The International Arthurian Society - 国際アーサー王学会日本支部

『ティトゥレル』Titurel
―「誠のある真実のミンネ」と明かされない謎―

浜野明大(日本大学教授)

 

【はじめに】
『ティトゥレル』( Titurel )はヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(Wolfram von Eschenbach, 1160/1180年頃 - 1220頃またはそれ以降)の叙事作品の断片であり, 確証はないものの『パルチヴァール』(Parzival )と『ヴィレハルム』(Willehalm )の間に詩作されたと推測されています。その内容は『パルチヴァール』に登場したジグーネ (Sigûne)とシーアーナトゥランダー (Schîânatulander)の悲劇的恋愛物語の前史であり, いわゆるスピンオフ作品にあたります。

 その 中心テーマは「誠のある真実のミンネ」wâre minne mit triwen(4, 4)[1] であることが物語の中でも明言されていますが, 多くは謎につつまれたものとなっています。

 もちろん,『パルチヴァール』から『ティトゥレル』を解釈するという方法論に問題が無い訳ではありませんが, こうした物語の性質上, まずはじめに『パルチヴァール』に描かれているジグーネとシーアーナトゥランダー について知らなくてはなりません。主人公パルチヴァールのいとこにあたるジグーネは, パルチヴァールの人生における4度の重要な転換期(1. 初めて自分の出自が明かされるとき, 2. 聖杯城での問いの怠りの直後, 3. 贖罪の直前, 4. 聖杯城での成功の直後)に登場します。[2]以下, それぞれの出会いを象徴する場面を順を追ってみていきましょう。

 

【1.『パルチヴァール』に描かれているジグーネとシーアーナトゥランダー】
最初の出会い(第3巻, 138-142詩節)

『パルチヴァール』の主人公パルチヴァールとジグーネの母親達は姉妹であり, この二人はいとこ同士という親類関係にあたります。母の元を去って騎士となるべく旅に出たパルチヴァールはブリツルヤーンの森で偶然ジグーネと出会うのです。その出会いは謎に満ちたものでした。

婦人ジグーネは悲嘆のあまり,その長く編んだ褐色の髪をかきむしっていた。少年がよく見ると,乙女の膝の上で領主, シーアーナトゥランダーが死んでいた。そのため彼女はこの世のあらゆる喜びと無縁になっていた。 (138, 17-24, 72頁) [3]

なんと, パルチヴァールは恋人の死体を膝の上で抱えて嘆いているジグーネと出会ってしまうのです。この後, ジグーネはパルチヴァールに悲嘆の原因について語ります。

従兄のパルチヴァールさん。この方の話を聞いてください。猟犬の紐のために, この方は死の憂き目に遭いましたのよ。私たち二人に奉仕して, 死を手にされ,私にはこの方を思慕する苦しみだけが残ったのです。私は愚かにもミンネを拒みました。そのために私の不幸が始まり, 喜びは切り取られてしまいました。それでなくなられたこの方を今こんなふうに愛しているのです。 (141, 14-24, 74頁)

これを聞いたパルチヴァールは仇を討つために殺害者であるオリウスと戦おうとしますが, ジグーネは彼の身を案じてそれを望まず, 意図的に違った道を教えます。こうして最初の出会いは終わりを告げることとなりました。

再会(第5巻, 249-255詩節)

聖杯城を後にした直後, パルチヴァールはジグーネと再会します。

勇気溢れる勇士は, 突然ある女の痛ましい声を耳にした。あたりはまだ露に濡れていた。目の前の菩提樹の枝に, 乙女が腰を掛けていた。彼女は誠実なるがゆえに悲嘆にくれていたのだ。香油を塗った騎士の死体が,彼女の両腕に抱かれていた。彼女のこうした姿を見て, 哀れみを覚えない者は, 無情な人間だと言いたい。彼は馬を彼女の方へと向けた。彼女は彼の叔母の娘なのだが, 彼には誰であるか分からなかった。彼女に見られる誠実に比べると, この世の全ての誠実は風に過ぎなかった。 (249, 11-25, 130-131頁)

ジグーネのあまりに変わり果てた姿のため, パルチヴァールは彼女に気付きません。ジグーネはパルチヴァールに語り掛けます。

いつかあなたに悩みを訴え, あなたの名前を教えてあげた乙女は, この私でございます。私たちが親戚であることを, 恥ずかしがることはありません。あなたの母上は私の母の姉です。母上は女性の貞淑の花で, 露に洗われなくても清らかな方です。あなたは, 私のためにここで槍の戦いをして落命した愛しい人を悲しんでくださいましたね。あなたに神の報いがありますように。私はこの人をここでこうして抱いています。神がこの人のことで私にどんな苦しみをお与えになったか,お察しください。この人はもう生きることが許されなくなったのですもの。男らしい優れた方でした。この人の死は私を苦しめ, ああ, あれから私は日ごと新しい嘆きを知るようになりました。 (252, 11-26, 132頁)

パルチヴァールはこれに対して困惑しながら以下のように答えます。

あなたの赤い唇はどこへ行ってしまったのですか。あなたは本当にジグーネさんですか。あのとき私の本当の名前を教えてくださった方はあなたですか。あなたの長い巻き毛の栗色の髪はなくなってしまいましたね。ブリツルヤーンの森でお会いしたときは,悲嘆にくれておられましたけれど, たいへん愛らしい様子でしたのに。でも今はすっかり色艶はうせて,以前のお元気がない。私はこんな恐ろしいお相手はいやです。さあ, 亡くなったこの方を葬りましょう。 (252, 27-253, 8, 132頁)


ジグーネの「誠実」はこのパルチヴァールの埋葬の申し出を拒否します。しかしこの後, 結局ジグーネはシーアーナトゥランダーを埋葬したことが次の出会いの際に明らかとなるのです。

3度目の出会い(第9巻, 435-442詩節)

彼はここで女の隠者に出会った。彼女は神への愛のために身の純潔を守り, 世俗の喜びを一切捨てていた。しかし胸の中には女の悲しみの源がたえず咲き出ていた。それは(亡き人に抱く)昔から変わらぬ誠実な心のためであった。パルチヴァールはそこでシーアーナトゥランダーとジグーネとを見た。彼女はこの英雄のなきがらを, 庵の中に埋葬し, その柩にとりすがって嘆き暮らしていた。公妃ジグーネはミサに出かけることはなく, 彼女の生活はひざまずいてお祈りをする日々だった。この世の喜びを捨ててからというものは, かつての厚い唇の燃える赤い色は,青白く血の気が失せてしまっていた。今までにこれほどの深い悲しみに耐えた乙女はおるまい。嘆き悲しむには,ただ一人でおらねばならぬのだ。領主は生前ミンネの恵みにあずかることなく亡くなったが, 領主とともに去って行ったミンネのために, 今彼女はそのなきがらを愛していたのだ。 (435, 13-436, 3, 233頁)

こう叙述されてはいますが, 今度はパルチヴァールが兜をかぶっていたためかジグーネも彼に気付きません。今回は以下の言葉でパルチヴァールの方が先にジグーネと気付きます。

今私はここでその方のおそばにおります。その方がオリウスの槍にかかって果てられた後,その方の指輪を貰いうけ愛の印として以後身につけているのでございます。これからの悲しい生涯をその方のミンネに捧げるつもりです。その方は私のために楯と槍を取り, 騎士としてミンネを求め, 私に奉仕して命を果てられたのですから, 私も誠実なミンネを捧げるつもりです。私は処女を守り続けますが, しかし神の前では,その方の妻でございます。心に思っていることは本当に実現すると言いますから, 私は二人の結婚を妨げるどんな隠し事も抱きません。こうして生きている私には,その方の死がとても辛うございます。しかし正しい結婚のこの指輪は私を天国の神のみ前に導いてくれることでしょう。それに胸から流れ出る涙の小川は, 私の誠実さを納める倉の錠でございます。私は今この庵の中に, 二人で暮らしています。一人がシーアーナトゥランダー, もう一人がこの私です。 (439, 28-440, 19, 235-236頁)

最後の出会い(第16巻, 804-805詩節)

厳密に言えば,「最後の出会い」という標題は正確ではないかもしれません。というのも, このときジグーネは, もはやこの世にはいなかったからです。聖杯城で新たな聖杯王となったパルチヴァールは, ジグーネの庵への道をお供たちに尋ね, 馬を走らせます。

「以前この森で」とパルチヴァールは言った,「私は庵を見たことがある。その庵の下にはきれいな泉が勢いよく流れていた。もしその庵を知っていたら,その道を教えてくれ。」庵を存じておりますと供の者たちは答えて言った,「そこには一人の乙女が住んでいて, 恋人の棺に寄りかかって嘆いております。彼女は真の貞淑を納める箱でございます。私どもはすぐその近くを通るのですが,彼女が悲しんでいない時とてございません。」王は,「我々はこれを訪ねて見よう。」と言った。他の者たちはこれに同意した。 (804, 8-20, 419-420頁)

だが残念ながら, パルチヴァールは彼の妻コンドヴィーラームールスとお供たちとともにジグーネのなきがらと対面することとなります。

そこで彼らは馬を急がせ, その日の夕方遅く, ひざまづいてお祈りをしている姿で死んでいるジグーネを見つけた。それを見て女王は痛ましいほどに嘆き悲しんだ。彼らは壁を破って中に入り, ジグーネのそばに走り寄った。パルチヴァールはいとこのため柩の石蓋を持ち上げるように命じた。中にはシーアーナトゥランダーが香油を塗られて, 生けるがごとく美しく横たわっていた。人々は,生きている間彼に乙女の清らかなミンネを捧げたジグーネを,彼と並べて横たえてやって, ふたたび柩を閉じた。 (804, 21-, 805-2, 420頁)


以上,『パルチヴァール』に登場したジグーネとシーアーナトゥランダーの場面をみてきました。では, これまでの内容を簡潔にまとめてみましょう。

a. ジグーネは象徴的にパルチヴァールの人生の大きな転換期に登場しています。
b. ジグーネは「私は愚かにもミンネを拒みました。」(141, 20-21)と語っており, ジグーネとシーアーナトゥランダーの愛は肉体的に満たされなかった純愛であったことがわかります。シーアーナトゥランダー死後のジグーネの愛は誠実そのものであり, それは「宗教的ミンネ」と言っても過言ではない程度まで精神的に高められています。
c. ジグーネはシーアーナトゥランダーの死について, すなわち,この悲劇の原因について「猟犬の紐のために, この方は死の憂き目に遭いましたのよ。」(141, 16)と言及するのみでその死は謎につつまれたまま最後まで明かされることなく物語は終わってしまいます。果たしてこの謎は作者ヴォルフラムによって『ティトゥレル』で明かされることとなるのでしょうか。いずれにせよ,物語の終わりが『パルチヴァール』で周知されていること自体,『ティトゥレル』に予見と運命的性質をもつ伏線を与えていると言えるでしょう。

 

【2.『ティトゥレル』のあらすじ】[4]  
さて, いよいよ本題の『ティトゥレル』に話を移しましょう。二つの断片はそれぞれ, 断片I「恋の芽生え」, 断片II「悲劇の始まり」というキーワードで分けられ,相互に内容的な繋がりはありません。
 まずは断片Iをみていきましょう。
断片I

年老いた聖杯王であるティトゥレルは,「誠のある真実のミンネ」wâre minne mit triwen(4, 4)を家族の遺産として保持するため, 息子のフリムテルに政権を委ね,全てを後世に任せました。フリムテルの娘ショイジーアーネは大公キオートと結婚しますが,産褥で没する運命を辿ることとなります。彼女の娘であるジグーネ(ティトゥレルの孫)は, 母の姉妹であるヘルツェロイデのもとで育てられました。

一方, シーアーナトゥランダーはパルチヴァールに騎士の教育を施したグルネマンツの孫にあたります。彼はガハムレトの小姓となり, ガハムレトとヘルツェロイデの結婚後, ジグーネに熱烈な子供同士の愛情を抱くようになります。この二人はミンネの本質を熟考し, 互いに相手に対しての愛情を告白するのです。シーアーナトゥランダーがガハムレトのお供としてオリエントへと旅立ったとき, 二人とも別離の悲しみに苛まれます。また, この時期にジグーネは伯母であるヘルツェロイデにシーアーナトゥランダーへの愛を告白し, 彼もまた同じ頃,ガハムレトにジグーネへの愛を打ち明けるのです。

断片II

この約1年半後,ガハムレトはオリエントで落命し, 再会を果たしたジグーネとシーアーナトゥランダーは森林の空き地にテントを設営します。シーアーナトゥランダーは狩猟犬ガルデヴィアースを捕らえ, 宝石で飾られた長い首紐とともにジグーネのもとへ連れて行きます。その上にはクラウディテとエハクナトの愛の物語が書かれておりました。しかし, ジグーネがこの物語を読み終える前に猟犬は逃げてしまいます。このため, ジグーネはシーアーナトゥランダーに猟犬を取り戻すように求め, その見返りとして愛の成就を約束します。
 このように, 二つの断片からジグーネとシーアーナトゥランダーに関するエピソードの起源は明らかにされますが, 猟犬とその紐, またその上に記されているクラウディテとエハクナトの愛の物語の謎は依然残されたままです。

 内容的に関連しない二つの断片は, より大きな作品の一部として計画されたと推測されますが,残念ながらその量と内容について確かなことはわかりません。その不確かさの具体例をいくつか挙げましょう。
 まずはティトゥレルの別れの辞の最後の4詩節です。

     聖杯のあるじは謙虚で心清くなければならない。
     ああ,愛するフリムテルよ, わが子のうちでお前だけが
     この聖杯の許に留まることができた。
     さあ, 聖杯王の冠と聖杯を受けよ,うるわしきわが息子よ。 (7,1-4)

     お前は生来勇敢に楯とる務めをよく耕してきた。
     お前は犂の車がはまり込んでしまったときには,
     わしはお前を敵の軍勢から救い出さずにはおかなかった。
    だが, これからは,息子よ,お前は独りで戦うのだ。わしにはもはやお前を助ける力はない。 (8,1-4)

     息子よ,お前は神から五人の優れた子を授かった。
     その者たちもここで聖杯に仕えている。
     アンフォルタスに勇猛なトレフリツェント,
     二人はその名声を他の誰よりも高らかに鳴り響かせてくれるだろう。 (9,1-4)

     お前の娘ショイジアーネは心のうちに多くの優れた物を納め,
     世の人々をその幸福に与らせている。
     ヘルツェロイデも同じ心だ。
     また, いかなる誉れもレパンセ・デ・ショイエの誉れを沈黙させ得まい。」 (10,1-4)


このティトゥレルの別れの辞は始まりを形成していたのかもしれません。

 次は 断片Iの最後の詩節です。断片Iはジグーネが伯母であるヘルツェロイデにシーアーナトゥランダーへの愛を告白したところで突如終わってしまいます。

     こうしてミンネは許されて, ミンネは互いに堅く結び合った。
     二人の心はミンネに対して迷うことなく, ミンネに倦むことを知らなかった。
     「ああ,私はなんと幸せなのでしょう, 伯母様, 」と公女は叫んだ,
     「あのグラーハルツの殿を晴れてみんなの前で愛することができるのですもの。」 (136,1-4)

これに関連なく断片IIの始まりは, 再会を果たしたジグーネとシーアーナトゥランダーの前に狩猟犬ガルデヴィアースが走ってくる場面から始まります。

     二人がこうして暫く横になっておると, 突然
     高く鋭い鳴き声が聞こえてきた。赤い血の跡を, 手負いの鹿を追って
     一匹の猟犬が吠えながら走ってきた。
     その犬が暫く捕われることになるが, 私は今なおこのことを恋人たちのために嘆かざるをえぬ。
(137,1-4)


二つの断片の間にはシーアーナトゥランダーのオリエントからの帰還に関する叙述が欠けていることはおわかりでしょう。

 さらに見てゆくと, 断片IIは以下のように終わります。

     このように二人の言葉と思いやりを交して慰め合った。
     この大きな苦悩の始まりはどのような結末をとっただろうか。
     臆しつつも誓いをなしたこの若者が誉れを挙げるか,
     はたまた, 落とすかは, 老いも若きもやがて詳しく知ることができましょう。 (175,1-4)

断片IIの後に何が計画されていたのかは不明です。その後, 猟犬の首紐を探し, オリウスとの戦いにおける死までのシーアーナトゥランダーの冒険が語られることになっていたのでしょうか。もしくは, ジグーネとシーアーナトゥランダーの話は最終的に再び聖杯王の物語に通じていたのでしょうか。

 

【3.ティトゥレル詩節形式】
『ティトゥレル』は複雑な言語詩節形式で作成された最初の宮廷叙事詩です。ドイツ中世宮廷叙事詩のオーソドックスな韻律形式は二行脚韻形式(Reimpaare)でしたのに, 何故ヴォルフラムがこの作品を4行1詩節形式(Strophe)で詩作したのかは謎となっています。いわゆる「ティトゥレル詩節」は4長詩行から成るという点で「ニーベルンゲン詩節」に類似していますが, 後節の構造, 拗音部数, 第3詩行の韻律に違いがあります。厳格な詩節の枠組みはテクスト自体の変更をも余儀なくします。また,「ティトゥレル詩節」は初期ミンネザングの長詩行を想起させるものでもあります。「ティトゥレル詩節」の叙情的特性は, とりわけジグーネの愛の嘆きにおいて顕著となっています。その一例をみてみましょう。

Dînes râtes, dînes trôstes, dîner hulde
bedarf ich mit ein ander, sît ich al gernde nâch friunde iâmer dulde,
vil quelehafter nôt. daz ist unwendec.
Er quelt mîne wilde gedanke an sîn bant, al mîn sin ist im bendec.

伯母様の御忠告, 励まし, 御好意-すべてが必要です。私はあの方を恋い慕って苦しみ, 苦悩にうちひしがれています。これはどうすることもできません。私の自由な思いはあの方の絆に結びつけられてしまい, 心も全てあの方につなぎとめられています。 (121, 1-4)

 このティトゥレル詩節はメロディー付きで歌われたに違いありません。現存する写本には詩節の音楽的形式に関する示唆はありませんが,『新ティトゥレル』のウィーン写本(Cod. 2675)の楽譜付き詩節は他のどの写本でも伝承されていないメロディーのイメージを与えるものとなっています。(V. Mertens, 1970)


写本画像(Cod. 2675)[5]
https://digi.ub.uni-heidelberg.de/diglit/cpg848/0723/image(閲覧日2019.12.26)


以上のような観点からすると, ティトゥレルの調べは形式的に英雄叙事詩とミンネザングの間に位置すると言えるでしょう。これは一方で『ニーベルンゲンの歌』の詩節形式のように2分されてあり(1. Teil Z. 1 und 2, 2. Teil Z. 3 und 4), 他方,1詩行と2詩行のメロディーは同一であり, カンツオーネのシュトレン(段)を想起させ,詩節3と4は後節のような種類を成すのです(「第2シュトレン」のメロディーの反復カンツオーネタイプの形式に相応しています)。

また, この断片は際立って「行為に乏しい」という特徴が顕著です。直接話法(断片I)と, 猟犬の首紐に刻まれた文字の引用が多くを占めています。一つの行為が始まらなくてはならない箇所で断片IIは中断し,『パルチヴァール』におけるジグーネの場面と同様に「動きのないもの」となっています。

 

4. 重要な2つのテーマ
a. wâre minne mit triwen 誠のある真実のミンネ

既に述べたように,「誠のある真実のミンネ」wâre minne mit triwen(4,4)という一文は本作品の主題を成しています。シーアーナトゥランダーへの愛においてティトゥレルの曽孫であるジグーネは「正真正銘の愛」を幼少期のミンネで実現します。「心に自負が芽生えた。/ ジグーネは誇らしく, 快活になり, しかも女らしい優しさも欠かなかった。」(36, 3-4)ここで描かれているミンネのシンボルは「純粋さ」です。「純粋さ」は恋人達の幼少期の無垢さにおいて, 後には性的な禁欲においてもあらわれます。ジグーネとシーアーナトゥランダーの愛は一度たりとも肉体的な満たしを得ることはありません。語り手が説明するように, この純粋な愛は神へと向けられたものなのです。「ミンネは我々を地上で導き, 天上の神のみ許へと連れて行く。」(51, 2)
しかしながら, この神への道は同時に死へと導くことにもなります。シーアーナトゥランダーが猟犬の首紐を巡る闘いで命を落としたこと,そしてジグーネがこの喪失に現世を棄て, 禁欲の日々を送るという喪期で応え, 遂には恋人を追って死ぬことは,『パルチヴァール』から既にわかっている結末です。すなわち, 死の影は最初から双方の愛の上に存在していたのです。

b. 猟犬の首紐にある文

断片IIで中心となるモチーフは猟犬ガルデヴィアースの首紐にある文となります。紐にあるテクストは一つの恋愛物語を端的に語るのではなく, 宮廷生活の教義も含みます。その合言葉は猟犬の首紐上に記され, また, アレゴリー的に解釈される犬の名前ガルデヴィアースGardevîaz[6]にも表れています。「犬の名はガルデヴィアースといった。訳すと,『道を誤るな』の意味である。」(148, 4)さらにこの名前の意味が詳らかにされます。
「コハ猟犬ノ名ナリト雖も 優レタル人二相応シキ言葉ナリ ソレ ヨク道ヲ守ル者ハ 此ノ世ニテハ人ノ愛ヲ受ケ 彼ノ世ニテハ神ノ至福ニ与ルガ故ナリ」(149, 2-4)

この内容はエハクナトとクラウデイッテの物語において実現します。しかし, この物語は同時にジグーネとシーアーナトゥランダー恋愛物語の鏡像として構想されたとも解釈されます。また, ここでは戒めの教えであるHüete der verte! 「道を誤るな」が肝要となるのです。シーアーナトゥランダーにとって猟犬の首紐の教えは貴婦人奉仕における騎士の振舞いの指針を意味します。とはいえ, ジグーネの振舞いに大きな問題があったのも疑いのない事実でしょう。『ティトゥレル』のテクストでこの答えは一切示されません。『パルチヴァール』において語られているジグーネの悲しみは, もはや「世俗での栄誉と神の慈悲」の範疇に嵌め込むことはできないものとなっているのです。

 

5. 受容史
現存する『ティトゥレル』の写本数はごく僅かですが, これは決してこの作品があまり流布していなかったということを示すものではありません。写本は『ティトゥレル』がまさに断片として書き写され, 読み聞かせたことを証明するものと言えます。後世の続編需要に応じるべくして1260/70年頃, アルブレヒト(Albrecht)という名の詩人が断片を一つの長編叙事詩『新ティトゥレル』(Jüngerer Titurel )(6327詩行)へと作り上げたのです。アルブレヒトは元の断片を忠実に受容し, 韻律を改作しました。彼はヴォルフラムの様式と名で(Ich, Wolfram 2867, 1)詩作したのです。14世紀から19世紀のはじめまで『新ティトゥレル』はヴォルフラムの主要作品と考えられていました。19世紀になってようやくA. W. シュレーゲル(August Wilhelm von Schlegel,1767-1845)により, ヴォルフラムが二つの断片のみを詩作したことが認識されるようになったのです。
『ティトゥレル』とは異なり,『新ティトゥレル』は数多く伝承されています(11の完全な写本, 45の断片, 1477年のインキュナブラ)。写本の中には挿絵がつけられたものも二つあります。[7]とりわけ『新ティトゥレル』は後の文学に, その詩節形式で大きな影響を与えました。中世後期において実に20以上の作品が『新ティトゥレル』の詩節形式で作成されており, その中にはハダマー・フォン・ラバー (Hadamar von Laber, 1300年頃-1360年) の『狩猟』(Jagd )やウルリッヒ・フュートラー (Ulrich Füetrer, 1430頃-1493年から1502年の間に没) の『冒険書』(Buch der Abenteuer )も含まれます。

 

おわりに
『ティトゥレル』の原典は明らかではありません。叙事詩的なモチーフはほぼ全て『パルチヴァール』に由来しており, 恋人同士であるエハクナトとクラウディテのエピソードのみが新たに盛り込まれた内容となっています。では, なぜヴォルフラムはこの作品を詩作したのでしょう。「誠のある真実のミンネ」を具象化するためでしょうか。そもそも「誠のある真実のミンネ」とは一体何でしょうか。ヴォルフラム自身と同様に『ティトゥレル』もまた多くの謎につつまれています。しかし, まさにこの「謎」こそが中世の詩人たち, 後世の詩人たちの興味を惹起したのではないでしょうか。さらにこの「謎」が時代をこえて多くの日本の学生たちの知的好奇心を掻き立て, この分野における日本の研究に寄与してくれることを望んでやみません。

 

 Notes

^ 『ティトゥレル』の底本は以下の版とし, 引用の際には詩節番号と詩行数を本文中に括弧内に算用数字で示す:Wolfram von Eschenbach: Titurel. Text-Übersetzung-Stellenkommentar. Hg. v. Helmut Brackert und Stephan Fuchs-Jolie. De Gruyter, Berlin/ New York 2003. 尚,『ティトゥレル』日本語訳はヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ ティトゥレル (1)(共訳, 伊藤泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子)『言語文化論集』1 , 1980年, 239-256頁, ティトゥレル (2)(共訳, 伊藤泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子)『言語文化論集』2-1, 1980年, 319-330頁を使用する。但し, 対訳の詩節番号は原典テクストとずれがあるため, 原則として本稿では引用の詩節番号と詩行数は底本に従うこととする; 中高ドイツ語であるminne「ミンネ」は大枠で, 中世ドイツの騎士道精神に基づく騎士の恋愛・愛・性愛を指す。しかしながら, その意味は非常に多義的であり, 訳語の選定には細心の注意が必要となる。時代とともにliebeがminneの意味を吸収して支配的となり, 現代ドイツ語でminneは完全に死語となった。中世ドイツ文学における「ミンネ」概念については, 田中一嘉氏の著書に詳しいので, 是非とも参照されたい: 田中一嘉『中世ドイツ文学における恋愛指南書 ―文学ジャンルとしての「ミンネの教訓詩」の成立と発展―』(風間書房)2014年。

^2.ジグーネは『パルチヴァール』の原拠であるクレチアン・ド・トロワの『ペルスヴァルまたは聖杯の物語』(1182年頃)で, ペルスヴァルのいとことして一度だけ登場するが名前は無い。

^3.『パルチヴァール』の底本は以下の版とし, 引用の際には詩節番号、詩行数と頁数を本文中に括弧内に算用数字で示す:ヴォルフラム・フォン・エッシェンバッハ(加倉井粛之, 伊東泰治, 馬場勝弥, 小栗友一訳):『パルチヴァール』(郁文堂)第四版, 1983年(初版1974年)。

^4.本稿2.-5.までは以下の辞典におけるヨアヒム・ブムケの解説に拠り, それを大学1年生程度の初学者用に配慮し, 分かり易さに重きを置いた解説を加えたものとなる:Die deutsche Literatur des Mittelalters. Verfasserlexikon. 2. Auflage. Hrsg. v. Kurt Ruh/Burghart Wachinger usw. Band 10. 1978-2006. Berlin/New York Sp.1407-1418. この辞典には中世ドイツ文学研究者が最初に得なくてはならない重要な情報が記載されている。しかしながら, 研究文献に関する情報がいささか古いのは否めない。近い将来De Gruyter社から第3版が刊行されるので, 必ず参照されたい。それまでは, 同じDe Gruyter社から刊行されているDeutsches Literatur-Lexikon. Bde. 1-8. Hg. v. Wolfgang Achnitz, 2011-2016. Berlin/New Yorkに記載されている研究文献を参照されたい。

^5.Cod. 2675: http://data.onb.ac.at/dtl/3168660(2019年10月14日閲覧)

^6. この犬の名前はプロヴァンス語garda viasもしくはラテン語garde viasに由来し, 「獣の跡を間違えずに追え」という古い猟犬に対する呼びかけである。Brackert und Fuchs-Jolie (wie Anm. 1) , S. 252.

^7. Vgl. Marburger Repatorium: http://www.handschriftencensus.de/3615; http://www.handschriftencensus.de/3616  (2019年10月14日閲覧)

 

【参考文献】

①日本語訳
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ ティトゥレル (1)(共訳, 伊藤泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子)『言語文化論集』1 ,1980年, 239-256頁。
ヴォルフラム・フォン・エッシェンバハ ティトゥレル (2)(共訳, 伊藤泰治・馬場勝弥・小栗友一・有川貫太郎・松浦順子)『言語文化論集』2-1 ,1980年, 319-330頁。
大学生には入手し難い約40年前の大学紀要に掲載された日本語訳は存在するが, 将来的にはこの作品の本格的日本語対訳が出版されることが望まれる。

②現代ドイツ語訳
Wolfram von Eschenbach: Parzival und Titurel. Rittergedichte von Eschenbach.
Übers. v. Karl Simrock. 5. Verbesserte Aufl. Stuttgart 1876 (zuerst 1842).
Wolfram von Eschenbach: Titurel. Übers. v. Albert Rapp. München 1924.
Wolfram von Eschenbach: Titurel. Lieder. Hg. v. Wolfgang Mohr. Göppingen 1978.
(=GAG 250).
Wolfram von Eschenbach: Titurel. Text-Übersetzung-Stellenkommentar. Hrsg. v. Helmut Brackert und Stephan Fuchs-Jolie. De Gruyter. Berlin/ New York 2003.

③現代英語訳
Passage, Charles E.: Titurel. Wolfram von Eschenbach. Translation and studies. New York 1984.
Wolfram von Eschenbach: ,Titurel‘ and the ,Songs‘. Texts and Comments by Marion E. Gibbs and Sidney M. Johnson. New York/ London 1988.

④一次資料(校訂本)
出版
カール・ラッハマンは G写本を底本とし, 多くを『新ティトゥレル』写本に拠り, 韻律のために伝承テクストから逸脱した。この点でテクスト編纂の方法論に大きな問題点があると言えよう。
Wolfram von Eschenbach. Hg. v. Karl Lachmann, 6. Aufl. [von Eduard Hartl], Berlin/ Leipzig 1926 [photomech. Nachdruck Berlin/ New York 1962] ( zuerst 1833; 2. Ausgabe [von Moritz Haupt] 1854; 3. Ausg. [von Moritz Haupt] 1872; 4. Ausg. [von Karl Müllenhoff] 1879; 5. Ausg. [von Karl Weinhold] 1891; 7. Ausg. [neu bearbeitet von Eduard Hartl], Bd. 1, 1952). 
Wolfram von Eschenbach: Parzival und Titurel. Hg. v. Karl Bartsch. 3 Bde., Leipzig 1870-1871 (=Deutsche Classiker des Mittelalters 9-11).
Wolfram von Eschenbach. Erster Teil. Berbeitet von Paul Piper. Stittgart 1890 (=Deutsche Nationalliteratur 5, 1).
Wolfram von Eschenbach: Parzival und Titurel. Hg. und erklärt v. Ernst Martin. 2 Bde. Halle 1900-1903 (=Germanistische Handbibliothek IX, 1).
Wolfram von Eschenbach. 5. Heft: Willehalm Buch VI-IX, Titurel, Lieder. Hg. v. Albert Leitmann, 5. Aufl. Tübingen 1963 (zuerst Halle 1906; 2. verb. Aufl. 1926; 3. Aufl. 1950; 4. Aufl. Tübingen 1956) (=ATB 15).
Wolfram von Eschenbach: Parzival und Titurel. Hg. v. Karl Bartsch. 4. Aufl. bearb. v. Marta Marti. 3 Bde., Leipzig 1927-1932.
Wolfram von Eschenbach: Titurel. Lieder. Hg. v. Wolfgang Mohr. Göppingen 1978.
(=GAG 250).
先行研究を網羅し, 注釈, 翻訳, 批判考証資料を兼ね備えた最新版がH. BrackertとS. Fuchs-Jolieによって編纂された。この版にはメロディーも掲載されているので, 是非とも参照されたい。
Wolfram von Eschenbach: Titurel. Text-Übersetzung-Stellenkommentar. Hrsg. v. Helmut Brackert und Stephan Fuchs-Jolie. De Gruyter. Berlin/ New York 2003.

ファクシミリ
Wolfram von Eschenbach: Titurel. Abboldung sämtlicher Handschriften mit einem Anhang zur Überlieferung des Textes im ,Jüngeren Titurel‘. Hg.v. Joachim Heinzle. Göppingen 1973 (=Litterae 26).

⑤写本
『ティトゥレル』の断片は以下の三つの写本で伝承されている。
G写本(ミュンヘン, Cgm 19, f. 71ra-74rc ,13世紀中葉)164詩節:http://mr1314.de/1223 (2019年12月14日閲覧)
H写本(ウイーン, cod. Ser. nova 2663, f. 234ra-235rb, 16世紀前半)「アンブラス英雄本」(Ambraser Heldenbuch) 68詩節:http://www.handschriftencensus.de/3766 (2019年12月14日閲覧)
M写本(ミュンヘン, UB, 8o cod. Ms. 154 (=Cim.80b), 1300年頃)46詩節:http://mr1314.de/1043(2019年12月14日閲覧)

⑥基本研究書
Die deutsche Literatur des Mittelalters. Verfasserlexikon. 2. Auflage. Hrsg. v. Kurt Ruh/Burghart Wachinger usw. Band 10. 1978-2006. Berlin/New York Sp.1407-1418.
Brunner, Horst: Geschichte der deutschen Literatur des Mittelalters und der Frühen Neuzeit. Stuttgart 2013.

⑦ 中高ドイツ語辞書
Hennig, Beate: Kleines Mittelhochdeutsches Wörterbuch. 6. Auflage. Berlin/ Boston 2014.
Lexer, Matthias: Mittelhochdeutsches Handwörterbuch. Bd.1. Reprographischer Nachdruck der Ausgabe. Leipzig 1872. (Stuttgart 1979) Bd.2. Leipzig 1876. (Stuttgart 1979) Bd.3. Leipzig 1878 (Stuttgart 1979) (Zit: Lexer, Wrtb).
Benecke, G./Müller, W./Zarncke, F.: Mittelhochdeutsches Wörterbuch. Band I. 1854. (Hildesheim 1963) Band II/1. Leipzig 1863. (Hildesheim 1963) Band II/2. Leipzig 1866. (Hildesheim 1963) Band III. Leipzig 1861 (Hildesheim 1963).

 
記事作成日:2020年3月8日  
最終更新日:2020年3月8日

 

 

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