. Paris: Champion, 1971. Print.
Sarrazin. “Du Tournoi de Ham.” Histoire des ducs de Normandie et des rois d’Angleterre. Ed. Francisque Michel. Paris, 1840. 213-384. Google Books. Web. 16 Aug. 2011.
La Version Post-Vulgate de la Queste del Saint Graal et de la Mort Artu: Troisième partie du Roman du Graal. Ed. Fanni Bogdanow. 4 vols. Paris: Société des anciens textes Français, 1991-2001. Print.
The Vulgate Version of the Arthurian Romances. Ed. H. Oskar Sommer. 7 vols. 1913. New York: AMS, 1969. Print.
Wace. La Partie Arthurienne du Roman de Brut: (Extrait du manuscript B. N. fr. 794). Ed. I. D. O. Arnold and M. M. Pelan. Paris: Klincksieck, 1962. Print. Série B : Textes et documents I.
---. Wace’s Roman de Brut / A History of the British. Ed. and trans. Judith Weiss. Rev. ed. Exeter: U of Exeter P, 2002. Print.
ヴァース「アーサー王の生涯」、原野昇訳、『フランス中世文学名作選』、白水社、2013年。
『最後の晩餐』、 増島麻衣子訳、ファイドン、2004年。
作者不詳『聖杯の探求』、天沢退二郎訳、人文書院、1994年。
ロベール・ド・ボロン『西洋中世奇譚集成 魔術師マーリン』、横山安由美訳、講談社、2015年。

Secondary Sources
Biddle, Martin, et al. King Arthur’s Round Table: An Archaeological Investigation. Woodbridge: Boydell, 2000. Print.
Field, P. J. C. “The Winchester Round Table.” Notes and Queries 223 (1978): 204. Print.
Houck, Margaret. Sources of the Roman de Brut of Wace. Berkeley: U of California P, 1941. Print.
Loomis, Laura Hibbard. “Arthur’s Round Table.” PMLA 41 (1926): 771-84. Print.
Loomis, Roger Sherman. “Chivalric and Dramatic Imitations of Arthurian Romance.” Medieval Studies in Memory of A. Kingsley Porter. Ed. Wilhelm R. W. Koehler. Cambridge: Harvard U P, 1939. 79-97. Print.
Loomis, Roger Sherman, and Loomis, Laura Hibbard. Arthurian Legends in Medieval Art. 1938. New York: Kraus Reprint, 1975. Print.
Mott, Lewis F. “The Round Table.” PMLA 20 (1905): 231-64. Print.
“Rŏund(e Table.” Middle English Dictionary. Ed. Robert E. Lewis et al. Vol. R-6. Ann Arbor: U of Michigan P, 1986. Print.
Schmolke-Hasselmann, Beate. “The Round Table: Ideal, Fiction, Reality.” Arthurian Literature 2 (1982): 41-75. Print.

 
記事作成日:2018年8月23日  
最終更新日:2018年8月23日

 

 

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