The International Arthurian Society - 国際アーサー王学会日本支部

『狐物語』とトリスタン伝説、そしてアーサー王伝説

高名康文(成城大学教授)

 

 【1.『狐物語』の成り立ちと同時代に流行した文学作品】
 12世紀末から13世紀の中葉にかけて北フランスに成立した『狐物語』は、動物を主人公とする物語群である。今日、それらの作品は「枝篇」と呼ばれているが、30作弱の長さのまちまちな枝篇は、それぞれ異なる作者によるものと考えられている。主人公のルナール狐が、ライオンのノーブル王の宮廷で、狼のイザングランを始めとする動物の諸侯と繰り広げる紛争が、大半の枝篇の主題になっている。  
 リュシアン・フーレが1914年に出版した論文[1] で提示した、この作品の推定年代は今日では疑問視されているが[2] 、成立順序についてはおおむね定説として受け入れられている。本稿では、フーレが『狐物語』の中で最初に成立したと考えた枝篇(第II-Va枝篇[3] )、初期枝篇の最後に書かれたと考えた第I、Ia、Ib枝篇(IaとIbがIの続編になっている)、中期枝篇と考えた第XI枝篇と第XVII枝篇、後期に分類した第XIII枝篇について扱う。  
 狐ルナールと狼イザングランの紛争が、この作品群の中心テーマである。その根本的な理由となったイザングランの妻エルサンとルナールの情事は、第II-Va枝篇に描かれて、後期に成立したと考えられている枝篇に至るまで絶えず言及され、あらゆる作品の通奏低音になっている。イザングランや、その仲間の動物たちは、王の諸侯会議での裁判や、偶然での出会いなど、あらゆる機会を利用して、狼が寝取られ亭主にされたことの仕返しを狐に対してしようとする。ルナールは、悪知恵を働かせて、王に取り入ったり、騙してかえって酷い目にあわせたりして、危機から逃れる。  
 この物語の源泉については、口承により伝わった民話と、文字に書き記されて伝承された文学作品の両方があると考えられている。『狐物語』の枝篇の中には、糞尿譚に堕するような話も含まれており、民間の口承のみから伝えられてきたような話もモデルになっていることは確かなことである。一方、動物寓話や同時代の文学作品の影響もみることができる。アイソポス(イソップ)による動物の寓話は、古代から演説における例え話の材料として用いられてきた。古代のパエドルス、バブリオス、中世初期のアヴィアヌスによって中世に伝わったものが、修道院や教会における説教に用いられ、10世紀にはロムルスのラテン語による集大成が作られた。フーレは、そのような伝統から12世紀に成立した聖職者批判の書『イセングリムス』が『狐物語』の直接の源泉になっているとしたが、イソップにもある「狐とカラス」や「獅子の分け前」から想を得ているエピソードもあることを考えれば、『狐物語』は動物寓話の伝統と重層的に繋がった物語であるといえる。


ルナールとチェスラン(烏)のエピソードの部分に描かれた細密画(フランス国立図書館fr. 1580写本第48葉表、Source gallica.bnf.fr / BnF)


 さらに、これが本稿で注目するところなのだが、当時流行していた俗語(公式の言語であったラテン語に対して、すなわちフランス語)の、『狐物語』とは性質を異にする物語作品の影響も指摘できる。このことは、エルサンとルナールの情事を描く第II-Va枝篇のプロローグで語られていることを読めば明らかである。

  みなさん、あなた方はこれまでに語り部たちから
  たくさんの話をお聞きになったでしょう。
  たとえば、パリスがヘレナを奪った話や
  その後ひどい目にあって苦労した話など。
  また、ラ・シェーヴルの作ったトリスタンの話も、
  —この人は物語でも武勲詩でも、なんでも
  作るのが上手な人で、トリスタンの
  身に起こった話も彼の手になるものです。—
  その他の話もあちこちで聞かれたことでしょう。
  けれども、ルナールとイザングランの間で
  かくも激しく、かくも長く続いた
  争いのことは
  聞かれたことがないでしょう。(白水社版『狐物語』、p.7)

ここには、まず武勲詩と「トリスタン物語」(トリスタンの物語には様々なバージョンがあるので、トリスタン伝説に基づく物語の全般を、このかっこを使って表すものとする)のトリスタンの名が見える[4]。また、パリスがヘレナ(古ギリシャ:ヘレネー)を奪った話とあるのは、『トロイア物語』を始めとしたトロイア戦争を扱った物語のことである。1160年代に流行した、古代を舞台とする物語群に属しているが、それらは今日「古代物語」と呼ばれている。時代順にいえば、11世紀末に出現する武勲詩、古代物語、「トリスタン物語」の順で、トマやベルールの『トリスタン物語』は、『狐物語』の初期枝篇の前後に成立したと考えられている。  
 以上のように、トロイア戦争についての物語とトリスタンの物語を引き合いに出すことで、第II-Va枝篇のプロローグは、これから語るルナールとイザングランの戦いは、それらにも増して激しく長く続くと言っているわけである。『狐物語』に初めて接する人が素直にこれを聞けば、英雄によって犯された姦通が原因で起こった国をあげての紛争が悲劇的に語られることを予想することだろう。トロイア戦争とは、女神たちの諍いに発した経緯の中で、トロイアの王子パリスがスパルタの王妃ヘレナを誘拐してわがものとしたことから生じた、トロイア軍とギリシア軍との戦いである。その結果、トロイアは滅亡に至る。トリスタンとイズー(英:イズールト)の不倫の恋は、マルク王(英:マーク王)の宮廷に大騒動をもたらし、恋人たちは悲劇的な死を遂げる。ところが、そのような悲劇的な物語だろうという予想は、いざルナールとイザングランの戦いの内容を聞くとたちまちに裏切られることであろう。ルナールはずる賢い狐、イザングランは強いが間抜けな狼、ルナールと不倫を犯すエルサンは、尻軽の雌狼に過ぎないからである。『狐物語』では、同時代に流行していた物語の筋や登場人物に自分の作品を重ねあわせることで、わざと不協和音を作り、喜劇的な効果を生み出すという手法が繰り返し使われることがあるが、このプロローグはその典型例ということになる。

 

【2.『狐物語』第II-Va枝篇、第I枝篇とトリスタン伝説、アーサー王伝説】
 ルナールとエルサンの姦通が描かれた最初の枝篇(第II-Va枝篇)では、その後半にこの姦通を巡るノーブル王の宮廷での裁判が描かれる。この作品と、その続編の第I枝篇は、ルナールとエルサンをトリスタンとイズーの戯画にしたてあげているように考えられるが、そのことを説明するためには、物語の筋を説明しなくてはならないだろう。  
 ルナールとエルサンの「姦通」の事情は少々複雑である。イザングランの留守中にその巣穴を訪れたルナールが、エルサンに誘われるようにして関係を持つが、帰りがけに家を荒らして子狼たちに乱暴を働き小便をかける。(それは、動物の「マーキング」を描いているという解釈が説得力をもつと思われる。)乱暴について子狼たちから説明をうけたイザングランは妻を問い詰める。エルサンは情事については否定して、家を荒らしたルナールに対して一緒に仕返しをしようと言う。ある日ルナールを見つけて2人で追跡をするうち、イザングランが道を逸れてしまう。ルナールは巣穴に逃げこむが、これを追ったエルサンの大きな体が入口で挟まり身動きがとれなくなってしまう。そこを、ルナールがどこからか出てきて再び現れ、エルサンは背後から犯されてしまう。イザングランはエルサンが否定する情事ではなく、子狼たちへの乱暴と巣穴の入口での強姦を王に訴えるのである。第II-Va枝篇の裁判では、ルナールがいないところでイザングラン夫妻による訴えがなされる。諸侯の評定の結果、ルナールは聖遺物に手をおいて無実であることの宣誓をするべしとの決定がなされる。宣誓に先立って、イザングランは聖遺物に不正を仕込む。それに気がついたルナールが、その場から逃亡をして、居城のモーペルチュイ(写本によってはマルクリュ)に命からがら逃げ込むというのがこの枝篇の結末である。その続編として成立したのが第I枝篇「ルナールの裁判」である。ここでは、イザングランをはじめとする諸卿が再びその場にいないルナールを訴える。  
 これらの枝篇でエルサンは、自分の身の潔白を証明するために宣誓をすることを提案している。すなわち、第II-Va枝篇では、子狼たちの情事に関する報告を聞いたイザングランが非難するのに対して、「誓いでも、盟神探湯(くがたち)でも/させてくれるなら、誓って言うわ、/もし身の潔白を証明できなかったら、/火あぶりになろうと、絞首刑になろうと/かまいやしない、と。」(白水社版『狐物語』、p.19)と述べる。さらに、第I枝篇において、もしルナールとエルサンが姦通を犯しているのであれば、ルナールばかりではなく、その場にいるエルサンもまた責められるべきだという議論を聞いたエルサンは、自分の罪を否定して以下のように述べる。

  「【前略】
  ルナールさんと私の間には、
  どんなかたちであれいっさい
  なんの関係もないのですから。
  たとえ火の中水の中、盟神探湯(くがたち)だって受けて見せますわ。
  でも誰方も信じてくださらないのなら
  このあわれな不運な女の身の潔白の証明など
  なんの価値がありましょう。
  あがめ奉る諸聖人と救い主の
  御名にかけて申しますが、ルナールさんは
  私に対して、母親にするようなこと以外
  いっさい何もいたしておりません。
  【中略】
  聖母マリア様に誓って私は、
  淫らな振る舞い、はしたないこと、つまり
  修道女様がなさらないようなことは
  何もした覚えはございません」(白水社版『狐物語』、p.137-138)

エルサンは、修道女がしないようなことはしないと言っているが、残念ながらいつの世にも貞潔の誓いを破って罪を犯す修道女もいる。それは極めて例外的なことだろう。しかし、噂好きな人はそのことを一事が万事のこととして語るだろうし、噂話から想像力を膨らませる人もいるだろう。すなわち、彼女は、ルナールとは関係を持っていないと言っているように人びとに思わせながら、その実そのようなことは言っていないのである。このように、多義的にとることができる宣誓は、「曖昧な宣誓(le serment ambigu)」と呼ばれる。  
 ところで、『狐物語』の第II-Va枝篇が成立したとされている1174年頃においては、曖昧な宣誓といえば、ベルールの『トリスタン物語』でのイズーの宣誓が、物語の聴き手には思い出されたことであろう[5] 。この物語のモロワの森の恋人たちのエピソードからブランシュランドの誓いまでの筋は以下の通りである。トリスタンとイズーは、モロワの森で逃亡生活を送るうち、かつて舟の上で誤って飲んだために三年彼らを支配した媚薬の効果から解放される。イズーはマルク王に許されてそのもとに戻る一方、トリスタンは追放されて離ればなれになる。王は、モロワの森に二人の住処を覗きに行った際に、二人の間に偶々置かれていた剣を見たために、二人の無実を信じている。しかし、王妃を疑う臣下の声が強く、結局イズーは誓いをたてさせられることになる。ブランシュランドという場所で宣誓に証人として立ち会うことになったのがアーサー王と円卓の騎士の一行である。(ここで、ベルールの作品はアーサー王伝説との接点を得る。)その際イズーの使いからメッセージを受けたトリスタンは、宣誓の当日、ハンセン氏病にかかった乞食の姿に変装して、ブランシュランドの手前にあるマール・パという沼にやってくる。王妃は衆目の集まる中、乞食姿のトリスタンに頼んで、彼に背負われて向こう岸に渡る。裁判の場で、彼女が誓って述べた言葉は、「この世にあるすべての聖遺物にかけて、/今しがた駄馬のかわりをつとめ、/浅瀬の向こうに運んでくれた癩病み、/それに我が夫のマルク王以外に、/いかなる男も我が股の間に入ったことなし。」(ベルール「トリスタン物語」、『フランス中世文学集1』、p.256-257)であった。  
 ベルールの『トリスタン物語』に登場するアーサー王と円卓の騎士は、最初からイズーに同情的に描かれているが、そのような姿勢は、第II-Va枝篇のノーブル王の姿を思い起こさせる。イザングランの訴えを聞いた王は、「うつむいて/くすくすっと笑いました。」(白水社版『狐物語』、p.99)と描写されている。なぜエルサンは一人でルナールの家に行ったのか、イザングランが見ているところでルナールがことに及ぶなどありえないだろう、と述べて訴えを引っ込めさせようとする。恋愛沙汰で自分の臣下が罰されることは望んでいないのだ。

  ノーブル王は寛容な方でありましたから、
  情事如きで訴えられた者が
  自分の法廷にて悪し様に扱われるのを
  なんとしても許すわけにいきませんでした。(『狐物語』、p.100)

さらには、以下のようにも述べている。

  「ルナールがエルサンを愛していたが故のことであれば、
  その分、彼の罪も軽かろうというものじゃ。
  愛ゆえにそちを間男にしたとしても、
  ルナールは立派な臣下であることにいささかも変わるところがない。」(『狐物語、p.101)

ライオンのノーブルは、恋に寛容な王なのである。それが、自分に関わることでなければ、であるが。続編の第I枝篇「ルナールの裁判」の冒頭で、イザングランがルナールのことを再び訴える場面においても、王は、今日の王侯貴族はみな間男をされているのだから、本気で怒って騒いでいると恥になるだけだと述べて最初はとりあおうとしない(白水社版『狐物語』、p.135)。


ノーブル王の宮廷(フランス国立図書館fr. 1580写本第55葉表、Source gallica.bnf.fr / BnF)

 以上に述べた、『狐物語』と「トリスタン物語」の類縁性のうち、エルサンとイズーの関係はともかく、ノーブル王とアーサー王については牽強付会に思われたかもしれない。また、「トリスタン物語」との結びつきについても、たしかに第II-Va枝篇のプロローグでは、この物語についての言及があるとはいえ、エルサンがイザングランに宣誓を提案することぐらいにしか関連が指摘できないともいえるだろう。ところが、姦通を巡る裁判を再びとりあげた第I枝篇の作者は、エルサンに、イズーと同様の曖昧な宣誓を行わせた。これは、第II-Va枝篇の宣誓の提案にパロディーを読み取ってのことと考えられる。『狐物語』は、その後もこのようにして、トリスタン伝説およびアーサー王伝説との結びつきを強めていく。そのことを以下に観察しよう。

 

【3.『狐物語』Ia枝篇、第Ib枝篇とトリスタン伝説、アーサー王伝説】
 第I枝篇での裁判では、エルサンの曖昧な宣誓によってルナールとエルサンの姦通についての議論は一度棚上げになる。しかし、別件でルナールが雌鶏のパントを殺したことが問題になり、死刑が言い渡される。ところが、ルナールの妻エルムリーヌの嘆願のおかげでルナールは再び許され、巡礼の旅に出る。この際に、ノーブル王の妃フィエールが登場し、ルナールに指輪を渡すという場面がある。王妃は、この作品の続編である第Ia枝篇「モーペルチュイの包囲戦」で再登場する。ここでは、ノーブル王の軍隊に持ち城を包囲されたルナールが、ある晩王のテントに忍び込み、王のふりをしてフィエールと関係を結ぶ。王妃に気付かれて逃げるものの、結局捕らえられてしまう。この際に王妃は、かつてみなの前でルナールに指輪を与えたことを反省するというくだりがある。それにも関わらず、彼女はルナールの従兄弟であるゴンベール(写本によってはグランベール)にこっそりと会い、ルナールへと御守りを託す(白水社版『狐物語』、p.181-182)。第I枝篇以前から、ルナールと関係を持っていたことを想定するのでなければ、彼女の心理と行動は理解することができない。すなわち、フィエールはアーサー王伝説のグニエーヴル(英:グィネヴィア)に、ルナールはランスロ(英:ランスロット)とも重なってくるというわけである。


フィエールの寝床に忍び込むルナール(フランス国立図書館fr. 12584写本第16葉表、Source gallica.bnf.fr / BnF)

 さらに、第Ia枝篇のこれに先立つ箇所では、籠城を決め込んだルナールが、持ち城の塔に登って、ノーブル王軍の面々をからかうという場面がある。松の木の下にエルサンとイザングランがいるのを見つけると、彼らによびかけて以下のように言う。

  「おーい、ご同役、いかがかな。
  わが城をなんとご覧になったかな。
  これ以上立派なのを見たことはあるまい。
  エルサン夫人、なんと言われようが、
  俺はあんたと確かにやったぜ。
  あんたを養っている寝取られ男が
  怒ろうと、俺の知ったことか。
  【後略】」(白水社版『狐物語』、p.175)

「トリスタン物語」には、夜の果樹園でトリスタンを待っていたイズーが、松の上にマルク王が二人を見張っていることに気がついて、言葉巧みにトリスタンにそのことを知らせると同時に、マルク王の疑いを晴らすという場面がある(ベルール「トリスタン物語」、『中世フランス文学集1』、p.151-165)。宮廷の恋愛においては、愛を秘匿することが掟であったが、『狐物語』では、エルサンの恋人であるルナールが松の木よりも高いところに登り、隠すべきことをおおっぴらに言いふらしている。ルナールは逆さまのトリスタンというわけである。
 また、第Ia枝篇の続編である第Ib枝篇「旅芸人になったルナール」では、第Ia枝篇の結末で生死不明になったルナールが、旅芸人に化けて故郷に舞い戻るというエピソードが描かれている。染物屋の桶に落ちて、毛が黄色に染まってしまったルナールが、イザングランに出くわす。ルナールは、イギリス訛りのひどいフランス語を話して、自分はイギリスからやってきたガロパンという旅芸人だが、楽器のヴィエルをなくしてしまったと語る。旅芸人としての自分のレパートリーにはついて、以下のような会話をイザングランとの間で交わす。

  「めるらんノ話ヤ鷹ノ話ヤ、
  あーさー王ノ話デゴザレ、とりすたんノ話デゴザレ、
  聖ぶらんだん様ノ蔦葛(すいかずら)の話デゴザレ、
  ぶるたーにゅノ楽シイ小詩、ナンデモ聞カセテヤルヨ。」
  「イズーの小詩は知ってるかい」
  「いぇす、いぇす、神カケテ
  ドレデモミンナ歌エルヨロシ」(白水社版『狐物語』、p.195-196)

ここには、トリスタンとイズーの他に、アーサー王やメルラン(英:マーリン)の名前が見られる。『狐物語』の作者も聴衆も、これらの人物が出てくる作品を知っていた証拠である。この後、イザングランからルナールの所業について聞かされると、「ソイツァ随分ヒデー極悪人、分別弁エナイ気違イアルネー。」(白水社版『狐物語』、p.196)、「信仰ニカケテ、オラ言イマス、/神サマから宝モラッテモ、/ソンナ奴ニ似タイト思ワナイアル」(同、p.197)と答えるという箇所がある。ルナールが旅芸人に化けて故郷に帰るという設定といい、このようなやりとりと言い、トリスタン佯狂(ようきょう)[6] のエピソードを彷彿とさせる。すなわち、トリスタン伝説においては、タンタジェル(英:ティンタジェル)から追放されたトリスタンが、イズーへの思いを止めることができず狂人の姿をしてマルクとイズーの宮廷にやってくるというエピソードがある(オックスフォード版とベルン版の『トリスタン佯狂』、『フランス中世文学集1』に所収)。そこでトリスタンは、マルク王に対しては自分の正体を隠しつつも、イズーにはわかってもらうために、危ない話を繰り広げる。


イザングランとヴィエル(楽器)を盗み出すルナール(フランス国立図書館fr. 12584写本第22葉裏、Source gallica.bnf.fr / BnF)

 また、ルナールの息子の名前にはアーサー王伝説のもじりが見出される。第I枝篇と第Ia枝篇には、ペルスエ(Percehaie)という名前のルナールの息子がそうである。生け垣(haie)に穴を開ける(percier)とは、農村部における人間と動物の関係をよく言い表しているわけだが、これが、「漁夫王の館がある谷(val)の秘密を見抜く(percier)」と読める[7] ペルスヴァル(Perceval、英:パースヴァル)の名前のもじりであることは言うまでもない。


農家の鶏たちを窺うルナール(フランス国立図書館fr. 1580写本第20葉表、Source gallica.bnf.fr / BnF)

 最初の枝篇とされる第II-Va枝篇だけではまだそうとは言い切れなかった、トリスタン伝説やアーサー王伝説との関係は、『狐物語』の枝篇が書き継がれていくにつれて、ますます作者と聴衆とに意識されて、『狐物語』はこれらの作品のパロディーとしての性質を強めていくことが、以上の事実から指摘できる。

 

【4.『狐物語』後期枝篇にも見られる「トリスタン物語」の影響】
 「トリスタン物語」の影響が、『狐物語』の中でも最も後期に属するといわれている枝篇に残っている例としては、第XIII枝篇「墨染めのルナール」の一エピソードがある。これは、トリスタンとイズーが、アイルランドからタンタジェルに向かう舟の上で誤って媚薬を飲み、恋に落ちてしまうエピソードを下敷きにしていることが明らかである。この枝篇には日本語訳がないので、該当箇所(マルタン版第XIII枝篇、v.1008-1089)の要約を示す。  
 村人から小舟を奪ったルナールが川下りをしていくと、イザングラン夫妻がやってくるのが目に入る。彼らにいたずらをしかけてやろうと、ルナールは持っていた薬草で全身を黒く塗った後、夫妻に向こう岸に渡してあげると声をかける。彼らを舟に乗せたルナールは、ある島に舟を寄せて、まずイザングランを上陸させるが、それは、すぐそばに罠が設けられていることを予め知っていてのことである。罠にかかったイザングランを置いて、ルナールはエルサンのみを連れ去り、彼女を抱きしめて自分の正体を明かす。二人はたいへん喜んで再び結ばれるが、その描写は、

  ルナールは
  エルサン夫人の毛皮を持ち上げて
  コンに逸物を差し入れました。
  力強くぎっこんばっこんやり始めて
  舟の全体を揺らせます。(マルタン版『狐物語』第XIII枝篇、v.1060-1064)

かように露骨である。ベルールやトマの『トリスタン物語』において、トリスタンは、南仏の「至純の愛」(fin'amor)を受け継いで、「至純の恋人」(fin amant)と呼ばれる。この枝篇の作者は、トリスタンとイズーにとっての特別な場所である小舟の上で、ルナールとエルサンにこのような道化を演じさせることにより、至純の愛も結局のところ肉の愛ではないかという諧謔的なメッセージを発しているというわけである。


舟の上のルナールとエルサン(フランス国立図書館fr. 12584写本第115葉裏、Source gallica.bnf.fr / BnF)

 

【5.『狐物語』第XI枝篇「皇帝ルナール」と『アーサー王の死』】
 ここまでに紹介した箇所が示すように、『狐物語』にはアーサー王伝説そのものよりは、トリスタン伝説との関わりの方が豊富に見つけられる。その理由の一つとして、ルナールとトリスタン伝説の恋人たちにはトリックスターという共通した性質があったからだということが指摘されている[8]。すなわち、トリスタン伝説において、媚薬を飲むまでのトリスタンは、巨人やドラゴンと真っ向から戦って打ち倒す真の意味での英雄であった。ところが、媚薬を飲んでからは、薬の効果によるものでやむをえないものの、知恵を働かせることによって相手を騙すという姿ばかりが描かれることになる。それは、イズーも同様で、曖昧な宣誓はまさに彼女の詐術の典型的な例であると言えよう。トリスタンは、敵と戦うことはあっても、ブランシュランドでの曖昧な宣誓の後で催される騎馬槍試合でのように正体を隠してのことであったり、あるいは、夜陰に乗じて密告者を殺すというようなことになる。『狐物語』の作者たちにとって、恋人たちの姿をずる賢いルナールに重ねることは、他の作品の主人公と重ねることよりも容易であったに違いない。  
 本稿では、以上のような「トリスタン物語」と『狐物語』の類縁性に関する先行研究の成果に負いながら、初期の枝篇にみられる「トリスタン物語」の影響を受けて、以後の枝篇がアーサー王伝説とも関わっていく現象に注目している。ルナールとエルサンの関係が呼び水になって、ルナールとフィエールがランスロとグニエーヴルと重ね合わされるようになったことは上に見た通りである。ルナールの息子ペルスエの名がペルスヴァルのもじりであることも同様である。  
 そのような物語の発展の中でのことと考えられるが、『狐物語』第XI枝篇「皇帝ルナール」は、1220-1230年頃に成立した古仏語作品<散文ランスロ>に属する『アーサー王の死』の本格的なパロディーであるということが、近年ロジェ・ベロンにより指摘されて、ほぼ定説になっている[9] 。以下には、この説を紹介しよう。  
 この枝篇の後半にはノーブル王の留守中に摂政を任されたルナールが、その権力を簒奪して皇帝になるというエピソードが描かれている。ベロンは、これが『アーサー王の死』におけるアーサー王の甥モルドレ(英:モルドレッド)の反乱のエピソードのパロディーだというのである。  
 『アーサー王の死』のエピソードは以下の通りである。アーサーが、ゴーヴァン(英:ガウェイン)の弟の敵をとるべくランスロと戦いを起こす。この際に妃のグニエーヴルを甥のモルドレ(本当は、そうとは知らずに抱いた姉との間の子)に預ける。ところが、王妃に恋心を抱いていたモルドレは、死の床にあるというアーサーの偽の手紙を王妃のもとに届けさせる。モルドレをローグル(英:ログレス)の国王とし、グニエーヴルをその妻にという「遺言」に諸侯は賛成する。しかし、王と甥の本当の関係を知っていて、彼を嫌う王妃は、ロンドンの塔に閉じこもる。一方、アーサー王は、ランスロとゴーヴァン(致命的な傷を負ったゴーヴァンは、その後命を落とす)の壮絶な決闘で戦いが決着した後、ローマ軍の王国への侵入にはやすやすと勝利して、王国に戻る。そして、そこでモルドレの裏切りを知る。父子の戦いが始まり、アーサー王はモルドレを殺すが、致命傷を負う。  
 これに対して、ベロンがこのエピソードのパロディーだとする『狐物語』第XI枝篇の後半でも、ノーブル王の宮廷に起こった二つの戦いが描かれている。まず、駱駝に率いられた異教徒の軍隊が、自国に侵入してくる。ノーブル王はこれを迎え撃とうとし、ルナールを留守居役に任命して王妃フィエールを守るように命じる。王が出発すると、妻エルムリーヌを亡くしたばかりという設定になっているルナールは、王妃と宮廷に留まる。テクストには、彼も王妃も喜んで情交を重ねました、とある(『狐物語2』、p.178)。  
 異教徒との戦いは王の勝利に終わるが、この間にルナールはノーブル王からの書状を偽造して、使者に自分の宮廷に届けさせる。ここには、自分が死んだ後はルナールを王妃と結婚させるようにという、王の「最後の意志」が書かれている。彼がそれをみなに伝えると、王妃は、ためらわずこれを承諾する。

   王妃はそれを耳にすると
  話を全て聞いてからこう答えました。
  「皆さん、国王がそう命じているのですから、
  命令通りにするしかありません。
  他に方法があるとも思えませんし、
  王国の命運は私にかかっているのですもの。」(『狐物語2』、p.188)

王が軍を率いて戻ってくると、ルナールは彼らに門を閉ざす。戦争が、裏切り者と裏切られた者の間で始まる。


ノーブル王とルナールの戦い(フランス国立図書館fr. 12584写本第149葉裏、Source gallica.bnf.fr / BnF)

 以上に紹介した部分において、ルナールとフィエールとノーブル王の関係は、モルドレとグニエーヴルとアーサー王と同一であり、『狐物語』第XI枝篇の展開は、『アーサー王の死』と重なっていると言える。ただし、二つの作品には以下のような違いがある。  
 両作品の王妃は、王に反旗を翻した留守役に対して正反対の態度をとっている。フィエールがルナールの愛を喜んで受け入れるのに対して、グニエーヴルはモルドレの愛を拒絶してロンドンの塔に閉じこもる。さらに言えば、フィエールは、ノーブル王が帰還しても何の反応も示さないでルナールを助ける。ベロンも述べているように、あたかも、彼女はノーブル王の妻であったことを忘れてしまったかのようである。ノーブルとの戦いに先立つ、ルナールとフィエールの会話は以下の通りである。

  ルナールは駿馬(しゅんめ)にまたがり、
  王妃に別れを告げて言います。
  「妃よ、誓って申すが、
  今夜は国王を虜にして
  連れて戻るぞ、疑うなかれ」
  「陛下、神のお力添えで
  今おっしゃったことが本当になりますように」(『狐物語2』、p.197)

王が戻ってきて戦いが始まろうという時、グニエーヴルはモルドレとの関係については無実であるのにも関わらず、たとえ王が勝っても、モルドレを相手に自分が貞潔を守れたとは信じてもらえないだろうと心配をして修道院に入って世を捨てた(『アーサー王の死』の169、170節)。フィエールの態度は、このこととは対照的である。こうして比較をすると、『狐物語』第XI枝篇のテクストは、『アーサー王の死』におけるこのエピソードに見られる運命の劇的要素を排除することによって、女性の節操のなさを強調していると見ることができる。  
 ただし、お断りしておかなければならないことがある。以上の議論には、作品の成立推定年代上の問題があるということだ。というのは、『狐物語』の各枝篇の成立年代を推測したフーレが、第XI枝篇の成立年代を12世紀の終わりとしているからだ。『アーサー王の死』成立の推定年代は1230年だが、これよりも30年ほど前ということになる。冒頭にも述べたように、フーレによる『狐物語』各枝篇の年代測定には、すでに30年も前から研究者たちから疑問の声があがっているとはいえ、それに代わる説も提出されていない。  
 しかし、筆者がフーレの議論[10]を検討してみたところ、第XI枝篇に関しては、テクストにおいて史実との関わりから年代測定が可能になるような箇所は一切指摘されていないのである。フーレは、「ルナールの死」を描いた第XVII枝篇に第XI枝篇のルナールとフィエールの結婚についての言及があることから、それよりも早いと推測している。第XVII枝篇の成立を1205年頃としているが、それは、この枝篇に描かれている狐の葬送が、教会の壁に彫られていることに言及した1220年頃の説教があることを根拠に、作品で書かれたことが壁に彫られ、説教で言及されるにはこれぐらいかかるだろうということから導き出されている。しかし、現代に生きる我々は、その後の美術史の分野の研究成果により、たとえばイタリアのモデナ大聖堂の狐の告解、死に真似、葬送の彫刻は、『狐物語』ではなく、2世紀にギリシャ語で成立して、西欧においてはラテン語で中世を通して読まれた博物の書『フィシオログス』、および、それを下敷きにした動物誌(英:bestiary、仏:bestiaire)に想を得たもので、12世紀初頭にはできていたであろうことを知っている。そうすれば、フーレによる推定年代の最終年の根拠は突き崩されてしまう。上にあげた論文でベロンは、第XI枝篇の成立年代をもっと後にずらすことを提案しているが、筆者には正当であるように思われる。

 

【6.『狐物語』第XVII枝篇「ルナールの死」 — 動物の至純の恋人としてのルナール[11]
 
 以上のように、『狐物語』が書き継がれていく中で、ルナールはエルサンとフィエールの恋人になっていくが、トリスタン伝説のトリスタンとイズー、アーサー王伝説のランスロとグニエーヴルに重ね合わされてのことである。トリスタン伝説やアーサー王伝説に見られる中世の宮廷における恋愛作法では、二股をかけることはタブーになっているが、上にも言及した第XVII枝篇「ルナールの死」においては、規範を破る恋人としてのルナール像の完成がみられる。(上で述べたように第XI枝篇の年代が、『アーサー王の死』よりも後になるとすれば、それに言及のある第XVII枝篇の年代はもっと下ることになる。)  
 この枝篇で、ノーブル王の宮廷でルナールとイザングランがチェスをする。試合には賭けが伴っている。ルナールは負け続けた挙げ句、最後の勝負にも負けると、賭けた逸物をチェス盤に打ち付けられて苦しむ。フィエールは、こっそりルナールを自分の寝室に運び看病をするが、ルナールは彼女と別れの言葉を交わした後、気を失ってしまう。彼が死んだと勘違いした動物たちによってなされる葬式が、この作品の主題になっている。葬式においては、主席司祭のロバのベルナールが死者についての演説を行う。そこでルナールにエルサンとフィエールの二人の恋人がいたことについて言及する。しかし、それゆえに彼を責めるのではなく、むしろ、彼は「生存中は殉教者、使徒のそれともいえる/一生を送ったのです。/我々すべても彼を見習い、/懺悔の生活を送りたいものです。」(白水社版『狐物語』、p.461)と述べている。ロバの主席司祭は、女とはおおいに「やる」べきで、そうしない者は地獄に行けばよい、その反対に、そのようにする者は、喜びとともに天国に行くであろうということであると述べる。それゆえに、二人の愛人をもったルナールほどに徳をもった者を見たことがない、と言うのである。  
 中世においてロバは、十字架にかけられることになるイエスがエルサレムに入る際に乗った聖なる動物であると同時に、淫欲の象徴でもあった。そのようなロバの像の重なりがこの主席司祭には指摘できる。淫欲の象徴であるロバが主席司祭を務める動物の世界では、多情な恋人であるルナールこそが至純の恋人であるということになる。トリスタン伝説やアーサー王伝説に見られる恋愛の価値体系が、ここではロバを介して鮮やかにひっくり返されているというわけである。

 

【7.まとめとして】
 以上のように、12世紀後半から13世紀中葉までに書かれた『狐物語』におけるルナールと、その二人の恋人であるエルサンやフィエールは、トリスタン伝説のトリスタンとイズー、アーサー王伝説のランスロとグニエーヴルに重ね合わせて描かれている。それは、初期に書かれたと考えられている枝篇においては必ずしも明示的ではないが、複数の作者が、先行する枝篇をモデルにして作品を書き継いでいく中で次第に強く意識されてきたものと考えられる。イズーやグニエーヴルが、淫乱なエルサンや、性格のはっきりとしないフィエールに重ね合わされる時は、中世の僧院文化に特有の女性嫌いの精神が認められる。ロバのベルナールの葬送演説は、それが強く表れているといえよう。とはいえ、いかにルナールが好色なトリスタンやランスロを演じようと、所詮は獣なのだからという言い訳が始めから用意されている。『狐物語』の作者たちの、トリスタン伝説やアーサー王伝説に対する態度は、今日のサブカルチャーにおけるマンガの二次創作がそうであるように、攻撃的というよりはむしろ、愛しながら戯れの対象とするという類いのものだったのではないだろうか?

 Notes

^1. Lucien Foulet (1914)

^2. J. R. Scheidegger (1989), p.23-61.

^3. 19世紀末にこの作品のはじめての近代的校訂を行ったエルネスト・マルタンは、その校訂本の枝篇にローマ数字で番号を与えている。フーレは、マルタン版の2番目の作品と5番目の作品の途中からが一つの作品であったと推測して、「第II-Va枝篇」と呼んだ。

^4. ラ・シェーヴルが書いたトリスタン物語は現存しない。「ラ・シェーヴルの作ったトリスタン」という部分を「狂人のふりをするトリスタン」ととって、現存する『トリスタン物語』の一エピソードを指すという説もある。

^5. Tregenza (1924)以来、 Regalado (1976)、Takana(1997)がトリスタン伝説と『狐物語』の関係を、さらに、Subrenat (1983)、Bellon (1992)、Simpson (1996)、Scheidegger (1989)がアーサー王伝説を含めた同時代文学との関連を論じている。また、参考文献にあげた拙著は、特に『狐物語』におけるトリスタン伝説とアーサー王伝説のパロディーに関わるものである。

^6. 狂ったふりをすること。

^7. ヴァルテール(2018)、p.335

^8. Regalado (1976)

^9. Bellon (2008)。また、本節の文章は、高名(2019)の一部を利用している。

^10. Foulet (1914), p.100-119.

^11. この節は、高名(1999)の要約である。

 

 【参考文献】
・『狐物語』、ベルール『トリスタン物語』、『アーサー王の死』の学術校訂本

Ernest Martin (éd.), Le Roman de Renart, Strasbourg : Trübner, 1882-1887.
Mario Roques (éd.), Le Roman de Renart, 6 vols., Paris : Champion, 1948-1963.
Félix Lecoy (éd.), Le Roman de Renart. Branche XX et dernière. Renart Empereur, Paris : Champion, 1999.
N. Fukumoto, N. Harano, et S. Suzuki (éd.), Le Roman de Renart, édité d’après les manuscrits C et M, 2 vols., Tokyo : France Tosho, 1983, 1985.

Béroul, Le Roman de Tristan, L. M. Defourques (=Mario Roques et Lucien Foulet) (éd.), Paris : Champion, 1948.
La Mort le roi Artu, roman du XIIIe siècle édité par Jean Frappier , 3e éd., Genève : Droz / Paris : Minard, 1964.

・翻訳
『狐物語』鈴木覺・福本直之・原野昇訳、東京:白水社、1994年
『狐物語』鈴木覺・福本直之・原野昇訳、東京:岩波書店(岩波文庫)、2002年
『狐物語2』鈴木覺・福本直之・原野昇訳、広島:渓水社、2003年

『中世ラテン語動物叙事詩イセングリムス:狼と狐の物語』丑田弘忍訳、長野県:鳥影社、2014年
ベルール「トリスタン物語」新倉俊一訳、『フランス中世文学集1』新倉俊一・神沢栄三・天沢退二郎訳、東京:白水社、1990年
「アーサー王の死」天沢退二郎訳、『フランス中世文学集4』新倉俊一・神沢栄三・天沢退二郎訳、東京:白水社、1996年

・日本語で書かれた研究 (本文で引用したものも含む)

フィリップ・ヴァルテール『アーサー王神話大事典』(渡邊浩司・渡邊裕美子訳)、東京:原書房、2018年
高名康文「告解するルナール狐とベルナール首席司祭:『狐物語』第十七枝篇における「逆さまの世界」、『福岡大学総合研究所報』 226号、1999年、p.1-15
---「『新版ルナール』と『アーサー王の死』における運命の女神」、成城大学大学院文学研究科『ヨーロッパ文化研究』38号、2019年、p.73-89
原野昇・鈴木覺・福本直之『狐物語の世界』、東京:東京書籍(東書選書)、1988年
福本直之「『狐物語』第十一枝篇の構成 : 武勲詩への導入部に於ける」、創価大学『一般教育部論集』28号、2004年、p.15-19
宮下志朗『神をも騙す:中世・ルネサンスの笑いと嘲笑文学』、東京:岩波書店、2011年

・研究を始めてみたい人に (本文で引用したものも含む)

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Roger Bellon, Unité et diversité du Roman de Renart, thèse de doctorat de l'université de Lyon II, 1992.
--- « "Renart empereur" (Le Roman de Renart, ms. H, branche XVI) : une réécriture renardienne de La Mort le roi Artu ? », Cahiers de recherches médiévales et humanistes, 15 (2008), p.3-17.
Jean Dufournet, Du "Roman de Renart" à Rutebeuf, Caen : Paradigme, 1993.
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記事作成日:2019年5月13日  
最終更新日:2019年5月13日