土肥 由美
【はじめに】 |
本稿で取り上げる作品は、中高ドイツ語作品の中で際物扱いされた、エンターテインメントの要素の強いアルトゥース Arthus(アーサーArthur)王物語、『花咲く谷のダーニエル』(Daniel von dem Blühenden Tal、 以下『ダーニエル』)です。日本ではあまり取り上げられる機会のなかった作品ですが、ドイツでは既に19世紀後半に校訂本が出ています。本格的な研究は、この作品が学術的に着目された1970年代から進められて来ましたが、作品への評価は現在も割れています。興味深い完全写本が4本現存していることから、研究はまず写本から印刷テクストへの移行、現代ドイツ語と英語への翻訳、そして著名な中高ドイツ語アルトゥース王物語との比較、作者の素性探索、社会的背景の検証へと進みました。本稿は、作品の概要と物語の要約、そして研究テーマについて、初学者の方々に情報を提供し、作品へのアプローチを可能にすることを目的にしています。 |
【1.時代背景:12世紀後半〜13世紀前半の中高ドイツ語アルトゥース物語】 |
中高ドイツ語で書かれたアルトゥース王とその騎士たちの物語は、12世紀後半から13世紀初頭にかけてその著名な作品群が生まれました。 その第一のジャンルは、フランスの先駆者クレティアン・ド・トロワ(Chrétien de Troyes、以下クレティアン)の作品を独訳・改作したハルトマン・フォン・アウエ(Hartmann von Aue、以下ハルトマン)の『エーレク』 (Erek、1185より後)と『イーヴェイン』 (Iwein、1203頃)に代表される、研究者から古典(klassisch)と呼ばれる作品群です。この古典アルトゥース物語作品群には、やはりクレティアンの翻案で聖杯伝説を主題にしたヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(Wolfram von Eschenbach, 以下ヴォルフラム)の『パルツィヴァール』(Parzival、1200-1210)とその副産物 『ティトゥレル』 (Titurel、1210頃?)、ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク(Gottfried von Straßburg、以下ゴットフリート)の、円卓の騎士が愛に殉ずる人気作、『トリスタン』 (Tristan 、-1210頃)も加えられます。『パルツィヴァール』と『トリスタン』は、ワーグナー(Richard Wagner)の楽劇化で、現代でも馴染み深い作品です。これらの作品は主に、フランス語の原作から受け継いだ「閉ざされた宮廷」(宮廷で主筋に絡む出来事が起こる)を活躍の場とし、時には自分の過失や不運に苛まれながらも、優れた資質により苦難を克服していく理想の騎士たちを主人公とする、つまり物語上の常套である「縛り」を使った典型的な宮廷騎士文学(höfischer Roman)とされます。 13世紀に入ると、ウルリッヒ・フォン・ツァツィクホーフェン(Urlich von Zazighofen)の『ランツェレット』(Lanzelet、英語:Lancelot ランスロット、1210頃)、ヴィルント・フォン・グラーフェンベルク(Wirnd von Grafenberg)の『ヴィガロイース』(Wigalois 、1215-1220)、そしてハインリヒ・フォン・デム・テュールリン(Heinrich von dem Türlin)の『クローネ(王冠)』 (Diu Crône、1220-1230)などの、ポストクラシック(nachklassisch)と呼ばれるアルトゥース物語群[2]が登場しました。これらの作品は、古典アルトゥース物語の後塵を拝してはいるものの、古典物で常套となっていた「縛り」を解いて、より自由な創造力と、多くの先行作品から得た知識を駆使した、個性的な物語を展開します。 アルトゥース王とその騎士達に関わる作品は、写本が多く現存しているので、12世紀後半から14世紀に至るまで数多く書かれ、人気を博していたことが判ります。いずれもフォン(von)を名前に冠した、貴族階級と思しき作者・詩人たちによるこれらの作品は、基本的には娯楽でありながらも、当時の現実としての騎士、宮廷とそこに集う高貴な人々に対し、騎士的行動の模範として機能していたと察せられます。 |
【2.作品と作者】 |
古典の後続作品群の中に、一風変わった「アルトゥース王とその騎士たち」の物語、『花咲く谷のダーニエル』があります。創作の時期は1210−1243年頃[3]で、生みの親はデア・シュトリッカー(Der Stricker、以下 シュトリッカー)、縄を綯う者、あるいは編物師という職業名がペンネームの、恐らく市民階級出身の職業作家でした。出身地については、東部フランケン地方から南西部ライン・ヴュルテンベルク地方、オーストリア、アイフェル地方と諸説あり、南ドイツやオーストリアまで遠征し、そこで自作物語の語り手として、時には王侯貴族の宮廷にも入っていたとされます。フランス語とラテン語の素養に加え、神学や法学の知識もあり、また旅をしながら、世の中の政治・社会的動向にも関心を持っていたことが作品から判ります。得意な創作ジャンルが笑話(Schwank)[4]、短編説話物語(Mär/Märe)、悪戯を主題にした物語 (Schelmenroman)などだったので、持ち前のユーモアと訓話を長編作品にも取り入れて生かし、エンターテイナーとして活躍したでしょう。他方、『ダーニエル』の戦闘場面には、彼の長編叙事詩物語『カール大帝』(Karl der Große)[5]で繰り広げられる武勲詩の視覚重視の、壮絶な、しかしどことなく庶民的な比喩を用いた描写が使われています。 想像されるシュトリッカーのプロフィールを端的にまとめれば、勉強好きで知識欲と創作欲、そして名誉欲の旺盛な、宮廷と俗社会の動向に敏感な流行作家/吟遊詩人の姿が浮かび上がります。 |
【3.『ダーニエル』写本の概要】 |
『ダーニエル』は、レスラー (Michael Resler 2015) の校訂本で8483行の、短詩行が2行ずつ規則的に韻を踏む中世(宮廷・英雄)叙事詩(Epik またはEpos)形式の作品です。その写本は現在に至るまでに5本(現存は4本)見つかっていますが、いずれも15世紀に書かれたもので、作者の活躍した13世紀初頭から中葉にかけて作成された写本は現存していません。写本の数は少ないながらも、15世紀に入ってからも流布したということは、これら写本の原本が数冊、13世紀から15世紀まで存在し、しかもそこに書かれた物語が新たに書き写され、読み語られる価値のあるものと認識されたということです。また、現存の写本に使われている書き手の言語から、物語がアレマン語 (Alemanisch)、シュヴァーベン方言 (Schwäbisch)、上部ライン方言(Oberreinisch) などを使う、ドイツ南西地方に広く知られていたことも判ります。写本情報は本稿末の文献欄に記します。 |
【4.クラカウ写本の色彩挿画に沿った物語解説】 |
現存する4写本のうち、とくにb写本と呼ばれるクラカウ写本(Krakau, Biblioteka Jagiello´nska, Ms. Germ, qu.1340, 49r - 209v.)には興味を引かれる特徴があります。それは、『ダーニエル』の終わり(209v)に1474年と成立年らしき年号が記されていることと、完成度のまちまちな彩色挿絵が46カ所[6]あり、そのうちの数カ所にマンダーシャイト(Manderscheid–Blankenheim[7])伯の紋章が描かれていることです。
挿画1 マンダーシャイト伯の紋章が描かれている、クラカウ写本の最終ページ https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 209v, S. 428 写真1 2つのマンダーシャイト城。 向かって左が上城(Oberburg)、右が下城(Niederburg)で、 下城がマンダーシャイト伯の居城。(著者撮影) 写真2 マンダーシャイト伯の紋章(著者撮影) シュトリッカーが『ダーニエル』を創作した13世紀初頭の状況と15世紀写本の挿画の相違は、騎士の武具や装身具などに見られますが、200年の間に物語そのものがシュトリッカーの原作からどのように変化を遂げたのかについては、推測の域を出ません。この前提を承知の上で、ビルクハン(Helmut Birkhan 1992)は『ダーニエル』の散文現代語訳を作成・出版しました。レスラーの校訂版を基に作成した自身の訳本にクラカウ写本の色彩挿画を全て掲載し、読者の物語への関心を喚起しています。英訳を作成・出版したレスラーも、同写本の挿画をいくつか、こちらはモノクロ掲載しています。 写真3 ビルクハンの現代ドイツ語訳のカバー表紙。物語に登場する怪人や、クルーゼ国の描写にあるエキゾチックな動物などが描かれている。 本稿では、フランクフルト写本がベースになっているレスラーのテクスト刊本(第3版2015)の行数を採用し、クラカウ写本の挿画と対応させつつ、『ダーニエル』のストーリーを追っていきます。この組み合わせは、フランクフルト写本とクラカウ写本が同一の 写本に由来する可能性が高いので、学術的にも許容範囲であろうとの判断に基づきます。長くなりますが、現在はまだ和訳も、韻文のままの現代ドイツ語訳との対訳本もない作品ですので、この粗筋が現代ドイツ語訳や英語訳を読む前の下準備となる事を願っています。 「はじめに」(V.1-22): 格言、「徳の高い行いの話に喜んで耳を傾ける人は、自身が徳を進んで実践する際に、耳にしたことを心に留めている。反対にそのような話を聞きたがらない人は、気高い行いの実践に疎い。」[8]を導入に使い、これから始まる物語が聴くに値することを宣言します。 続けて、アルブリヒ師 „meister Albrich“ (V.7) がフランス語„wälscher zungen“(V. 9)[9]で語った物語を、シュトリッカーが自らドイツ語に訳して語っていると述べて、自らのフランス語力をアピールし、物語の起源に箔を付け、加えて自分は「作者」ではないので、物語の真偽に責任はないと断っています。[10] 導入「アルトゥース王」(V. 23-162):「完璧な王アルトゥース」の宮廷とそこで実践される「徳」tugende[11]が例証されます。王妃ギノヴェーア(Gynovêre, 英語:グイネヴィア Guenevere, Guinevereなど) さえいない、女性の登場しない宮廷では、円卓が、まるで田舎者を嫌う貴婦人のように、 座する資格のある騎士を選別します。また、アルトゥースの掟には、「失敗・恥については隠さず話し、殊勲・名誉については自ら語ってはいけない」など、円卓の騎士が守るべき規則が定められています。なお、円卓の歴史的変遷につきましては、小宮真樹子氏の解説、『円卓』をご参照下さい。 「ダーニエルの登場」(V. 163-394) : 花咲く谷国の王子ダーニエルは、アルトゥース王の円卓の騎士の一人に加えてもらおうと、王の宮廷へ向かっています。宮廷に近づいたところで、円卓の騎士の一人であるケイイ(Keiî、英語:ケイ Kay)に遭遇し、早速一戦交えますが、ケイイは敢えなく落馬し、ダーニエルの勝利となります。アルトゥースの宮廷に戻ったケイイは、アルトゥースの掟に反して、このことを宮廷の騎士達に報告しませんでした。不思議に思った騎士たちが事実を知るために宮廷から出かけて行くと、ダ−ニエルが宮廷へ向かって来るのに出会います。数人のアルトゥースの騎士がダーニエルと戦うも、次々に落馬を余儀なくされるのを見て、3人の有名な騎士たち、ガーヴェイン(Gâwein あるいはGawan、英語:ガーウェイン Gawain)、イーヴェイン (Iwein、英語: イーウェイン Yvain, Iwain)、パルツィヴァール(Parzivâl、英語: パーシヴァル Parceval)がダ-ニエルに挑戦します。この3人との対戦を対等にこなしたダーニエルは、アルトゥース王の円卓の騎士に迎え入れられます。 挿画2 ダーニエル、馬上試合でケイイに勝利する https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 54v , S.118 「マトゥーア王の巨人使者・挑戦」(V. 395-986) : アルトゥース王の宮廷に、クルーゼ(Clûse)国のマトゥーア(Matûr)王の巨人使者がやって来ます。マトゥーアはアルトゥースに、自分の臣下となるべく挑戦状を送って来ました。アルトゥースは、円卓の騎士たち、特に賢明さで名高いガーヴェインの助言に準じて挑戦状への返事を保留し、クルーゼに向かって出陣することに決めます。しかしダーニエルは、アルトゥース軍の出陣を待たずに単独で出発します。[12] 挿絵3 クルーゼ国マトゥーア王の巨人使者が、アルトゥースにマトゥーア王の挑戦を伝える。 https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 52v, S.114 「ダーニエルの出発1・第一の冒険=暗闇山と侏儒(こびと)ユラーン」(V. 987-1785):クルーゼへ向かうダーニエルは、道すがら次々に怪物を退治します。まず初めに、暗闇山の公爵(Herzog vom Trüben Berg)の令嬢を脅迫していた侏儒ユラーン(Jurân)を討ち取り、公爵令嬢を救済し、ユラーン所有の「万物を切り刻む剣」を手に入れます。 挿画4 ダーニエル、暗闇山の公爵令嬢を救う。 https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 66v, S. 142 「第二の冒険=輝く泉と腹なし怪人」(V. 1786-2360):続いて、「メデューサの首」を持つ腹なし怪人(der bauchlose Ungeheuer)とその軍勢に城と一族郎党を奪われた輝く泉の伯爵夫人(Gräfin vom Lichten Brunnen)を救済し、城の塔に逃げ込んだ伯爵を解放します。この際、ダーニエルは鏡とユラーンの剣を有効に利用します。 挿画5 腹なし怪人の持ち物であった首を使って怪人を倒すダーニエル https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 85r, S. 179 「第三の冒険=秘密のテントと巨人の兄弟」(V. 2361-2844): ダーニエルは、伯爵夫人に別れを告げ、伯爵と共にクルーゼに向かって出発します。途中、森の中で美しいテントを見つけ、中に入ると、テーブルの上に山ほどのご馳走が並べられていました。そこへ見知らぬ騎士が通りかかり、伯爵は騎士を追って、そしてダーニエルも二人を追って巨人の住む山へ向かいますが、そこで伯爵と逸れてしまいます。生死の分からぬ伯爵を待って1週間テントで過ごした後、ダーニエルはアルトゥースがクルーゼに到着する日に合わせて出発しますが、巨人(巨人使者の兄弟)に先を塞がれます。しかし、ダーニエルはユラーンの剣を使ってこの巨人の四肢と頭を切り落とし、無事にアルトゥースの軍勢と合流します。 挿画6 森の中の美しいテント https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 91v, S. 192 「一騎打ち・アルトゥース王の勝利とマトゥーア王の死」(V. 2845-3071): ガーヴェイン、パルツィヴァール、イーヴェインは、ダーニエルが巨人使者の兄弟を倒したことを確認し、改めてユラーンの魔法の剣をダーニエルに託します。アルトゥースと4人の騎士は軍勢を引き連れ、クルーゼの門を守る黄金の獣の雷の如き叫び声を止めるために、獣の口に旗竿を突っ込み、急ぎ足でクルーゼに向かいます。一方、兄弟をダーニエルに殺された巨人使者は、アルトゥースとその騎士たちへの復讐を誓います。他方、4人の騎士とともにクルーゼに到着したアルトゥースは、現れたマトゥーア王と過酷な一騎打ちに臨み、その命を奪います。 挿画7 アルトゥースとマトゥーアの一騎打ち https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 102r, S. 213 「第一の戦闘・巨人使者の乱入」(V. 3072-3921):マトゥーア王の軍勢は、主君が討たれて逆上し、アルトゥースの騎士たちと軍勢に全力で襲いかかって来ました。「鉄剣が木片のように燃える」(V. 3120-3121)ほど激しい戦闘で、両軍の戦士たちの多くが命を落とす中、巨人使者が現れ、アルトゥース軍は苦戦を強いられます。しかし、巨人は眼を射抜かれて敵味方の区別がつかなくなり、アルトゥースと3人の勇猛な騎士たちは、戦況を挽回してマトゥーア軍を蹴散らします。また、敵の真っ只中で孤軍奮闘を余儀なくされていたダーニエルは、その苦境をアルトゥースに救われました。アルトゥースは、兄弟の巨人を討ち取ったダーニエルを称え、更なる戦いへの闘志を誓います。 挿画8 巨人使者の眼を射抜くダーニエルとアルトゥース軍 https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 106r, S. 221 「ダーニエルの出発2:第4の冒険=秘密のテントの戦士たち」(V. 3922-4107): ダーニエルは、クルーゼで戦い続けるアルトゥースと騎士たちから離れ、巨人の兄弟との戦いで見失った輝く泉の伯爵を探しに出発します。伯爵が消えた山の石は、今回は開いていたので、ダーニエルはそこへ入って行けましたが、その先はより大きい石で塞がれ、ダーニエルは先へ進めなくなります。しかし、ここでも何でも切り刻めるユラーンの剣を使うと、石は氷のように割れました。その穴を抜けて先へ進むと、あの美しいテントのある野原に出ました。そこに現れた騎士は、どんな剣も通さない人魚(Merwîbe V. 4041)の皮で武装していて、ダーニエルは大変な苦戦を強いられます。それでも最後にはこの騎士を押さえつけ、伯爵を殺したかどうか尋ねますが、答えてもらえません。 挿画9 秘密のテントの騎士との戦い https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 122v, S. 254 「第5の冒険=緑野の伯爵・ダーニエル網にかかる・怪人「禿頭の長患い」(V. 4109-4990): ダーニエルは諦めて、その山の中を、伯爵を見失った場所へと進んで行きます。そのトンネルから出ると、緑地があり、やがて道が壮麗な門で塞がれ、その門には、昼夜誰にも見えない網が張られています。勇ましく門に向かったダーニエルは、この網にかかり、手も足も出せない状態に縛られてしまいました。そこへ、若い貴婦人サンディノーゼ (Sandinôse)が通りかかり、ダーニエルが彼女に「騎士的忠誠」を約束したので、彼女は網を外しました。この貴婦人は「緑野の国」(das Land von der Grünen Aue)の伯爵令嬢で、テントを建てたのは彼女の父、心の広い伯爵でした。ある日、伯爵は人魚の女王とその一行を客に迎え、もてなしに感謝した女王から、武器を通さない皮とこの見えない網をもらいました。しかし、一年前からこの国では、恐ろしい化け物、「禿頭の長患い」(der kahlköpfige Sieche)が、人間の血で自分の病を癒すために、毎週一度男子を幾人も殺し、その国の住民を絶滅に向かわせていました。ダーニエルが戦った「人魚の皮を着た騎士」は、化け物の言葉に抵抗できずに「犠牲者狩り」をしていた緑野の伯爵だったのです。ダーニエルは策略を用いて化け物を殺し、緑野の国の伯爵と騎士たち、そして犠牲者候補として捕獲されていた輝く泉の伯爵を解放し、その報酬として、サンディノーゼから目に見えない魔法の網と、網を見えるようにできる軟膏をもらい、解放された26人の騎士達と一緒にアルトゥース王のもとに向かいます。 挿画10 禿頭の長患いが自分の病気治療のために緑野の国の男子を次々に殺し、その血を溜めている。その背後 から怪人をまさに討ち取ろうと構えるダーニエル https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 135r, S. 279 「第二、第三、第四の戦闘・勝利」(V. 4991- 5779): ダーニエルがアルトゥ-ス王のために策略を使って最後の決戦に勝利するまで、ダーニエルとアルトゥースの騎士たちはクルーゼの軍勢と計4回の戦闘を繰り広げました。以下は、ダーニエルが最後の決戦で使った策略です。マトゥーア王の国クルーゼの入り口にいる金色の獣の口には、前述の旗竿が立てられていますが、旗を引き抜くと大声で咆哮し始め、その声は、どんなに強い騎士でも馬から落ちて気絶するほどです。アルトゥース軍の騎士や兵士は皆、耳に詰め物をして戦いに挑みます。ダーニエルの指図で旗は引き抜かれ、絶え間なく続く咆哮にマトゥーア王の残党はみな馬から転げ落ち、全軍勢がアルトゥースとその騎士たちの前に膝を屈しました。 挿画11 ダーニエルが動物の口の旗竿を抜くと、動物はけたたましく吠えて、クルーゼの兵士は皆気を失って しまう。竿の先の旗印は、前述のマンダーシャイト伯の紋章 https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_ et_al, 154r, S. 317 「クルーゼの王妃との和平・ダーニエルの戴冠」(V. 5779-6202): アルトゥースは、ダーニエルの偉業に感謝して、マトゥーア王の未亡人ダニーゼ(Danîse )とダーニエルを結婚させ、クルーゼ国を統治させることにします。 挿画12 クルーゼ国王妃ダニーゼとアルトゥースの和解 https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 161v, S. 332 挿画13 ダーニエルとダニーゼの結婚 https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 164v, S. 338 挿画14 ダーニエルのクルーゼ国王戴冠 https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 168v, S. 346 「ダーニエルとダニーゼの結婚式・祝宴」(V. 6203-6884): ダ-ニエルだけが結婚するのではありません。さらに、クルーズ国の未亡人・貴婦人たちは全員がアールトゥス臣下の未婚男性と結婚しました。500人あまりのクルーゼの女性たちには、騎士の数が十分ではなかったので、若い従者・見習いたちが俄かに騎士に仕立てあげられ、残っていた女性たちと結婚しました。 「疾風の老人」によるアルトゥース王誘拐(V. 6885-7904): しかし、結婚式の祝宴は、奇妙な服を着た「疾風の老人」 (der geschwinde Alte)によって中断されます。老人は、ダーニエルに倒された巨人たちの父親であり、復讐のためにアルトゥースを誘拐し、何人も近づくことのできない山の頂上に連れ去ります。パルツィヴァールはアルトゥースを救出しようと立ち向かいますが、逆に老人に捕まり、山頂のアルトゥースの隣に置かれてしまいます。しかし、ダーニエルは「魔法の網」の助けを借りて老人を捕え、老人に2人の息子の敗北が自業自得である事を納得させ、老人を改心させます。 挿画15 疾風の老人、アルトゥースを誘拐する https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 176v, S. 362 挿画16 ダーニエル、サンディノーゼの網を使って、疾風の老人を倒す https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 186v, S.382 挿画17 疾風の老人、アルトゥースを岩山から降ろす。パルツィヴァールは降ろしてもらうのを待たなければ ならない。 https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 194v, S.397 「祝宴は続く・ダーニエルとアルトゥース王の別れ」(V. 7905-8482/3): アルトゥースが無事にダーニエルの宮廷へ戻り、ブリタニアからギノヴェーア(やっとここで登場)がダーニエルによってアルトゥースの元へ迎えられ、豪華な祝宴が続きます。独身の騎士ベラディガント(Beladigant)公爵は、アルトゥースの計らいで、緑野の国のサンディノーゼと結婚します。改心した「疾風の老人」は、アルトゥースから、巨人の兄弟が住んでいた、人の近づけない山のある元の領地を治めることを許されます。クルーゼ国に平和が訪れたのを見届けたアルトゥースは、騎士たちを連れてクルーゼを後にします。その後、ダーニエルはダニーゼと幸せな結婚生活を送り、新しいクルーゼ国のすべての人々に平和がもたらされました。 挿画18 宴は続く。音楽、劇、トーナメントなどの娯楽が次々に催される。 https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 199r, S. 407 挿画19 アルトゥースと騎士たちがクルーズを後にする。 https://jbc.bj.uj.edu.pl/dlibra/publication/193784/edition/182882_Gesta_Trevirorum_et_al, 196r, S. 401 |
【5.「新しいアルトゥース王物語」と言われる『ダーニエル』の特徴と研究のポイント】 |
シュトリッカーは『ダーニエル』で様々な先行作品を参考にしたといわれます。そのうち、特に大きい影響が見られる作品は、ハルトマンの『イーヴェイン』、ハインリッヒ・ フォン・フェルデケ (Heinrich von Veldeke)の『エーネアス(アエネイス)物語』 (Eneasroman)、司祭ランブレヒト (der Pfaffe Lambrecht) の『アレクザンダー物語』(Alexanderroman)、そして司祭コンラート(der Pfaffe Konrad)の『ローラントの歌』 (Das Rolandslied)でしょう。シェイクスピアの例を待つまでもなく、中世の人気作家は記憶力に長けたコピペの天才で、現代の研究者たちは、その原典・先行作品を照合することに、並々ならぬ労力を費やしています。 『ダーニエル』の物語そのものの着想・構造において、最も重要な役割を果たしている先行作品は『イーヴェイン』であることが定説になっています。シュトリッカーは『ダーニエル』で、『イーヴェイン』に代表される「王道」クレティアンの作風に沿った古典騎士物語の複製かパロディを狙ったのでしょうか。それとも「王道」の裏をかく、時代を反映した「新しい」アルトゥースとその騎士たちの物語を構築しようとしたのでしょうか。この疑問に答えるために、特に注目する点は物語の二人の主人公、ダーニエルとアルトゥースの描き方です。以下は、シュトリッカーのアルトゥース王物語の創作意図を推測する根拠となるポイントです。 ①「自ら戦うアルトゥース王」像 古典アルトゥース王物語からの逸脱とされる「自ら戦うアルトゥース王」像は、新しいというよりはむしろブリテンの伝統的なアーサー王像=「征服王」[13]に戻ったという印象を与えます。そのため、「騎士の徳」にも戦利的な価値を優先した以下の様な解釈がなされます。アルトゥースへの忠誠triuweを証明するのは、勇猛muot、知恵・策略list、助言râtによって得られる賞賛lopと名誉êreであり、証拠となる傷ついた盾を宮廷へ持ち帰ることが条件です。対して王としてのアルトゥースは、慈悲の心huldeと寛大さmildeを以って、騎士に賞・褒美prîs を与えます。また、マトゥーア王の挑戦という危機に際し、宮廷の状況設定も、伝統的な聖霊降臨祭の宴会中にも関わらず、アルトゥースが中心の戦略会議場となります。 ②円卓が騎士のリクルートを担当 円卓に受け入れられる条件は、優秀な戦士であることのほかに、教育・良い育ちzuhtと知的・物的財産guotを所有していることです。つまり、洗練されていない田舎者(„dörperheit“, v. 98)やナイーヴな若者 („die tumben jungelinge“, v. 815)が教育や経験によって騎士として育て上げられていくというコンテクストはありません。このことから、登場時にこれらの条件を満たして円卓に受け入れられる ダーニエルを主人公に据えた場合、クレティアンからハルトマンらが受け継いだ古典物の「二部構造」(1 主人公の「若気の至り」がもたらす危機、2 危機の克服と上昇)が持てない物語となることを意味します。この「二部構造」は、主人公の騎士の活躍を主筋とする場合、物語展開上の窮屈な「縛り」になるとも考えられ、その「縛り」を取り去るために主人公を初めから完璧な英雄に設定し、その活躍に焦点を合わせているようです。[14] ③ダーニエルが知恵・策略listを用いることを許容されている その理由は、①で挙げたアルトゥース騎士道の基本方針が徹底的な能力・功労主義だからで、裏には「負けた騎士には死が報酬」という戦闘の現実があります。ゆえに、ダーニエルはlistを用いてでも、絶対に勝たなければなりません。そのダーニエルの命を救い、勝利を確約するのは、イーヴェインの場合に登場するライオンにみられる忠実な従者ではなく、ユラーンの剣やサンディノーゼの網などの「秘密兵器」を適所に用いることです。このような武器は、従来の騎士の価値観では、策略を弄してでも相手を倒そうとする悪役たちの手段でした。しかし、ダーニエルにとって、このような武器を使う裁量、つまりlistは、目的が忠誠triuweに繋がるのであればタブーではなく、従って名誉êreを傷つけるものではありません。むしろ、助言râtが期待できない単独での危機回避のためにlistを正当に用いる技量も、完璧な騎士になるためには不可欠です。 このlistについて、シュトリッカーが物語に合わせて持論を述べたエクスクルス(Exkurs余論・解説)があります。引用は、レスラーの第3版を使いました。 V. 7487 Swer iht guoter liste kann, den solde wîp unde man gerne êren dester baz. ein man tuot mit listen daz daz tûsent niht entaeten, swie grôze kraft sie haeten. (本稿筆者逐語訳) 策略をうまく使うことを知る者は、 男でも女でも 特に褒め称えらるべきです。 策略を用いれば一人でも出来ます 千人でも出来ないようなことが、 たとえ(その千人が)大きな力であっても。 ここで、listを使う技量のなかった例として「疾風の老人」が挙げられ、対してダーニエルは、サンディノーゼの策略で網に掛かった自分の体験を、老人を捕らえることに利用するlistを持っていると称えられます(V. 7493 – 7503)。 V. 7518 swer mit wîsheit ist geladen, daz ist ein lîhtiu bürde. ich waene ie dehein last würde den man sô sanfte trüege. Er ist grôz und doch gefüege. Swer kunst unde wîsheit Beidiu in sîn vaz leit, der mac wol haben unde geben. sol er tûsent jâr leben, swaz er darûz gelaeren kann, ez wirt dâvon niemer wan. 策略を使う賢さを背負っても、 それは軽い重荷です。 決して重荷にならないと思うのは、 かくも軽々と背負えるからです。 大きくても使い勝手が良いのです。 技量と策略を使う賢さとを 共に己の「壺」に入れられる者は、 所有しかつ分配できるのです。 たとえ千年生きようとも、 その「壺」から教えを授け続け、 「壺」は決して空にはなりません。 シュトリッカーの意味するlistは、上記にあるように、体験から学んだ策略を使う賢さと技量を持ち、しかもそれを「知識」として蓄え、必要とする人に分け与えられる、つまり「軍師」としての才能を持っていることを指しているようです。しかも、この才能がある者は、男女の別なく褒め称えられ、褒賞に値します。従って、サンディノーゼがアルトゥースからベラディガント公爵を夫として授けられるのは、彼女がダーニエルに対して披露した「網の策略」が評価された結果であると言えます。 ④パラレルに繰り広げられる二人の主人公の活躍 ダーニエルとアルトゥースという主人公二人の活躍により、『ダーニエル』では古典的「二部構造」ではなく「複線構造」が生まれます。そして、二人が共同で1つの難題に取り組むと、そこで「複線の融合」が達成されます。 ダーニエルは一度だけ、戦闘での窮地を「戦友」アルトゥースに救われます(「第一の戦闘」を参照)。そこまで、アルトゥースとは全く別行動を取りながら難敵の怪物を次々に倒したダーニエルですが、クルーゼ国の軍勢に取り囲まれると、多勢に無勢で苦戦を強いられます。それに気付いたアルトゥースがダーニエルの窮地を救うので、二人の行動の一体化、つまり「複線の融合」が起こります。しかし、その後ダーニエルがまた単独で戦場を離れるので、ストーリーは「複線」に戻ります。次の融合は「ダーニエルの結婚」と「アルトゥース誘拐」で起こります。 また、一騎打ちの場面がアルトゥースとマトゥーアの王同士、つまり身分対等で繰り広げられるのに対して、ダーニエルは専らモンスターとの戦いでその腕を披露します。頂点に立つアルトゥースと臣下であるダーニエルの対戦相手を分けることで、物語の「複線化」が自動的に行われますが、同時にダーニエルの、勝利をもたらす武器とそれを使う知恵とを得る「運の良さ」が、怪物退治で顕著になります。 ⑤集団での戦闘が中心 戦闘場面および戦いの方法は、一騎打ちより集団での戦闘が中心になり、武勲詩、そして元祖ブリテンのアーサー王伝説を思い起こさせます。そこまで遡ることはできなくとも、シュトリッカーが、王侯の注文による仕事であったにせよ、司祭コンラートの『ローラントの歌』を改編した武勲/英雄叙事詩『カール大帝』を作成したことは、彼の戦闘場面と戦術への強い興味を彷彿させます。[15] 挿画20 シュトリッカー『カール大帝』より:死屍累々の中で、救援を求める笛オリファントを吹くローラント St.Gallen, Stiftsbibliothek, Cod. Sang. 857, f.50v (www.e-codices.ch) https://www.e-codices.ch/de/list/one/csg/0857(e-codices_vad-0302_214_050v_medium.jpg) ⑥ダーニエルとダニーゼの結婚 アルトゥース王の説得によりクルーゼ国の王妃ダニーゼが和解を受け入れて達成される平和vrideは、クルーゼ国の安泰統治を目的としたダーニエルとダニーゼの結婚、つまり„Eheminne“で達成されます。宮廷恋愛 hohe (プラトニック)/niedrige(性愛を含む)minneが全く描かれない『ダーニエル』のminne は、あくまで女性への「奉仕」であり、必要であれば恋愛抜きの結婚で収束します。クルーゼのマトゥーア王の未亡人ダニーゼをダーニエルが娶ることは、二人の名前がDで「共鳴」しているので、エーレクとエーニーテのように、筋書きに組み込まれています。王妃に限らず、独身・未亡人の貴婦人たちを再び「夫人」にして平和をもたらすのも、征服者としてのアルトゥースとダーニエルの徳から発した義務であり、その象徴的場面がクルーゼでの集団結婚です(V. 6687ff., 特に V. 6721-6884)。 宮廷恋愛としてのminneが欠けているので、ダーニエルは恋愛で窮地に嵌ることがありません。これは、ダーニエルが常勝の騎士であることへの絶対条件です。『ダーニエル』の女性たちは、ダーニエルのmilte/mildeに縋ってモンスター退治の助けは求めても、ダーニエルを誘惑したり、彼に宮廷的恋愛関係を求めたりすることはないし、また求める必要もないのです。アルトゥースの徳の一つ、寛大さ・慈善の心milte/milde がもたらすminneによるvrideがこの物語の結末であり、ダーニエルもmilte/mildeによる慈善事業的な怪物退治で、貴婦人達がvrideに到達するのを助けます。貴婦人達の名誉を重んじるための現実手段は結婚、つまり相応しい騎士を伴侶とすることです。[16] |
【終わりに:新しいジャンルかパロディか】 |
シュトリッカーの同時代の聴衆は、『イーヴェイン』など古典アルトゥース王物語を知っていたでしょうか。パロディが機能するための必然条件は、聴衆の古典物に関する前知識です。もしこの作品をパロディ、あるいは同時代の騎士階級への批判とするなら、聴衆はハルトマン等の作品を知っている貴族階級に属する人々でしょう。シュトリッカーが『ダーニエル』をパロディ、少なくとも『イーヴェイン』などの古典騎士物語に並行する、あるいは対抗する作品を意図したのであれば、その「上演」場所も古典物の舞台と同じ、例えば宮廷や貴族の館が相応しいのです。 対して、街の広場などで一般聴衆を相手に「上演」する目的で創作したのであれば、『ダ-ニエル』はパロディであるよりは寧ろエンターテイメント、聴衆に身近な表現を使い、一般人でもイメージを描きやすい戦闘や怪物が登場する場面を増やし、何らかの道徳的教訓を入れながらも飽きさせない工夫を凝らした新ジャンルのアルトゥース物語と定義できます。ブムケ(Joachim Bumke, 2000)[17]の指摘する様に、「腹なし怪人」などの奇怪な登場人物が連続して現れる『ダーニエル』は、宮廷物語のコンテクストでも喜劇的な要素、笑いを一貫して重視したシュトリッカーのオリジナル・スタイルで作られた作品でしょう。危機的な場面においてでも結末で笑いが取れるように、どんな化け物と対戦しても勝つことが約束されている常勝の騎士ダーニエルを、シュトリッカーは主人公に据えたと考えられそうです。 しかし、「聴衆」と「受容」については、『ダーニエル』のみならず、古典物から続くアルトゥース物語の「上演場所」およびその「聴衆」、更にはその作成依頼者への深い洞察・研究が必要です。ここでは、問題を提起するに止めますが、興味を持たれた方は、例えばシリング(Michael Schilling, 1991)の研究などを参照されると良いでしょう。加えて、「娯楽」の意味するものが、シュトリッカーの時代と現代とではどう違うのか、このことも「受容」を考察する上で考慮しなければなりません。 『ダーニエル』は切り貼りの駄作扱いをされながらも、研究に値する様々な側面を内蔵する、興味深い作品です。また、研究対象としてだけではなく、現代でも通用する、ヴィジュアル化に適した冒険・戦闘のエピソードが豊富です。しかし、宮廷風恋愛としてのhohe/niedrige minneが欠けているため、アーサー王物語のファンには物足りなさを感じさせるかもしれません。現に13世紀当時でも、シュトリッカーの翻案から『花咲く谷のガレル』(Garel von dem blühenden Tal、1250年頃成立)を生み出した後続の作家デア・プライヤー(Der Pleier=Schmelzmeister 金属溶融またはエナメル加工職人の意)は、ハルトマン等の古典アルトゥース物語への「揺り戻し」を明確に方向付けています。 それでも『ダーニエル』は、豊富に組み込まれた武勲・英雄叙事詩的な場面と人物像が、戦闘が身近な出来事であった中世中期の聴衆を高揚させたことに疑いの余地はないでしょう。しかも、常勝の騎士ダーニエルの戦いは、前述のように、「勝つ」ことが筋に組み込まれているので、聴衆は彼の危機を心置きなく堪能できます。この「水戸黄門」的な楽しみを分かち合うために、『ダーニエル』の和訳版、及びヴィジュアル・エンターテイメント版が現れることを、期待して止みません。 |
Notes |
^1.Danielのカタカナ表記は、発音記号[dá:nie:l] / [dá:niεl]に準じると、「ダーニエール」/「ダーニエル」となります。対して、ビルクハン(Birkhan 1992, p. 42)は、現代ドイツ語訳本のコメントで、この作品の韻の踏み方から、[-i-]にアクセントがあった、つまり、「ダニーエル」だったと指摘しています。本稿では、現代の発音「ダーニエル」を採用しましたが、根拠は、現代ドイツ語母語話者の発音に近づけたことです。^2.このジャンル分けの是非については、ヴェンナーホルト(Wennerhold 2005, p. 10−12)に研究者たちの評価がまとめてあります。1980年代になって評価の転換が始まり、「古典に続くアルトゥース物語」の独自性が認められるようになりました。しかし、評価のポイントは引き続き「古典物との比較」にあります。^3.『ダーニエル』の創作年代の設定については、ヴェンナーホルト(2005, p. 133)に解説されています。^4.シュトリッカーの作品中、日本で最も知られているのは、『司祭アーミス』 (Der Pfaffe Amis)でしょう。1927年に日本人研究者K. Kamiharaの校訂本が出て、藤代幸一氏の日本語訳も出版されています。^5.『カール大帝』は、司祭コンラート(Pfaffe Konrad)の『ローラントの歌』(Das Rolandslied)を翻案にしていますが、物語の主人公をローラントからカール大帝にすべく、改作を施しています。その理由は、初代神聖ローマ皇帝カールの「神聖さ」を前面に押し出し、後続の皇帝の「神聖性」を裏付ける作品作りをしたのではないかと考察されます。^6. レスラー (2015, p. XI) に依ります; ビルクハン (1992, p. 42)では52カ所とされています。Vgl. Marburger Repatorium: http://www.handschriftencensus.de/3615; http://www.handschriftencensus.de/3616 (2019年10月14日閲覧)^7. マンダーシャイトは、ラインラント・プファルツ (Rheinland-Pfalz) 州ベルンカステル=ヴィットリヒ (Bernkastel-Wittlich) 郡にあります。周囲は風光明媚なアイフェル(Eifel)山地です。上城 (Oberburg) はトリーア( Trier) 大司教の所有で、マンダーシャイト家はトリーア大司教と深い繋がりがありました。この写本の成立時期に、領主ディートリヒ (Dietrich)三世(1436-98)が伯爵となり、周囲の所領を統合・統治しましたが、トリーア大司教への忠誠が統治の条件でした。この解説は、トーン (Alexander Thon, 2013, p.10) に依ります。但し、マンダーシャイト伯と『ダーニエル』写本の関連性は、推測の域を出ません。^8. この導入部分は、ハルトマンの『イーヴェイン』の導入部分を借用したようです。『ダーニエル』は『イーヴェイン』を手本のように扱って書かれていることから、『イーヴェイン』を読んだのちに『ダーニエル』を読むと、シュトリッカーの創作意図を推察するのに大変役立つでしょう。^9. „wälscher“ は現代ドイツ語の „welsch“で、ロマンス語地域(フランス、イタリア、スペインなど)を指す言葉です。例えば、die welsche Schweizはスイスのフランス語地域を指します。残念ながら、ウェールズWales /walisischではありません。メルテンス(Volker Mertens, 1998, p. 207)の第2パラグラフ参照。^10. 例えば、ブムケ(Joachim Bumke, 2000, p. 223)のように、この但し書きは、作品に箔をつけるためのもので、『ダーニエル』の筋書きはシュトリッカーの独創であろうとの見解が一般的です。^11. 中高ドイツ語のこの言葉の意味する「徳」には、「有能」「役立つもの」、つまり「実用・人助けになる立派な特性」の意味があります。^12. ダニエルの単独での出立は、イーヴェインのカ−ログレナント救援への単独出立を連想させます。『イーヴェイン』を模した部分には、『ダーニエル』をアルトゥース王物語の伝統に連なる作品にするという、シュトリッカーの意図があるとされています。^13. ヴァルテール(渡邉訳)(2016)、pp. 3-31: 参照箇所は、① p. 15 「『ブリトン人の歴史』は、… アーサーは「戦闘隊長」(dux bellorum)と呼ばれている。」、② p. 25、 「アーサーの姿は、…「征服王」から、暇を持て余す消極的な王の姿へ…。」 なお、シュトリッカーが「ブリタニア物」を知っていたという証拠はないようです。^14. 古典ものに後続する物語(nachklassische Romane) の特徴としての「主人公の危機のなさ」、「宮廷物語の3つの新モデル」、「クレティアン・モデル=二部構造の非普遍性」については、ヴェンナーホルト(2005、S. 13-14)にまとめられています。^15. この写本は、「サン・ガレン英雄叙事詩写本」St. Galler Epenhandschrift(Cod. Sang. 857)と呼ばれ、『カール大帝』(pp.452-558)の他、ヴォルフラムの『パルツィヴァール』(pp. 5-288)と『ヴィレハルム』 (pp. 561-691)、『ニーベルングの歌』 (pp. 291-461, 416-451) などが収められ、13世紀後半、作品登場の比較的直後、1260年頃に作成されたといわれます。『カール大帝』の写本は、完全写本と断片を合わせて、現存だけでも40本以上あり、当時の人気が高かったことを物語っています。^16. シュトリッカーの「こうあるべきminne論」は、『女性の名誉』(Frauenehre)という作品にみられます。騎士は常に女性に奉仕するのが義務で、また女性は騎士が騎士としての、そして君主としての義務を全うできるように影ながら援助しなければならないというのが、シュトリッカー流minneの基本のようです。本稿では、シュトリッカーがminne と女性の役割について持論を展開している作品があるということに触れるのみに留めます。^17. ブムケ(Bumke 2000), p. 208. |
【写本・校訂本・研究書など】 |
写本 |
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2023年12月3日、「サラセンの騎士パロミデス:キリスト教世界における他者」を掲載いたしました。
2022年11月4日、「『花咲く谷のダーニエル』(デア・シュトリッカー)」を掲載いたしました。
2022年9月26日、「スペインにおけるアーサー王の伝統:中世から『ドン・キホーテ』まで」を掲載いたしました。
2022年3月31日、「『トリスタン』の愛についての一考察」を掲載いたしました。
2020年6月16日、「Prose Brut Chronicle-『散文ブルート』におけるアーサーとその影響-」 を掲載いたしました。
2020年6月16日、「中世仏語ロマンス『Le roman de Silence』(小川真理)」を掲載いたしました。
2020年3月8日、「『ティトゥレル』Titurel―「誠のある真実のミンネ」と明かされない謎―」 を掲載いたしました。
2020年2月25日、「聖杯」 を掲載いたしました。
2020年2月25日、「『トリスタン』(ゴットフリート・フォン・シュトラースブルク)」 を掲載いたしました。
2019年8月21日、「「アーサー王物語」への神話学的アプローチ―「グラアルの行列」の解釈を例に―」 を掲載いたしました。
2019年5月13日、「『狐物語』とトリスタン伝説、そしてアーサー王伝説」を掲載いたしました。
2018年10月15日、「こんなところでアーサー王伝説に遭遇!」を掲載いたしました。
2018年9月21日、「アニメーションやゲームに登場するアーサー王物語と円卓の騎士について」を掲載いたしました。
2018年9月15日、「<映画の中のアーサー王伝説1> 『スター・ウォーズ』:宇宙版アーサー王伝説 」を掲載いたしました。
2018年8月23日、「円卓」を掲載いたしました。
2018年8月6日、「『アーサー王の死』の著者サー・トマス・マロリーについて」を掲載いたしました。
2017年12月25日、「北欧におけるアーサー王物語」を掲載いたしました。
2016年12月13日、「ジェフリー・オブ・モンマス」を掲載いたしました。
2016年12月8日、「魔法使いマーリン」と「中英語アーサー王ロマンス『ガウェイン卿と緑の騎士』」を掲載いたしました。