The International Arthurian Society - 国際アーサー王学会日本支部

聖杯

横山 安由美(立教大学教授)

 

 はじめに
 誰もが追い求める至高の物体「聖杯」。しかしこれほど謎に包まれた物体もありません。
 そもそも聖杯とは何なのでしょうか。その定義だけでも難しく、人によって意味づけが異なります。とりわけ日本語の「聖杯」は英語やフランス語のさまざまな語句の訳であるため、いっそう特定が難しくなります。完全な説明は困難であり、多様な解釈があることを断ったうえで、最初に聖杯に関する物語が作られたフランスを中心にして概括してみたいと思います。 聖杯を極めて広い意味に捉え、「超自然的な力をもった器」とした場合は、世界中の神話に類似した素材を見出すことができるでしょう。聖杯の神話的起源を求める場合は、一般的にはケルト起源説、キリスト教起源説、その他の神話説の三つに分類されます。三番目のグループを少し紹介しますと、たとえばギリシア神話では、ゼウスが育ての親アマルテイアに返礼として「豊穣の角杯」を与えます。持ち主は欲しい物を何でも得ることができるこの物体は、しばしば食料に苦労した古代の人々にとって、羨望してやまない豊かさの象徴として機能しました。  
 またリーアン・アイスラー(Riane Eisler)は『聖杯と剣』(1987年)のなかで、人類が最初に作った道具は剣ではなくて杯であること、杯が象徴する、命を養い、育てる女性原理が、その後の歴史の中で、支配し、奪取する男性原理に取って代わられたのだと説きます。ただし原題は The Chalice and the Blade であり、chaliceは一般的な杯やキリスト教の聖餐杯をも指し示す単語です。アイスラーはアーサー王物語について述べているというよりは、むしろフェミニズム的な社会観に基づいて、地母神崇拝のあった協調型社会を理想として提示しました。  
 アーサー王物語ともっぱら地理的に関係がありそうな世界といえば、もちろんケルト神話でしょう。ダブリンのアイルランド国立博物館には、8世紀頃に作られた「アーダーの聖杯」と呼ばれる美しい銀製の器が展示されています。ただしこれもchaliceであって、聖餐の用途に用いられたと考えられます。ケルト文化の秘宝ではあっても、神秘的な伝説とは直接的には関連ありません。祭儀や生活の上で重宝されたもうひとつの物体が大釜(大鍋)cauldronです。『マビノギオン』の中に登場する大地と豊穣の神ダグダは魔法の大釜を所有しており、絶えることなく食物を作り出すことができました。上記の豊穣の角杯と類似していますが、ケルトの大釜はさらに人の生命をも作り出す「再生の大釜」として描かれ、戦争の死者をここに投げ入れることで何度でも生き返らせることができたといいます。またフィリップ・ヴァルテール(Philippe Walter)の『アーサー王神話事典』によれば、古いウェールズ語の物語が、アーサーの異界への遠征と、そこから金属の不思議な物体を持ち帰ったことを記しているといいます。さらには、後述する、発するべき質問を発しないという「質問の失敗」の主題もケルトの伝説のなかに見出すことが可能であり、水没した伝説の町イスに関して同様の設定が見られます。興味のある方は、さまざまなフランスの民話をお読みになると面白いかもしれません。

 

 クレチアン・ド・トロワ『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』
 狭義の、かつ厳密な意味での聖杯は、12世紀フランスで書かれた物語に、初めて、突然に、登場します。それはフランスの作家、クレチアン・ド・トロワの『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』(Perceval ou Le Conte du Graal, 1181-1190年頃)というフランス語の韻文の物語で、問題の場面は「グラアルの行列」と呼ばれています。騎士に憧れて家出をした少年ペルスヴァル(英語名:パーシヴァルPerceval)は、あるとき川で釣りをしていた人物〈漁夫王〉の館に招かれます。テーブルに着くと目の前を不思議な行列が通り過ぎます(なお、この場面を映像でご覧になりたい方は、エリック・ロメール(Eric Rohmer)監督の映画『聖杯伝説』(Perceval le Gallois,1978年)をご覧ください。世間知らずの純粋な少年をファブリス・ルキーニが好演しています)。  

 とある部屋からひとりの小姓が、白銀に輝く槍の、柄の中程を持って入ってきて、炉の火と寝台に坐っている二人〔漁夫王とペルスヴァル〕との間を通った。そして、その場に居合わせた人たちはみな、銀色の槍、銀色の穂、銀色の穂尖を見、一滴の血が槍の刃尖から出てきて、小姓の手のところまでその赤い血は流れ落ちた。その夜そこへ来たばかりの若者は、このふしぎを見て、どうしてこんなことが起るのか、尋ねることを差し控えた。〔…〕 そのとき、また別の二人の小姓が入ってきた。手にはそれぞれ、純金で、黒金象眼を施した燭台を捧げていた。この、燭台を持ってきた若者たちは、大変に美しかった。それぞれの燭台には少くとも十本ずつの蝋燭が燃えていた。 両手で一個のグラアルを、ひとりの乙女が捧げ持ち、いまの小姓たちといっしょに入ってきたが、この乙女は美しく、気品があり、優雅に身を装っていた。彼女が、広間の中へ、グラアルを捧げ持って入ってきたとき、じつに大変な明るさがもたらされたので、数々の蝋燭の灯もちょうど、太陽か月が昇るときの星のように、明るさを失ったほどである(天沢訳、1991年、p.202)。

 このようにして、ペルスヴァルの目の前を、血を流す槍、金の燭台、グラアル、そして銀の肉切台の四点が次々と通り過ぎて行きました。グラアルというのが「聖杯」にあたる単語です。初出の場面の古フランス語を見てみましょう。

 un graal antre ses .II. mains (両手で一個のグラアルを)
 une dameisele tenoit (ひとりの乙女が捧げ持ち)
 et avoec les vaslez venoit, (いまの小姓たちと一緒に入ってきたが、)
 bele et jointe et bien acesmee. (この乙女は美しく、気品があり、優雅に身を装っていた)
[éd.Lecoy, vv.3208-3211]

 「一個のグラアル」un graalとなっており、不定冠詞つきの用法です。グラアルという単語自体は、頻度は高くないものの、容器や皿を指すひとつの普通名詞であったと考えられ、これについてはジャン・フラピエ(Jean Frappier)が古フランス語やラテン語の用例を出して解説しています。この「行列」のさまざまな解釈の仕方については、同じ「アーサー王伝説解説」のなかの、渡邉浩司先生による「「アーサー王物語」への神話学的アプローチ―「グラアルの行列」の解釈を例に―」をぜひお読みいただければと思います。
 行列を見たペルスヴァルはたいそう不思議に思いましたが、口をつぐんでいるうちに夕餉が終わってしまいます。翌朝目覚めてみると人は誰もいなくなり、乗馬して城を出た瞬間、城そのものも跡形もなく消えてしまいました。その後偶然に出会った従妹から、もし彼が「グラアルは誰に供するものなのか」と尋ねてさえいれば、漁夫王が病から回復し、すべてが癒されていたのに、と明かされます。そこでペルスヴァルは名誉挽回を求めて果てしない旅に出るのでした。「供する」とはservirの訳で、英語のserviceにあたりますから、グラアルで命を養われているのは誰なのか、といったニュアンスになります。
 この物語は神秘的な器にまつわる「純粋な愚者」の成長譚であるとともに、「質問の失敗」や、グラアルの探索というさまざまな主題を内包しています。その後の展開から、グラアルがどうやらキリスト教的に貴い物体であることや、中に入れるのは単なる食料ではなくて、ホスチア(聖体パン)であるらしいことが示されます。しかし結末はどうなったのか、グラアルとは何だったのか、この物語をどのように解釈すればよいのかなど、たくさんの謎が残りました。しかし、おそらく作者が死亡したせいでしょう、物語は中断したままで終わってしまい、その後多くの作家が「続き」を自由に描き始めることになります。


聖杯と槍の行列(右側)

 

 ロベール・ド・ボロン『聖杯由来の物語』
 謎の物体グラアルは当時の多くの人々を惹きつけました。ペルスヴァルを騎士に叙任したのはアーサー王ですから、やがてこのモチーフはアーサー王伝説の中でさまざまに発展させられ、核心のひとつとなってゆきます。
 もう一人、聖杯伝説の確立に大きく寄与したのがロベール・ド・ボロンという作家です。彼はクレチアンの比較的直後の1200年頃に古フランス語で『聖杯由来の物語』(Le Roman de l’Estoire dou Graal、以下『由来』)を書きました。ひとことで言うと、グラアルとは何だったのか、という問いに答える作品です。舞台は遡ること1世紀のエルサレム、イエス・キリストの受難から話が始まります。主人公は、総督ピラトからイエスの体を貰い受けて埋葬した、アリマタヤのヨセフです。十字架から下ろした際にイエスの脇腹から血が流れ出るのを見たヨセフは、持っていた杯 veissel で血を受けるのですが、それは偶然にも最後の晩餐でイエスが用いた杯でした。その後の物語は、新約聖書外典である『ニコデモの福音書』やその系統の諸伝説を下敷きにして構成されます。埋葬によってユダヤ人たちの恨みを買ったヨセフは牢獄に幽閉されますが、そこに復活後のイエスが現れて彼を救い出します。

 我らが主はあの偉大で貴い杯を差し出された。十字架から下ろして傷口を洗ったときにヨセフが至聖の血を集め入れた杯だ。ヨセフはその杯を見て何であるのかがわかると、たいそう喜んだ。だが誰も所在を知らないはずだったので、大いに驚きもした。誰にも見られないように自宅に隠していたはずだった。〔…〕神は言った。  
「お前とお前の命じた者たちがそれを保持せよ。ヨセフよ、これをしっかりと護るように。託してよいのは三名のみだ。」(横山訳、p.188)

 こうしてイエスから杯を託されたヨセフは守護者となり、心正しき者たちの新たな共同体を作ってゆきます。物語の最後では彼の子孫が「西方」の地、すなわちヨーロッパに向かうことが暗示されて終わります。この物語についてもさまざまな解釈が成り立つのですが、クレチアンが提示したグラアルに対して、明白にキリスト教的な起源を与えるとともに、後のアーサー王の世界に繋げようとしたと考えることができます。この物語も後世に対して大きな影響を与えました。とりわけ、最後の晩餐の容器かつイエスの聖血のまことの容器という、考えうる限りで最も貴い設定は当時の人々の心を捉え、その後多くの作品がこの設定を受け入れることとなりました。また、少し時代錯誤的ではあるのですが、ヨセフはピラトに仕える「騎士」であり、奉仕の代償として聖杯を得たという設定がなされたために、聖杯というのは教会の道具ではなくて、神からの騎士社会への贈り物なのだ、というイメージの形成に寄与しました。このおかげで、世俗の世界を描く多くの物語の中に聖杯が登場することとなったのです。
 聖杯という語の用例について見てみましょう。晩餐のときの杯は「ひとつの杯」un veissel (v.395)ですが、復活後のイエスは「ご自分の杯」son veissel (v.718)をヨセフに与えます。物語前半部分では基本的に「杯」veisselの語が用いられるのですが、途中でこんな一節が出てきます。

「教えてください、それを名前で呼ぶとき、どのように呼ぶのでしょうか」
 ペトリュスは答えた。
 「隠すつもりはありません。正しく呼ぼうと思う者は、それをグラアルと呼ぶことでしょう。なぜならば、グラアルを見て喜ばしい気持ちにならない者はいないからです。」(p.216)

 最後の部分の原文Car nus le Graal ne verra, Ce croi je, qu’il ne li agree:(2660-61)を見ると、グラアルの音が内包する秘密がわかります。グラアルGraalという音と、「喜ばせる」agreerという動詞の音は非常に似ています。つまり、グラアルというのは、「見た」だけで聖霊の恩寵graceに満たされる物体であると同時に、グラアルという音を「聞いた」だけで喜びに満たされる物体なのです。その後物語の中では、杯は定冠詞付きの「グラアル」le Graalで表され、守護の対象となってゆきます。(なお当時は、現代のような大文字と小文字の区別がありませんでしたから、テクストの校訂者が便宜的に大文字で表記することとなり、それが現代では一般化しています。)
 もうひとつ注意したいのは、それは「秘密」の名でもあるということです。たとえば語り手は、典拠である本に「「グラアル」という名の大いなる秘密」li grant secré escrit Qu’en numme le Graal et dit. [vv.935-36]が書かれていた、と語ります。グラアルが何か大いなる謎を秘めているという設定から、この物語を、秘して語られぬグノーシス的な秘密の物語と解釈する研究者もいます。しかし、どのような秘密か、ということについては相変わらず謎に満ちています。
 13世紀前半に書かれ、通称『ディド・ペルスヴァル』と呼ばれる、ペルスヴァルものの散文続編があり、一部の研究者はこれもロベール・ド・ボロンの作であると考えます。アリマタヤのヨセフの子孫であるペルスヴァルは数々の冒険を重ねた結果、ついに聖杯に巡り合い、探索を完成させるという話です。聖杯が聖血を受けた容器であることが受け継がれたほか、血の滴る槍は伝説のロンギヌスの槍であることが明示されます。ロンギヌスはローマの百卒長であり、十字架上のイエスの脇腹に槍を刺したことや、それによって視力が回復したという伝説をもつ人物です。『ディド』には「魔法のチェスボード」や「鳥になった乙女」など、ケルト的色彩の強い驚異的事象がふんだんに描かれていますが、聖杯探索完成の瞬間に世界の魔法がすべて終わりをみる、とされる点が独自の面白さであるといえましょう。

 

 『聖杯の探索』
 その後聖杯という主題は大いに広まり、「グラアル」le Graalまたは「聖なるグラアル」le Saint Graalと表記が一般化します。13世紀以降、散文でたくさんの『ペルスヴァル』続篇群やアーサー王物語群が描かれました。すべてを網羅することはできませんが、聖杯にかかわる重要なものを数点挙げておきましょう。
 13世紀前半に書かれた『ペルレスヴォー』(Le Perlesvaus)は、同名の主人公(ペルスヴァルに相当)が聖杯探索を行う話ですが、終盤では聖杯城そのものの攻略が描かれたり、悪役として「黒い隠者」が登場したりと、善悪や「新教」対「旧教」などといった二元論的思考が特徴的な物語です。また、この物語はグラストンベリー修道院で記されたことが文中で暗示されている点も、アーサー王愛好家にとっては興味深いことかもしれません。同修道院は1191年にアーサー王と王妃の墓を発掘したと主張しているのですから。
 13世紀前半に書かれたアーサー王関連の一連の作品群を『ランスロ=聖杯』または流布本サイクルと呼びます。必ずしも作者は同一人物ではありませんし、書かれた順番と物語の内容順も一致しませんが、聖杯の始原からアーサーの死に至る一連の流れがおおよそ作られた意義は大きいように思います。その中で重要なのが、『聖杯の探索』(La Queste del Saint Graal)という一作ですので、取り上げてみましょう。聖霊降臨節の日にアーサー王の宮廷ではさまざまな不思議なことが起きます。

 そして全員が席につき、静かになったとき、宮殿全体が崩れるかと思われたほど大きな、驚くべき雷鳴が近づいてくるのがきこえた。そしてひとすじの太陽の光がさしこんで、室内をそれまでの七倍も明るくした。〔…〕そして長い間こうして誰もものを言うことができず、まるで言葉を失った獣のように互いに顔を見あわせていたとき、そこへ白い錦繍【ルビ サミ】で蔽われた聖杯が入ってきた。けれども誰ひとり、それを捧げ持っている人物を見ることのできた者はいなかった。聖杯は広間の大扉から入ってきた。そして聖杯が入ってくるとたちまち、広間はまるでこの世のありとあらゆる香料がまきちらされたとでもいうように、すばらしい芳香でみたされた。聖杯は食卓のまわりを、広間の端から端まで、めぐっていった。そしてそれが食卓の前を通ると、その食卓はたちどころにどの席もめいめいの望む食物でみたされていった。(天沢訳、1994年、p.33)

 日没後の晩課の時刻であるにもかかわらず、聖杯は異常な輝きを放ち、自ら意思をもって宙を飛びまわります。席に着いていた円卓の騎士の一人ひとりに望む通りの食べ物が与えられた、という描写は上述の「豊穣の角杯」に通じるものがありますね。王や騎士たちは限りない恩寵に満たされ、このように特別な出来事がほかならぬアーサー王の宮廷に起きたことに歓喜します。しかしながらこの直後、ゴーヴァン(英語名:ガウェイン Gawain)が聖杯の探索に旅立つことを宣言してしまったために、他の騎士たちもつられて、全員が出発を決心します。嘆き悲しむアーサー王や貴婦人たちをよそに城の外へ出た騎士たちですが、さて、聖杯がどこにあるのかわかりませんから、盲目的にさ迷うしかありません。こうして物語は多くの騎士たちの冒険を描いてゆくのですが、ほとんどの者は探索に失敗したり、死を迎えたりします。最終的に聖杯に再会できたのは、至純の騎士ガラアド(英語名:ガラハド Galahad)、ペルスヴァル、ボオール(英語名:ボース Bors)の三名だけでした。コルブニックの町で三名は〈聖杯によるミサ〉に立ち会うのですが、そこでは「聖なる〈器〉の中からまるで素裸の人物が、両手両足からも身体からも血を流しながら、出てくるのが見える。」つまり聖杯を用いたミサにおいて、彼らはついにキリストそのものの姿を見ることとなったのです。その後、銀のテーブルに置かれた聖杯が導くがままに、魔法の舟に乗って三人はサラスの町に向かいます。ガラアドは一年間王として君臨した後に、聖杯の前で息絶え、天使たちがその魂を天に運びます。

 ガラアドが亡くなるとすぐ、そこに大いなる驚異が訪れた。というのは、天の方から一本の手がのびて来るのを二人の騎士ははっきり見たのである。しかしその手がついている身体は見えなかった。その手はまっすぐ聖なる〈器〉へのびて、それを取った、そして〈槍〉も。そしてはるかに高く天の方へ運び去ったが、それはあっというまのことで、聖杯を見たなどとあえて口に出すほど無謀な者は誰もいなかった(天沢訳、p.416)。

 このように聖杯探索のクライマックスが描かれる『聖杯の探索』は神秘的な雰囲気に満ちていて、エチエンヌ・ジルソン(Etienne Gilson)は、聖ベルナールが創立したシトー派の影響を受けていると指摘しています。聖杯が恩寵に相当するものとして扱われ、聖杯の認識は至福直観に類したものとして描かれているからです。なるほど、優秀ではあっても恋愛が大好きで煩悩まみれのランスロは最後まで選ばれずに終わる点などからは、禁欲的な性質を強く感じます。騎士たちの離散によって結果的に聖杯探索はアーサーの王国を弱体化させた側面はあるものの、アーサー王物語をたんなる騎士道物語に終わらせず、深い奥行きを与えたことは事実でしょう。

 

 他のヨーロッパ中世の聖杯物語
 最初期は古フランス語で書かれたアーサー王物語は、その後英語やドイツ語やイタリア語など、ヨーロッパ各国で再録され、発展させられてゆきました。ごく簡単に触れておきましょう。

 ドイツではヴォルフラム・フォン・エッシェンバハが13世紀頃に『パルチヴァール』(Parzival)を書きました。パルチヴァールはペルスヴァルのドイツ語表記であり、物語前半はクレチアンの作品に依拠しています。病める漁夫王に相当するのがアンフォルタスであり、聖杯で養われていたのはアンフォルタスの父ティトゥレルです。主人公は数々の冒険や戦いを通して成長し、最後には「質問」を完成させて聖杯城の王となります。フランスの版と異なるのは、聖杯が器ではなくて「石」として描かれていること、発するべき質問が「お苦しみはいかがですか」「どこがお痛みですか」であること、救済という主題がより強調されたことなどでしょう。なお、この作品からインスピレーションを受けてリヒャルト・ワーグナーが19世紀に完成されたのが有名な楽劇『パルジファル』(Parsifal)ですね。
 イングランドでは、15世紀後半にトマス・マロリーが長大な『アーサー王の死』(Le Morte d’Arthur)を著しました。基本的には13世紀フランスで書かれた前述の『ランスロ=聖杯』の主な挿話をまとめあげたと見なすことができます。キャクストンによる出版などを経て、後にイングランドでアーサー王物語が大流行する原因のひとつとなりました。中世のリバイバルが盛んだった19世紀には、ビアズリーの白黒の版画の挿絵や、ラファエロ前派の画家たちが多くのアーサー王物語の絵を描きました。
 

ロセッティ画「聖杯の乙女」

 


 近代の聖杯物語
 アーサー王物語が近代の作家たちに受容されたのと同様に、聖杯の物語も多くの作家の創作のヒントになりました。アーサー王伝説を扱った、テニスンの『国王牧歌』やT.S.エリオットの『荒地』にも聖杯にかんする章があります。それ以外の作品を、一部だけ紹介しておきましょう。
 20世紀のフランスの作家ジュリアン・グラックが描いた一幕ものの戯曲『漁夫王』(1948)では、回復と救済を望まないアンフォルタスが描かれます。また『アルゴールの城にて』(1938)の主人公アルベールは純真さを喪失したペルスヴァルであり、ついに悪魔的な人物に変貌してしまいます。
 属性の転倒という点では、シュルレアリスムの作家レオノーラ・キャリントンの『耳ラッパ-幻の聖杯物語』も同様であり、主人公は高齢の老婆であり、彼女が耳ラッパ(聖杯と同じ形ですね)を手に入れてからの騒動が老人ホームを舞台に描かれます。
 近年のゲームにも「聖杯」が頻出しますが、ここは滝口秀人先生の文章をご覧になってください( 「アニメーションやゲームに登場するアーサー王物語と円卓の騎士について」)。
 前述のロメールの『聖杯伝説』など、聖杯が登場する映画作品もいくつかありますが、ここでは二点挙げておきましょう。スピルバーグ監督『インディ・ジョーンズ 最後の聖戦』(1989)では、インディの父は聖杯や中世文学についての権威であり、同じく聖杯を狙うナチス・ドイツに追われるという設定です。最後の場面では、インディが命がけで「本物の聖杯はどれだ?」ゲームに挑みます。また、大ヒットしたハワード監督の『ダ・ヴィンチ・コード』(2006)はダ・ヴィンチの「最後の晩餐」の絵画についての謎解きを含み、聖杯とはモノではなくてイエスの血筋を示すものだという大胆な解釈を提示します。これは、ベイジェントの『レンヌ=ル=シャトーの謎 イエスの血脈と聖杯伝説』の影響を受けたともいわれています。
 このように聖杯は、その謎の多さや神秘性から後世に至るまで、さまざまな興味をかきたてることとなりました。人間の想像力の器であったということもできるでしょう。

 

 参考文献
Chrétien de Troyes, Le Conte du Graal t.I, éd. Lecoy, Champion, 1983.
Robert de Boron, Le Roman de l'Estoire dou Graal, éd.Nitze, Champion, 1999. Etienne Gilson, "La Mystique de la grâce dans la Queste del Saint Graal", Romania51(1925), pp.321-347.
木村正俊・松村賢一編『ケルト文化事典』東京堂出版、2017年
フィリップ・ヴァルテール『アーサー王神話大事典』渡邉浩司・渡邉裕美子訳、原書房、2018年
リーアン・アイスラー『聖杯と剣』野島秀勝訳、法政大学出版、1991年
中央大学人文科学研究所『フランス民話集1-5』中央大学出版部、2012-16年
ジャン・フラピエ『聖杯の神話』天沢退二郎訳、筑摩叢書、1990年
新倉俊一他『フランス中世文学集2』白水社、1991年(クレチアン・ド・トロワ『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』天沢退二郎訳、所収)
松原秀一他『フランス中世文学名作選』白水社、2013年(ロベール・ド・ボロン『聖杯由来の物語』横山安由美訳、所収)
『聖杯の探索』天沢退二郎訳、人文書院、1994年
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ『パルチヴァール』加倉井粛之他訳、郁文堂、1974年
原野昇編『フランス中世文学を学ぶ人のために』世界思想社、2007年
マイケル・ベイジェント『レンヌ=ル=シャトーの謎 イエスの血脈と聖杯伝説』林和彦訳、柏書房、1997年

 
記事作成日:2020年2月25日  
最終更新日:2020年2月25日

 

 

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